梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・68

■感嘆発声
【要約】
 初期の感嘆発声は、主として短母音または長母音の強い発出であり、情動の直接的な表出である。子どもの属する社会の言語音からの影響を受けておらず、生得的なものである。これは“一次感嘆発声”あるいは“自然感嘆発声”とよばれている(Revesz,1956;Leopold,1949)。この種の発声はとくに音調面には0歳8カ月ごろからバラエティーが顕著となり、1歳1カ月~1歳3カ月でその頻度およびバラエティーは最大限に達するといわれている。
 一次型はこのころから徐々に別の型へ移行しはじめる。母国語の影響によるものであり、育児者からの模倣をおもな要因と考えることができる。一次型のように、情動の強さが直接に音声の強度に反映される傾向は次第に抑制されてくる。これが“二次的感嘆発声”あるいは“標準感嘆発声”といわれるものである。日本児では、アッ、ワー、オットなどがこれであり、欧米の子どもでは、oh,pooh,helloなどがこれである。
 二次感嘆発声は、音声パターンの音韻化、慣用化と同時に、本来の感嘆性を漸次失い表示性を高めていく。このような変化は一次感嘆発声が子どものほかの談話型から影響を受けることによって生じてくると考えなければならない。


【感想】
 子どもの声といえば「うるさい」というイメージがかぶさるが、それは0歳8カ月ころから1歳3カ月ころにかけて、「泣き声」や、ここでいう「一次感嘆発声」が頻発するからであろう。その声は《生得的》であり万国共通である。その時々の気持ちを直接《声》で表現する。意味は「二の次」ということである。
 私はこの(叫喚を含めた)「一次感嘆発声」「自然感嘆発声」こそが言語の《源泉》である、と考えている。それは、時枝誠記氏のいう「辞」の《源泉》でもある。
 自閉症児の場合、乳幼児期「おとなしく育てやすかった」と感想をもらす育児者(母親など)が多い。「おとなしい」は「うるさい」の反対であり、そのことから、叫喚および「一次感嘆発声」が頻発しなかっただろうと推測できる。当然「二次感嘆発声」への移行もあいまいであり、いつのまにか表示性の高い言語(時枝氏のいう「詞」)を習得してしまうのではないか。それが、「ことばを話すことはできるが、会話が成り立たない。気持ちが通じ合えない」ことの要因として大きいのではないか、と私は思う。
(2018.8.26)