梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「座KANSAI」(座長・金沢つよし)

【座KANSAI】(座長・金沢つよし)・〈平成23年11月公演・小岩湯宴ランド〉
この劇団の舞台はほぼ2年前に、浅草木馬館で見聞済み。その時は、関東初公演(?)だったか・・・。客との呼吸が「今一息」合わず、いわば「不入り」状態であった。座長曰く「まだまだ私自身の力不足。勉強して出直して参ります」。したがって、今回の関東公演は、座長にとって「再挑戦」(リベンジ)の舞台であるに違いない。金沢つよしという座長は、誠実・真面目そのものといった風情で、前回とは一味違った舞台模様を描出していた、と私は思う。芝居の外題は、昼の部「下郎の首」、夜の部「雪と墨」。いずれも大衆演劇の定番だが、この座長の演出は「お決まり」ではなかった。「下郎の首」は、赤穂藩士・侍(座長・金沢つよし)と旗本大名(金沢けいすけ)が旅先で対立、そのきっかけを作ってしまった下郎(金沢じゅん)が自害して首を差し出す。赤穂藩士がそれを抱いて旗本大名に仇討ちをする、という筋書きだが、今回の舞台では、なぜか藩士と旗本が「和解」してしまう。「泣きを見た」(損をした)のは下郎一人だけ、しかも、旗本が下郎の首を見て「忠義の極み」と褒めちぎる結末は、何とも異色・ユニークで面白かった。「意地の張り合い」で犠牲になった下郎の悲劇を通して、「虚妄」な武家社会を糾弾することが眼目かもしれない。そういえば、夜の部の芝居「雪と墨」の結末も異色であった。筋書きは定番。町人から武士に成り上がった兄(座長・金沢つよし)と、大工職人のまま貧乏を続ける弟(金沢じゅん)が対立・葛藤する物語である。兄弟の母親(責任者・鶴浩二)は、兄のもとに身を寄せているが、「日にち毎日」その嫁(虹心しぐれ?・好演)に「いびられ通し」。夫の兄は、それを見ても何もできない。嫁と実家のおかげで武士になれたからだ。とうとう、自分の身を守るために母親を追い出してしまった。見かねた弟が母親を引き取って、つつましく暮らしているのに、兄と嫁の言動は収まらない。それを見た兄の上司・奉行(金沢けいすけ)が一計を案じた。弟を兄より格上の侍に引き立てる。その披露目の席で兄と弟の立場は逆転、弟は兄から被った「仕打ち」を再現する。今度は、兄が弟に「ひれ伏す」羽目となった。通常なら、ここで弟が「兄貴!いったいどうしてしまったんだ。昔はお袋思い、弟思いの兄貴だったのに・・・」と優しく諫め、兄、嫁ともに「改心」、一同めでたしめでたしの「大団円」となる段取りになるはずだが・・・。この劇団の兄嫁は一向に改心せず、「さあ帰りましょう、とんだ赤恥をかかされました。私の実家に戻って、新しい仕官の口を探せばよいのです」と言い放つや、瞑目している兄を引きずっていこうという気配。それには、たまらず兄、立ち上がって嫁を見据えると「一刀両断」に斬り捨てた。仰天する母と弟の前で、兄自身もまた(敢然と)切腹、共に相果てるという「衝撃的な」愁嘆場で幕となった。どこまでも誠実・真面目な風情の座長・金沢つよしが演じる「仇役」の景色も絶品で、客席に向かってみせる「葛藤の表情」が一際鮮やかであった。ここにも、暗に「武家社会」の「驕慢さ」を糾弾しようとする劇団独自の眼目が仄見える。かくて、「座KANSAI」は、関東公演「再挑戦」の第一歩を、着実に踏み出したように、私は感じる。頑張れ!
(2011.11.10)

大衆演劇・劇団素描「劇団松」(座長・桂木祐司)

【劇団 松】(座長・桂木祐司)〈平成20年9月公演・小岩湯宴ランド〉
「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 劇団松 「演美座」(現在の「新演美座」の前身)にいた松川友司郎(現太夫元)が、昭和55年(1980年)に独立して旗揚げ。平成12(2000)年、息子である桂木祐司が座長となり、現在に至る。芸達者なベテラン勢と座長、そして松川小祐司・翔也の子役がひとつにまとまり、レベルの高いお芝居を見せようと、日々奮闘中。あたたかさが伝わる舞台を常に心がけている。座長 桂木祐司 昭和40(1965)年12月6日生まれ。血液型B型。神奈川県出身。初舞台5歳。父・松川友司郎(現太夫元)が在籍していた「演美座」(現在の「新演美座」の前身)で初舞台を踏むが、本格的に役者を志したのは中学2年。その後、故桂木日出夫座長の「あすなろ劇団」で修行したのち、「劇団松」へ戻り、平成12(2000)年に座長となる。豪快にヤマを上げる、男気あふれる剣劇を得意とする。松川小祐司、松川翔也は実子である〉とある。また、キャッチフレーズは、〈一生懸命さとあったかさで魅せる!! 座長をはじめ、ベテランと中堅、そして子役が、抜群のチームワークで、ひとつの芝居を作り上げる。それが「劇団松」のカラー。桂木祐司座長、その父である芸達者な松川友司郎太夫元ら熟達の役者に、松川小祐司・翔也の子役が堂々と挑む。その舞台は見応えがありながら、わかりやすく、面白く、あったかい。そんな「劇団松」を、どうぞご覧あれ!〉であった。私は、「演美座」時代の、松川友司郎を知っている。座長・深水志津夫率いる実力劇団の花形として、旗丈司との「二枚看板」で活躍していた。どちらかと言えば、武張った「役回り」が多く、「豪快にヤマを上げる、男気あふれる剣劇を得意としていた」が、積年の舞台生活は、まさに「芸達者」「熟達」と呼ばれるのにふさわしい「芸風」を醸し出していた。昼の部、芝居の外題「まぬけ武士道」、はりだされたポスターには「必見 桂木昇 女形 弾ける」とあったが、時代明朗剣劇 と銘打っての「喜劇」。ある武家の夫婦が主人公(夫・座長、妻・桂木昇)。一見仲むつまじそうな夫婦であったが、夫は「耳も聞こえず」「口もきけない」。それをいいことに、妻は、夫の同輩(都川純)と不義密通を重ねている。とうとう、妻は百両持ち出し、同輩と「駆け落ち」する始末に・・・。それを知った忠僕な下男(松川友司郎)が、夫とともに「間男成敗」を果たすという単純な話であったが、「耳も聞こえず」「口もきけない」夫の「風情」を、さわやかに、演じきった座長・桂木祐司の「実力」と「勇気」に脱帽する。夫に絡む妻、下男の様子も、どこか「あったかく」、障害者を「白眼視」したり「さげすんだり」する景色とは無縁であった。むしろ、夫が「身振り」「手真似」「表情」(視線)で、妻の「すまし顔」を揶揄する様子が、何とも魅力的で、「絵」になっていたと思う。夜の部、芝居の外題は「国定忠治・血煙上州路」(時代人情剣劇)。御存知「山形屋」の場で、「新国劇もどき」の舞台であったが、敵役・山形屋藤蔵(都川純)、子分(兄貴分)・松川翔也(14歳)、弟分・藤川智昭(元座長・特別出演)、弟分・桂木昇(「桑田劇団」座長・友情出演)の喜劇仕立ての「チームワーク」は抜群で、「天下一品」の舞台になっていた。松川翔也は、ベテランに混じって臆することなく、「のびのびと」「さわやかに」舞台を務めている。特に「間のとり方」「呼吸の合わせ方」が小気味よく、将来が楽しみである。座長の「国定忠治」、「豪快にヤマを上げる」「男気あふれる」風情に、「追われる身のあわれさ」「はかなさ」が加われば、言うことなしなのだが・・・。
舞踊ショーのトップは、座長と翔也の「相舞踊」と思いきや、相互に「歌唱」も担当、翔也の「外れた調子」に合わせて「ずっこける」座長の舞姿も、「絵」になっていた。袖に引っ込みながら「劇団で一番歌が上手いのは、やっぱり僕だなあ・・・」という、翔也のつぶやきも「様」になっていた。まさに、軽妙で洒脱、「江戸前の」「いなせな」大衆演劇(の真髄)を堪能できた次第である。終盤、歌唱(「おまえとふたり」・五木ひろし)で登場した藤川智昭の言葉、「座長時代から、15年、この劇場でお世話になっていますが、昔のお客様が時々顔を見せてくれて嬉しく思います。それにしても、ただ今入院中、リハビリ中などというお客様の消息を聞くたびに、つくづく時代は変わったんだなあ、という気持ちがします」は、胸にこたえた。そうした「侘びしさ」もまた、大衆演劇の真髄に他ならないのだから・・・。
(2008.9.10)

大衆演劇・劇団素描「ひと丸劇団」(座長・市川ひと丸)

【ひと丸劇団】(座長・市川ひと丸)〈平成23年6月公演・千代田ラドン温泉〉
私は先月、佐倉湯ぱらだいすで「劇団花組むらさき」(組長・南條すゝむ)の舞台を見聞したが、座長・市川ひと丸は、南條すゝむの実子とのこと、双方の舞台を見比べたいという思いで来場した。舞台は初日、劇団も「御当地初お目見え」、私も「初見聞」とあって、興味津々のうちに幕が開いた。芝居の外題は「木曽恋鴉」。筋書は「中乗り新三」と同一、一景は「胴慾淫乱」な親分(花咲竜二)が、子分(芸名不詳の若手男優)の女房(花咲人巳)に横恋慕する場面だが、客席後方はざわついたまま・・・。それでも、劇団員は渾身の演技でよく頑張った。花咲竜二は、おそらくムードメーカー、三枚目の敵役で「人気」をさらうはずだが、まだ関東、とりわけ茨城の客は、殊の外「とっつきが悪い」ことを思い知らされたのではないだろうか。花咲人巳は、その仕種、振りだけで「心情」を描出できる達者な役者と見た。二景で、いよいよ中乗り新三(座長・市川ひと丸)登場、女房を手籠めにされた気の毒な子分と渡り合うが、客の「集中度」は「今一歩」のまま・・・。第三景、木曽山中、新三の実家の場になって、ようやく客席は静かになった。といのも、登場した新三の母親(水城忍)が、たいそう「喜劇的」だったからである。通常なら、親不孝して飛び出した息子(新三)を上辺では責め立てるにせよ、内心では喜びを隠せない風情を漂わせる演出が常套だが、この母親、そんなことには全く無頓着、この不孝者!、恥さらし!、ゴミ!、クズ!、とっとと消え失せろ!、といった対応が一貫している。これには、新三もあきれ果て、「この、くそジジイ、違った、くそババアだ」といった「絡み合い」が何とも異色で面白かった。花咲竜二の三枚目には反応しなかった客筋も、水城忍の「滑稽さ」は、親近感を持って受け容れるのである。なぜだろうか。一言で言えば、花咲の芸風は「形」(声音、表情、仕種)重視、水城の芸風は「呼吸」(間)重視ということになるのだろう。客は、水城と座長(時としては自分)との「阿吽の呼吸」を楽しんでいるのである。かくて、芝居「木曽恋鴉」は並の時代人情剣劇から、「喜劇・中乗り新三」に変貌したのであった。「劇団ひと丸」は、横浜を本拠地とする「演友会」(会長・葵好次郎)に所属している由。このメンバーは十五劇団で「葵一門」が中心、その芸風は、まさに「葵風」である。同じ関東でも、東京大衆演劇劇場協会が「江戸下町風」なのに比べて、「葵風」は、あくまで「山の手風」、武張った「徳川風」を貫いているように、私は感じる。そのプロフィール(所属劇団を紹介した小冊子)を見ると、座長・市川ひと丸は三代目、芸道上の師匠は二代目・市川ひと丸(父)と記されている。「座長Q&A」には〈Q・師匠から教わったことは?A・他の役者と同じことをするな〉とあった。なるほど、今回の「木曽恋鴉」、他の劇団と同じことをしない《証し》であったのか。(初見聞のため、配役の役者名に誤りがあるかもしれない。その節はお詫び申し上げたい)
(2011.6.15)