梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・74

《“質問期”》
【要約】
 シュテルン(Stern u. Stern,1907)は、1歳6カ月の子どもに、あらゆる椅子を一つ一つ指示しながらその名をたずね、部屋中を駆け回る時期があったと報告し、初期質問は、名をたずねることであり、これは子どもが“すべてのものには名がある”ということを発見したことを意味するものであり、そのとき以来、子どもは自分のまだ知らないものの名を気負ってたずね、なるべく多くのものの名を知ることへの強い飢餓をみたそうとする、という。1歳期における本格的な質問が、名をたずねることに限られていて、専らコレナニあるいはナニという形で生じることは事実である。しかし、これが名への飢餓に動機づけられているかどうかは疑問である。シュテルンの主張の一つの根拠は、ちょうどこの時期から子どもの使用語彙が急に増加しはじめるという事実にある。質問の出現は概念活動の活発化を意味するという見解はかなり広く支持されているが、質問の出現と使用語彙の増加の関連性は必然的なものではないようである。その理由の一つは、質問をまったくしない子どもにも使用語彙の急激な増加がみられ、また質問はよくするが、語彙の増加がいちじるしいとはいえないケースも少なくない、ということである。質問のような助力要請をすることなしに、知識を吸収した子どもの例を、レオポルド(Leopold,1939)は報告している。また、額田(1965)の追跡観察では、彼の第1子には明瞭な質問期が認められた。第2子には(特に注意深く観察したが)質問の急増する時期を発見することはできなかった。


【感想】
 ここでは「質問期」が目立つ子どもと、目立たない子どもがいることについて述べられている。さらに、質問が目立つからといって使用語彙が増えるわけではないこと、質問をしなくても使用語彙を増やす子どもがいること、についても言及している点が、きわめて興味深かった。要するに、質問することと、語彙を増やすことには「関連性がない」ということである。「質問」とはコミュニケ―ションの形態であり、語彙の獲得は「学習」の結果である。人を介して学習する場合は「質問」という方法を駆使するが、自学自習の場合は「質問」する必要はない。
 「自閉症児・者」の使用語彙は、おそらく「自学自習」によって獲得したものだろう。彼らに不足しているものは「コミュニケーション能力」であり、「学習能力」ではないということの証になる事実だとはいえないだろうか。
(2018.9.6)