梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「佐吉子守唄」(藤間智太郎劇団)

【藤間劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成23年11月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
私はこの劇団の舞台を昨年5月、大阪梅南座で見聞している。以下は、その時の感想(の一部)である。〈インターネットでは〈藤間劇団 1985年に初代座長・藤間新太郎(現太夫元〉が旗上げ。まじめに一生懸命にをモットーに劇団全員が力を合わせて、日々の舞台を勤めている。2005年5月に新太郎太夫元の長男・智太郎が座長を襲名した〉と紹介されている。その文言に偽りはなく、太夫元の上品で誠実な芸風が座員一人一人に染みわたり、今日のような舞台模様を創出できたのだ、と私は思う。舞踊ショーでも見所は多く、子役・藤間あゆむの「人生劇場」「酒供養」(女形)、太夫元の「細雪」(女形)「よされ三味線」(立ち役)、松竹町子の「恋の酒」(立ち役)、座長の「女形」が強く印象に残った。座員は他に、小町さくら、アイザワ・マコト(いずれも女優)らの若手がいる。いずれも「個性的」で、のびのびと「舞台を勤めている」様子が窺われ、劇団の魅力を倍増させている。今日の舞台を見聞できたことは私にとっては大きな収穫、はるばる大阪まで遠征した甲斐があった、というものである。加えて、劇場の雰囲気も最高、手作りのおでんを賞味できたことは望外の幸せであった。ぜひ明日も来たい(前売り券を買いたい)と思ったが、すでに予定は「決定済み」、後ろ髪引かれる思いで帰路についた次第である〉。
    以来ほぼ2年近く「後ろ髪を引かれ」続けたわけだが、今回ようやくその舞台を再見できるようになった次第である。これまでに、芝居「稲葉小僧新吉」「天竜筏流し」「佐吉子守唄」の舞台を見聞したが、やはり期待通り、充実した珠玉の名舞台が展開されていた。「稲葉小僧新吉」では、三代目藤間あゆむが、小娘役の女形で大活躍、まだ12歳とは思えぬほどの達者ぶりに舌を巻いた。「天竜筏流し」では、草津一家親分(太夫元・藤間新太郎)の悪役ぶりが何とも魅力的、とりわけ山主に扮した松竹町子との絡みが絶妙で、まさに夫婦ならではの呼吸、「味」(わい)がたまらなかった。
   さて、極め付きは「佐吉子守唄」。ある一家に草鞋を脱いだ旅鴉・佐吉(座長・藤間智太郎)の物語である。佐吉には妹・おみよ(星空ひかる)も同行、そのおみよが一家の若親分(藤間あおい・好演)と「いい仲」に・・・。お腹の中には若親分の子どもまでも宿してしまった。若親分は父親の親分(橘文若)に「添わせてほしい」と懇願するが、応えは「断じて否!」。やむなく若親分、おみよを連れて一家を出ようとするが、親分「そうはさせねえ」と刀を抜いた。仲に入ったのが子分の銀次(藤間あゆむ・好演)。「どうでしょう、若親分。1年間、男修行の旅に出ては・・・、おみよさんは一家で面倒みますから」。若親分、その言葉を真に受けて旅修行に出立、見送った子分と親分は顔を見合わせてニヤリ、おみよの面倒をみる気などさらさら無かった。旅鴉の佐吉、妹の面倒を見てと親分に頼んだがケンモホロロ、やむなく一家を出て長屋にわび住まいしながら、若親分の帰りを待つことになった。1年後、おみよにはめでたく男児が誕生。佐吉は乳飲み子をあやしながら、乳をもらいに外出。おみよ、独りになったところへ件の親分、子分がやって来た。「今すぐ、この土地から出て行ってもらいたい」「若親分が戻るまでは、出て行くわけにはいきません」「それが困るのだ、せがれとお前を添わせるわけにはいかねえ」などと揉み合ううち、親分、思わず脇差しを抜いて、おみよに斬り付けた。親分一味はあわてて遁走。戻ってきた佐吉、手傷を負ったおみよの姿に驚いた。「親分にやられた。私はくやし。その子を若親分が抱いてくれる姿を見たかったのに・・・」と言い残して、おみよは絶命。佐吉、敢然と赤児を抱いて仇討ちへ向かう。出くわした街道筋で、難なく親分を成敗した。以後は若親分を探しての子連れ旅へ・・・。舞台は三景、ここは山間の峠茶屋、やってきたのが男修行を終えた若親分が茶を飲んでいると、旅姿で通りかかったのは子分の銀次、聞けば「親分が佐吉にやられた」と言う。若親分、激高して佐吉を追いかけに退場。残った銀次はなぜか、茶屋の中へ・・・。入れ替わりに、佐吉、赤児を抱いて登場、茶屋の中から飛び出してきた銀次との一騎打ちに。と、そこに、おみよと瓜二つの娘が出てきて曰く「その赤ちゃん、私が預かります。存分に勝負しなさい」、赤児を抱いて立ち去った。あっけにとられる佐吉。「あれはいったい誰なんだ!」銀次との勝負どころではなかったか。実を言えば、この娘は川向こう一家親分・仙右衛門(太夫元・藤間新太郎)の一人娘・おゆき(星空ひかる・二役)であった。四景は仙右衛門宅。草鞋を脱いだ佐吉に一目惚れ、赤児と一緒に添わせてほしいと、父・仙右衛門に頼み込んだ。「そんなわけにはいかねえ」と突っぱねたが「じゃあ、池に身を投げる」とごねられ、「もし話がつかなければ腹を切る」約束までさせられた。仙右衛門、佐吉を呼んで曰く「うちの娘と一緒になってはくれまいか」、佐吉が「そういうわけにはめえりません」と固辞すれば、「そうですかい!では・・・」と言いながら、おもむろに羽織を脱ぎ捨てると、脇差しを抜き手ぬぐいを巻いて切腹の構え、驚いた佐吉、「待っておくんなせい、何をなさるんで!」、仙右衛門、平然として「娘と約束したんだ。もしこの話がつかなければ腹を切ると」。その飄然とした姿が何とも魅力的であった。佐吉、やむなくおゆきとの縁談を受諾。「妹とそっくりの娘を嫁に・・・」と思い悩む暇もなく、乗り込んできたのが若親分。「親父の仇討ちだ、勝負しろ!」。佐吉、「わかった」と一言、一立ち回りのあと、若親分の腕をねじ伏せて曰く「お前さん、人を斬ったことがあるか!」、若親分、応えられずにいるうち、佐吉は、自分の刀を投げ捨てる。「人を斬るのは、こうするんだ!」と言うなり、若親分の刀を自分の腹に突き立てた。佐吉の「すべきこと」は、妹・おみよの遺児を若親分に抱かせることだけ、もとより自分の命など惜しくはない。苦しい息の元で経緯を語る佐吉の話を聞いて、若親分は銀次を成敗、ようやくわが子を抱き上げることができたのであった。「その姿を一目、妹に見せたかった」という思いを胸に、佐吉、最後の力を振り絞って、赤児をあやす。舞台には二葉百合子の名曲「佐吉子守唄」も添えられて、悲しくも温かな幕切れであった。お見事!「一級品の芝居」は健在であった。それにしても、ここの劇場、観客は昼も夜も二十人程度、極上の名舞台を満喫するには「侘びしすぎる」が、座員一同が誠実・懸命に舞台を務める姿は感動的である。心底から拍手を贈りたい。
(2011.11.15)

大衆演劇・芝居「源吉渡し」(藤間智太郎劇団)

【藤間智太郎劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成22年5月公演・大阪梅南座〉                    土曜日(夜の部)だというのに観客数はまばらで20人弱、さだめし他の劇場、他の劇団では「大入り」の活況を呈しているに違いないと思いながら、開幕を待った。第一部・顔見せミニショーはトップステージの組舞踊で左端の役者(おそらく女優・「立ち役」)が目立つ程度で、他は「どうということはなかった」が、第二部・芝居「源吉渡し」になると、舞台の景色は一変した。品川周辺、渡し船の船頭親子の物語。そこの村人たちは平穏に暮らしていたが、ある時、ならず者の連中が村の廃寺に侵入して、賭博を開帳、村人たちの金品や土地(財産)を取りあげ始めた。それを救おうとして船頭の息子が対決、お決まりの暴力沙汰に、息子は「図らずも」ならず者連中を殺傷、小伝馬町への「牢送り」となった。村人たちは減刑の嘆願をしたがお裁きは「死罪」、運がなかったものと船頭の老父はあきらめていた。そこに突然、息子が帰宅する。驚いた老父、さては「牢破りか?」と訝ったが、そうではない。牢屋が火事になり、囚人たちに「三日間」の御赦免が許されたという。実をいえば、この息子には女房と胎児がいたのだ。捕縛されてから1年あまり、できることなら処刑前に老父、恋女房、愛児に「一目会いたい」とやってきた。老父には会えたが、女房は不在。尋ねれば、なんと「二度の亭主を持った」という。胎児はめでたく出生したものの、そのままでは「罪人の子」又は「父なし子」として蔑まれることは必至、そこで老父は知恵を絞って、息子の嫁を再婚させたとのこと、しかも相手は息子の友達(自首すれば刑も軽くなるだろうと息子を説得し、縛につかせた「十手持ち」)だったとは・・・。その結末を知った息子の心中や如何?、驚くやら、憤るやら、怒るやら・・・、そのたびに老父は息子に「事情を説明」、息子もそのたびに「納得する」という孝行の風情が、なんとも「やるせなく」、とりわけ、息子がすべてを了解、愛児と最後の別れを惜しみ、悲しく「子守唄」を唄う場面では、おそらく観客全員が落涙していたに違いない。久しぶりの観る「超一級品」の出来映えであった。配役は船頭の老父・松竹町子、息子・藤間智太郎(二代目座長)、その女房・藤間あおい、十手持ち・藤間新太郎(初代座長)といった面々で、とりわけ女優・松竹町子の「実力」が光っていた。インターネットでは〈藤間劇団 1985年に初代座長・藤間新太郎(現太夫元〉が旗上げ。まじめに一生懸命にをモットーに劇団全員が力を合わせて、日々の舞台を勤めている。2005年5月に新太郎太夫元の長男・智太郎が座長を襲名した〉と紹介されている。その文言に偽りはなく、太夫元の上品で誠実な芸風が座員一人一人に染みわたり、今日のような舞台模様を創出できたのだ、と私は思う。舞踊ショーでも見所は多く、子役・藤間あゆむの「人生劇場」「酒供養」(女形)、太夫元の「細雪」(女形)「よされ三味線」(立ち役)、松竹町子の「恋の酒」(立ち役)、座長の「女形」が強く印象に残った。座員は他に、小町さくら、アイザワ・マコト(いずれも女優)らの若手がいる。いずれも「個性的」で、のびのびと「舞台を勤めている」様子が窺われ、劇団の魅力を倍増させている。今日の舞台を見聞できたことは私にとっては大きな収穫、はるばる大阪まで遠征した甲斐があった、というものである。加えて、劇場の雰囲気も最高、手作りのおでんを賞味できたことは望外の幸せであった。ぜひ明日も来たい(前売り券を買いたい)と思ったが、すでに予定は「決定済み」、後ろ髪引かれる思いで帰路についた次第である。
(2010.5.2)

大衆演劇「藤間智太郎劇団」の《魅力》

    私が初めて「藤間劇団」(座長・藤間智太郎)の舞台を見聞したのは、1年半前(平成22年5月)、大阪梅南座、芝居の外題は「源吉渡し」。観客数は20人程であったが、何とも味わい深い舞台模様で、文字通り「極上の逸品」、ぜひ(この劇団の舞台を)「見極めたい」と思いつつ劇場を後にしたのであった。以来、機会に恵まれなかったが、このたび幸運にも、関東(佐倉湯ぱらだいす)での1ヶ月公演が実現、思う存分、その名舞台を堪能できた次第である。見聞した芝居は、件の「源吉渡し」を筆頭に、「天竜筏流し」「佐吉子守唄」「伊太郎笠」「稲葉小僧新吉」「白磯情話」などの時代劇、「羽衣情話」「長崎物語」「大人の童話」「大阪ぎらい物語」などの現代劇 、いずれも、眼目は「親子」「兄弟」「隣人」同士の(人情味あふれる)「人間模様」の描出にあると思われるが、それらが見事に結実化した舞台の連続で、大いに満足させていただいた。座員の面々は、責任者の初代藤間新太郎、令夫人の松竹町子、息子の座長・藤間智太郎、嫁(?)の藤間あおい、孫の三代目藤間あゆむ、といったファミリーに加えて、女優・星空ひかる、藤くるみ、若手・藤こうた、客演の橘文若が参加する。初代藤間新太郎の芸風は、一見「木石」の態を装いながら、内に秘めた「温情」「洒脱」「侠気」がじわじわと滲み出てくるという按配で、誠に魅力的である。特に、その「立ち居」は錦絵の様、口跡は、あくまでも「清純」で、聞き心地よく、斯界屈指の名優であることは間違いない。続いて、松竹町子。「達者」という言葉は、彼女のためにあるようだ。爺や、仇役、侠客、遊び人、商人などの「立ち役」はもとより、女将、鳥追い女、芸者などの(艶やかな)「女形」から、その他大勢の「斬られ役」に至るまで、何でもござれ、といった芸風で、文字通り「全身全霊」の演技を展開する。それを見事に継承しているのが藤間あおい。やや大柄な風貌を利しての「立ち役」(仇役)から、乳飲み子を抱く女房役、可憐な娘役まで「達者に」こなす。その凜として、清楚な景色は「絵に描いたように」魅力的である。さて、座長の藤間智太郎、当年とって33歳との由、「形を崩さずに」誠心誠意、舞台に取り組む姿勢が立派である。
旅鴉、盗賊、罪人、板前、漁師、阿呆役などなど、これまた「達者に」演じ分ける。加えて、「長崎物語」のお春(母親)役、「白磯情話」の銀次(女装)役はお見事!、どこか三枚目の空気も漂って、出色の出来映えであった、と私は思う。以上四人の「達人」に、三代目藤間あゆむの初々しさ、橘文若の「個性」、星空ひかるの「女っぽさ」が加わるのだから、舞台模様は充実するばかりであろう。さらに言えば、新人(?)藤くるみ、藤こうたの「存在」も見逃せない。芝居では、ほんのちょい役、舞踊ショーでも組舞踊に登場する程度だが、精一杯、全力で舞台に取り組もうとする「気迫」(表情・所作)が素晴らしい。その姿が、他の役者を活かしているのである。今はまだ修行中(?)、しかし、この劇団にいるかぎり(努力精進を重ねる限り)、「出番はきっと来る」ことを、私は信じて疑わない。「藤間劇団」の魅力は、何といっても「誠心誠意」、いつでも、どこでも「決して手を抜かない」(油断しない)、(座員の)集中力・結集力にあるのではないだろうか。舞台には、つねに役者相互の(立ち回りのような)「緊迫感」が漂っている。「阿吽の呼吸」と言おうか、「切磋琢磨」と言おうか、「しのぎを削る」と言おうか・・・。今月の関東公演、初めての劇場お目見えとあって、観客数は毎回「数十人」ほどであったかもしれない。時には「十数人」のこともあった。にもかかわらず、舞台の景色は「極上」の「超一級品」、私が最も敬愛する「鹿島順一劇団」、芝居巧者の「三河家桃太郎劇団」「劇団京弥」、成長著しい「劇団天華」らに匹敵する輝きを感じたのであった。また、舞踊ショーの途中で行われる座長の口上も聞き逃せない。毎度毎度紹介(宣伝)するのは、次月(「南條隆とスーパー兄弟」)、次次月(「宝海劇団」)に来演する劇団のことばかり、千秋楽前日には、「来月の劇団は、遠く九州からやって来ます。チラッと耳にした話では、初日の公演は、夜の部からになるかもしれないと言うことです。どうか、フロントで確かめてから御来場下さい」という念の入りようで、まず自分のことより「仲間うち(当劇場、他の劇団)を大切にする」誠実さ(爽やかさ)に、私は深い感銘を受けた次第である。今後ますますの活躍、発展を祈りたい。
(2011.11.29)