梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・73

■質問
《質問の機能》
【要約】
 質問は“特定の明白な目的と、独自の聴覚的音声形式と、思考交流における重要な役割とをもつ、特殊な言語的伝達”(Reves,1956)である。質問は、質問者が自分の知らない情報を最も有効・迅速に知るためのすぐれた手段である。
 質問が子どもの談話に現れるとき、親は自立しはじめた人間をその子に感じはじめる。質問は最も明白な人間入門のしるしであるといえる。質問に答えることはできるが質問することはできないという者はいる。しかし、質問することができて質問に答えることがまったくできないという者はいない。質問するということは高度の精神機能によってはじめて可能なのである。
 しかし、初期の質問は形式ならびに機能において、いちじるしく限られたものであり、とくに機能においては、質問は必ずしも新しい情報の獲得の手段であるとはいえない場合が多い。
《質問の初期徴候》
 質問の形式として独自の慣用疑問詞(ナニ、ドコ、ドッチ、イツ、ダレ、ドンナ、ナゼなど)は、初期の子ども(1歳段階)にはほとんど生じない。わずかにナニが1歳後期になって生じるにすぎない。しかし、疑問詞の生じる時点が質問開始時点ではない。
 ルイス(Lewis,1951)によると、機能的に質問といえる談話は、呼びかけと要求から分化してくる。その原初的な形は音声面にではなく音調面に特徴がある。たとえば、1歳の前半期には「エーエーエー」というような同一母音の反復型が上昇音調で生じる(Leopold,1949)。しかし、この発声は、まだ呼びかけと機能的に分化しているとはいいがたく、質問とよぶにはあまりにも未熟である。質問の本格的機能は、自分が必要とする情報を選択的に入手するための言語的な手段であるが、これは1歳の終わりになって生じてくる。日本児についての観察によれば、1歳9カ月~1歳11カ月に明白にナニによる質問が生じる場合が多い。


【感想】
 ここで興味深かったのは、「質問に答えることはできるが質問することはできないという者はいる。しかし質問することができて質問に答えることがまったくできないという者はいない」と著者が述べていることである。また、著者は「質問することは高度の精神機能によってはじめて可能なのである」と述べていることから、《質問》と《精神機能の発達》には関連があるという見解であることが窺われる。
 しかし、子どもは「ナーニ?」などと言葉(疑問詞)で質問する以前から、周囲に「問いかけている」と私は思う。ルイスが述べているように、それは音調面に特徴があり、母音の上昇音調で生じる。日本語の場合は「エ?」という発声である。それは、周囲の談話を「聞き返す」「確かめる」際に慣用される音声である。その意味は「ナニ?もう一度言ってください」ということであり、1歳前後の子どもでも使っているのではないだろうか。それは「精神機能」というよりも「コミュニケーション」の頻度(習慣)によって培われるものではないだろうか。
 著者のいう「質問に答えることはできるが質問することはできないという者」の中に、「自閉症児・者」が属することは明白だろう。そこから「自閉症」と「精神機能の発達」には関連があるという仮説が導き出されることもまた・・・。だがしかし、本当にそうだろうか。(2018.9.5)