梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・49

7 談話の識別
【要約】
 ここで“談話の識別”とは、子どもが聞いた談話が、その特徴に応じて、安定した特殊反応をおこさせるようになることである。子ども自身の生産する談話が発達するための基本的な条件の一つは、他者の談話の識別にあることはいうまでもない。
■音調・音色の識別
 新生児には、動く対象をある程度追視することや、音に対して頭をその方向に向けようとする反応も生じている(Berlyne,1960;Lipsitt,1963)。これが“定位反射”とよばれているものである。この定位反射は、子どもから距離をもつ外界の刺激に対する、積極的な反応であるために、重要視されてきた。その第1の理由は、人間が社会を形成するのは、視覚と聴覚とを主体とする外界の刺激に対する種々の反応の獲得を通じてであることであり、第2の理由、この種の外界への積極的な反応は、人間の精神発達の最も重要な基盤となる“好奇心”あるいは“探求性”の前兆と考えられる、という点にある。
 乳児の他者音声識別は、はじめは、育児者など、限られた人の談話に対して、主として生じるようである。はじめは、おそらく音声の持続時間と音の強さと高さについての粗大な認知にすぎないと思われる。ピアジェ(Piaget,1945)が0歳1ヶ月の子どもに認めた音声模倣の最も原初的な形である“発生的感染”は、このような認知の特色を示しているようだ。子どもの発声は手本音声が消えると同時に止む。それ以前の子どもの発声は、手本音声の持続時間とは無関係な反射の触発にすぎなかった。
 音色、声調、音調についての識別がつぎに生じる。ルイス(Lewis,1951)によると0歳3ヶ月の子どもでも、偽りの怒り声と本当の怒り声とを識別することができる。
 やさしい親しみのある声調と怒りの声調との識別についてのシャロッテ・ビューラーの研究(Lewis,1951)は、声調に対する子どもの初期発達の様相について、興味ある示唆を与えている。これは0歳3ヶ月から0歳11ヶ月の各月齢10名の0歳期に、この2種の声を聞かせ、それによって喚起される反応の性質を快・不快・中性に分類して、それぞれの反応生起率を示したものである。それらの結果から、つぎのような事実がえられる。
⑴親しみのある声調に対しては、快反応は0歳5ヶ月を過ぎると漸次低下していく。しかし0歳11ヶ月で再び上昇する。
⑵親しみのある声調に対しては、不快反応は終始生じない。
⑶怒りの声調に対しては、初期には快反応もよく生じるが、0歳5ヶ月を過ぎると生じなくなり、それに代わって不快反応が上昇してくる。しかし、その後この傾向は一見退行する。
⑷中性反応は、両声調とも、後半期(0歳6ヶ月ないし7ヶ月以降)に生じてくる。
 これらの事実について、つぎのような解釈をすることができると思う(Lewis,1951)。
⑴両声調に対する子ども側の識別は、0歳6ヶ月ごろに形成されてくる。
⑵声調にとらわれない反応が0歳6ヶ月ごろから生じてくる。
⑶0歳の終期には、音声だけでなく、それが生じる場面の性質が子どもの反応の型を規定してくるので、見かけ上の退行が生じるのであり、この期の反応傾向は発達の兆候を示唆するとみるべきだろう。
 音調・音色の識別は、成人でも重要な役割を果たしている。“ボクはこわいものなんかない”と「ふるえ声」でいう談話を聞いた人は、言語的表示よりも音調に反応し、「彼は怖れている」と解釈するだろう。この場合の音調は“談話の徴候”といわれる。徴候は、乳幼児が談話を“理解”する際、重要な役割を果たしている。 この徴候は音声パターンの変化とともに変化することが多いので、育児者は子どもが音声パターンそのものを識別し、言語理解ができているという感じに誘われることが少なくない。とくに、命令的な談話は、特殊な激しさをもつので、聞き手に注意を促し、特定の行動の解釈や制止を起こさせる効果が大きい。
 しかし、彼らにはまだ談話の構造(文)についての理解は欠けている。


【感想】
 ここで私が興味を惹かれたのは、新生児の「定位反射」から1歳終期までの「音調・音色の識別」に至る、発達のプロセスである。特に、「定位反射」は「社会性」を形成する源泉であり、また「精神発達」の基盤になる「好奇心」「探究心」の前兆であるという指摘は重要だと思った。
 自閉症児は新生児期において、①動く対象をある程度目で追ったか、②音のする方向に頭を向けたか、という2点をチェックしなければならない。
 また0歳3ヶ月以後、育児者の「声調・音色」を他人のそれと聞き分けられたか、親しみのある声調と怒りの声調に対して、どのような反応を示したか、ということも興味深い問題である。
 自閉症状を「心の理論」で説明する専門家もいるが、相手の心が読めない一因として、ここでいう「音調・音色の識別」が不十分なまま、「言語的表示」の意味理解が先行してしまったから、ということは考えられないだろうか。現代では、談話を「言語的表示」通りに解釈してしまう人を「空気が読めない」という。自閉症児に限らず「発達障害」というレッテルを貼られ、場合によっては(自発的に)そのレッテルを自分に貼っている人たちも少なくない。いずれも、新生児期、乳幼児期の「言語発達」がどのような経過をたどったかを、見直してみる必要がある、と私は思う。(2018.6.23)

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・48

4 言語理解の発達
【要約】
 発声行動の言語化が子どもの聞く談話の言語的理解を基礎として生じてくることは明白であり、使用に対する理解の時期的先行が1歳6ヶ月から3歳0ヶ月ごろまでではほぼ2~3ヶ月の間隔で、もっとも顕著に現れるといわれている。
 最初に、非言語的な側面における識別という、もっとも初期の理解を概観し、漸次、言語的により複雑な音声の理解に進む。
【感想】
 ここで重要なことは、子どもはまず大人の談話を「聞いて理解し」、ほぼ2~3ヶ月後に、その談話を発声行動化できるようになるというプロセスである。したがって、1~2歳児に、談話を聞かせ即座に発声させよう(模倣させよう)としても、無理な話である。子どもは、まず談話を聞きその意味をわかるようになる方が先だ、ということがよくわかった。一般に「語学学習」では、談話を意味とともに聞かせ、すぐに「発音練習」(リピート)をする傾向が目立つが、その方法こそが言語習得を困難にしているのではないか、と私は思う。もともと言語は「学習」によって身につくものではない。私たちは、義務教育で英語を学習したが、身についていないという事実が、そのことを証明している。
 言語の習得は、「(育児者との)声のやりとり」(かけあい)が原点であり、その「繰り返し」(習慣)によって可能になるのではないか、と私は考えている。言語は「学習」ではなく「習慣」(育児者との相互作用)によって身につくという考え(原典は「国語学言論」・時枝誠記)が正しいかどうかを検証するために、以下を読み進めることにする。
(2018.6.23)

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・47

《象徴遊びにおける発声行為》
【要約】
 象徴遊び(“ふりをすること”“見せかけること”)に発声行為が伴うとき、その象徴的な特性はいっそう明瞭になる。
 ピアジェ(Piaget,1945)による観察事例をみる。
⑴Jという子どもは、1歳6ヶ月に、石鹸も水もその場になく、それらに関連のまったくない状況のもとで、手を石鹸で洗うかのようなふりをしながらavon[savon](石鹸)といった。
⑵同じJは、1歳8ヶ月のとき、紙など食べられないものを食べるふりをしながら、tres bon(とてもおいしい)といった。
 これらの場面で子どもが利用したものは、過去の彼の経験のなかにあり、発声をふくむその遊びは、もとの行為文脈を再現している。現在の行為は一種の非現前事象の記号になっている。しかし、この象徴遊びは、もとの行為の文脈を再現しているだけだが、さらに高い象徴的水準が1歳児にも生じてくる。
⑶Jは1歳9ヶ月に、貝殻を見て、まず、tasse(コップ)といい、そのあとそれを拾い上げて飲むふりをしている。
 この場合は、子どもの用いた記号ばかりでなく、記号の意味するものまで、もとの文脈から離脱している。このように、象徴活動としての発声行動が動作から独立し、かえって動作を調整し指令する側に立ち始めたということは、象徴活動の“精神化”ないし“思考化”ということを示しており、感覚運動期から脱皮する日の近いことを告げているのである。この問題は言語機能の自己行動調整の問題に密接に関連している。


【感想】
 ここでは、ふりをする、見せかけるといった「象徴遊び」の中で行われる「発声行為」が、動作から独立し、動作をコントロールするようになる事例が、Jという1歳児の観察を通して紹介されている。
 子どもの発声が、「感情の表現」から、語の使用によって「思考の手段」になっていくというプロセスが、たいへんわかりやすく説明されていたと、私は思う。
 予定では、抄読はこの章までと考えていたが、日本語の助詞、助動詞がどのようにして発現してくるかについては、まだ判然としないので、次章以降も読み進めてみたい。
(2018.6.22)