梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・《20》第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために(4)

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
【治療教育者からの助け】
《動物》
・動物も人づきあいを育てる架け橋になる。:絆ができたために、執着してしまって人を排除するようにならなければ、ペットは治療教育者としての可能性をもつ。親、特に母親が、自閉症児よりもその動物の方に多くの愛情を示してしまうおそれもあるので気をつけたい。小動物だけでなく馬もよい。1979年3月だけでもイギリス中の130以上の特殊学校が、この種の施設(乗馬クラブ等)を利用している。
《他の子どもからの働きかけ》
・子どもたちも自閉症児を助けるのに貢献することができる。子ども同士が集まって遊ぶというだけでなく、幼い子どもには独特の微笑があり、それを交わし合うことも効果をあげるだろう。ダウン症児と自閉症児は、同じ学校で一緒に教育を受ける方が有益ではないだろうか。ダウン症児の愛想のよさ、人との接触を求める時のおだやかな熱心さのは、自閉症児にとって受け入れやすく、抵抗できない。ダウン症児は教えられることを嫌がらないので、教師は彼らの指導に多くの時間を費やしやすい。その結果、自閉症児には侵入的な働きかけが減る一方、ダウン症児が教えられているのを見ているだけで、たくさんのことを学ぶチャンスがもてる。正常な子どもも治療協力者として役立つ。自閉症児を普通学校に「柔軟に」所属させ、パートタイムの「家庭教師」の援助を受けられるようにするやり方は大いに可能である。自閉症児を普通学校に統合することは容易なことではないが、まったく違った性格の障害児のための学校に放り込んでおくのは安易である。
・自閉症児の兄弟姉妹は破壊的にも建設的にもなりうる。自閉症児の兄弟姉妹が、自閉症児を「できない」とか「おかしい」と言って傷つけることがあるが、逆に、自閉症児が、年下の子の面倒をみたりして(他を援助することによって)、本人のためになるというケースもある。(10章のジュディとジョージの事例)
【遅れ】
・大部分の自閉症児は、多かれ少なかれ「ちえ遅れ」(発達の遅れ)を示している一方、著しく優れた能力の「片鱗」を示している。この二面性(「寄せ木細工」的遅れにどう対処すればよいか、について述べる。
《その子がその瞬間どんな情緒的ニーズを持っているか》
・自閉症の子どもが特定の瞬間にどの年齢水準で扱ってもらいたいと思っているか、「今、この瞬間子どもを動揺させているのは何か」を、可能なかぎり判断・推測しなければならない。それに失敗すると、爆発的なかんしゃく、破壊的行動、突然のひきこもりを起こしてしまうことがあるからである。
《あともどり現象にも忍耐強く対処する》
・環境の変化などにより、子どもが「あともどり現象」(乳幼児期への退行)が現れた場合、一時的に、その子の年齢より幼い者として扱うのが、いちばんよい。
・ただし、子どもにある程度の自立を促すことは放棄してはならない。「後もどり」に対しては、情緒的により幼い段階に合わせるために、ねらいとするレベルだけを変えるのである。このような場合には、自己探索を含む乳児期的な形の探索行動(常同行動)に逆戻りすることがあるが、ただひたすら受け入れて耐えていかなくてはいけない。それが安心感を与え、赤ちゃん時代への逆もどりから救い出すのには、いちばん効果的であろう、というように希望的に考えるとよい。「あきらめではなく忍耐」を標語として、屈して絶望してはいけない。
《朝の子どもの様子を一日の指標に》
・朝起きて初めて出会った時の行動を、とくに気をつけて見るのがよい。その時の動きや一般的ぎこちなさのレベルは、その日一日の到達レベルを予想するうえでの的確な指標になる。この種の「指標」によって、一日の始まりに、その日は望みを高くできるか、きつい要求を控えるべきか、判断する。(10章 ジョージの事例)
・自閉症児の遅れ・後もどり(が顕著、もしくは生じた場合、それ)に「合わせようとする意欲」と忍耐力の欠如が「問題」なのである。
・その反対の状態(特殊な才能、優れた能力の「片鱗」)の対処法については、次節に関連させて述べる。
【「技能」を教えること】
・自閉症児は、情緒面および「実行能力」(知覚面運動面の弱さ、成績不良、知的な低さ、ことばの貧困さを含む)の発達において著しく遅れている。そのため、多くの親や教師は情緒面の成熟を願うだけでなく、「技能」面でもなんとか追いつかせたいと願う。子どもの年齢が高くなればなるほど、(「下向きのらせん」にはまっていた期間が長いほど)その傾向は強くなる。試験に受かったり、卒業証書を手に入れたりすることが、大人社会にうまく適応していくための「不可欠条件」になりつつある現代社会の重圧に起因している。子どもが小さかった頃にはきっとよくなると思っていたが、あっという間に月日が経って、乗り越えなければならない「学業」の壁が目の前に現れることによってパニック状態になる親がたくさんいる。そうなると、親は教育機関や試験制度が要求する「技能」を身につけさせようとして、子どもに加える圧力を大きくする。「しかし原則としてこれはうまくいかない」ばかりか「逆効果」である。自閉症児は(情緒的レベルの治療の一環として行わない限り)、「反復練習」を妨害したり、消極的抵抗を示したり、破壊的になったり、攻撃的になったり、かんしゃくを起こしたり、「ひきつけ」や「発作」を起こしたりする。自閉症児は一義的には情緒的に傷つけられている子どもたちであり、その不安を減らして安心感を与えることさえできれば、各種の技能面の能力は急速に進歩する。安心感が、子どもが覚えたいという気持ち(意欲)を育てるからである。
《自閉症児の多くは水面下で多くのことを学んでいる》
・ごく幼い正常な子どもの多くが、テレビのコマーシャルを見たり聞いたりしていて読むことを覚えてしまうが、自閉症児の一部にもあてはまる。
・親や教師は、子どものこういうかくれた発達を発見する努力をすることが重要である。
・それができれば、技能を教えようとする無用な努力に多くの時間を空費したり、多大なフラストレーションを感じないですむ。
・ドナルド・ヘップという心理学者が若い時、チンパンジーに弁別テストをやらせていたところ、退屈したチンパンジーが報酬のバナナを彼に手渡したという有名な話もある。
《瞬間的な「教えてほしい」気持ちにすばやく反応する》
・情緒的レベルの治療「のみに頼りすぎる」ことは、最善の方法ではない。自閉的逸脱がごく早期に発見された子どもの場合には有効なことがあるが・・・。
・長い間自閉的状態にいた子どもの場合、情緒面の回復を促しながら、技能を教える方法を探求する努力が必要である。
・技能を教えようとする場合、子どもが「ごく瞬間的に示す、教えてほしいという気持ちの兆候」を見つけて、それにすばやく反応することが大切である。興味をもち始めたことを示す兆候を注意深く見つけ、執着的遊びに近いようなことでも、それに熱中できるように配慮してやるのがよい。
・積極的になにかやりとげた時には、それを認めてやるのがよい。
《覚えさせたい課題に大人が集中のそぶりをする》
・自閉症児の「注意集中時間」は、抜群に長い。(短いと言われるのは、興味のないこと、恐れていることを強制される場合である)
・ウォールドン博士のような教え方は、子どもの知覚的・運動的・知的技術を伸ばすのに有効であり、情緒的均衡を回復することにもなっている。
・大人のほうが、自然のやり方で、その課題に夢中になっているようなそぶりを見せると、子どもは、自分もそれに「少し」参加し、「少し」まねもしてみたいと思っていることがたいへん多い。(有効である)
《辛抱強く「遊びへの誘い」を》
・子どもは、通常最初は(少しもじもじしながら)大人のすることを観察し、ついでに参加したそうな様子を示し(じゃまに入るという形をとることもある)、こちらが辛抱強くしていると、完全に参加してきて、その後は(ほんの一瞬ながら)その気になって子どもが自分で「とって代わる」ようになる。
・自閉症児は、何かの技術を覚えようとしてたいへんな執念を示すことがある。それを覚えれば大いに自尊心が高まるようなこと、仲間の子どもに対して鼻が高いようなことの場合に、最も起こりやすい。周りの子どもや大人の辛抱強さのなさや諦め、嘲笑が、自閉症児の積極的な「やる気」をくじいてしまわないように注意しなければならない。
《音楽・算数・絵画・外国語・・自閉症児の多彩な才能》
・音楽と踊り、この二つの活動はごく自然に一緒になる。その助けを借りれば、活動の幅が広がり、遊戯的演技に結びつけることができる。(音楽が聞こえるとからだをゆすり始めるという「常同行動」を少しずつ着実に変化させ、ついには創作舞踊に変えてしまった、という実践例がある・ユトレヒト大学カンプ教授)
・「ごくありふれた自閉症児」でも、正常ないし普通以上の芸術的(音楽・絵画)ないし知的能力(算数・読み書き・作文・外国語)の片鱗ないしかけらをもっている。
《才能の「片鱗」をどう扱うか》
・その面のその後の発達は子どもに任せ、対人関係づくりに集中すればよいといえそうだが、そのような特殊な能力に対しては、これを伸ばすようとくに考えてやるのもよいのではないか。
・「高い能力の片鱗」は、子どもが遠くから観察したり、自分ひとりで練習したりして学ぶことができるが、もし、そのような才能をもっていることと、「自閉症発生要因」に格別影響されやすいという性質の間に《相関》があるとすれば、そういう子どもをどう治療したらよいかは重大問題になってくる。そういう活動をさせておくと、ますます対人行動をさけるようになり、自閉的逸脱を悪化させるのではないか、という心配が生じる。その可能性もないことはないと思うが、一般方針としては正しいとは思えない。
《「教育」によって独創的才能を失った子ら》
・教育機関における団体訓練的性格・技術を教え込むことを狙った教育が、子どものもつ「高い能力の片鱗」を摘み取ってしまうことは十分にありうる。
・特殊な才能をもった自閉症児の教育は、治療の焦点を「情緒的レベル」にあて、一方そういう才能をさらに発達させることも怠らない、という方針に沿って行うのがよい、と思う。
・「高い能力の片鱗」は、全体的治癒への第一歩として大いに活用すべきものである。それは対人関係の「架け橋」としても役立つであろうし、「何かがよくできる」という自信を与えるのにも役立つ。


《感想》
 ここでは、両親以外の「治療協力者」として、「動物(犬、猫、馬)」、「他の子ども」、「兄弟姉妹」が有効であること、その際に気をつけなければならない留意点について述べられている。「他の子ども」とは、幼稚園・学校のクラスメートのことだが、現代の「競争教育」の中では、治療協力を求めることに限界があるだろう。むしろ、学級集団の中における自閉症児は、「他の子ども」の感性や対人関係能力を高めうる、「不可欠」な存在であるという認識(理念)が必要であり、それが「競争教育」(荒廃した学校の現状)を告発・改善しる突破口になうのではないか、と思った。また、「兄弟姉妹」との関係づくりも、その家族集団のあり方にかかわる根源的な問題と深く関わっており、ここでもまた「競争社会」に家族がどう対峙するか、というテーマに家族全員が取り組まなければならない。自閉症児が、兄弟姉妹の中で孤立し、疎外されていく事例(事件)は後を絶たないのが、日本の現状ではないだろうか。そんな折り、〈自閉症児は、「自分より不幸な他の子ども」とか病人とか動物の手助けを敏速に行う傾向がある、自分の方から積極的に他を援助することができ〉〈そのことは本人にとってたいへんためになる〉という著者の指摘は、大きなヒントになると、私は思った。
 次節では、自閉症児の「遅れ」「後もどり現象」、またその反対の「特殊な才能、優れた能力の片鱗」にどう対応すればよいかが、詳細に(微に入り細に入り)述べられている。要するに、「遅れ」「後もどり現象」に対しては、「耐える」「待つ」ことが大切であり、同時に「なぜ遅れているのか」「今、この瞬間、何が子どもを動揺させているのか」を推測する「観察力」「洞察力」が不可欠になるということであろう。また反対の「特殊な才能、優れた能力の片鱗」については、それを「ひきこもり」「自閉的逸脱」の悪化と心配するのではなく、対人的関係の「架け橋」として利用したり、(自発性を高める)「自信」を育てるために、さらなる発達をめざすべきである、ということがよくわかった。(2013.12.7)

「自閉症 治癒への道」解読・《19》第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために(3)

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
【その他の配慮】
《安全な隠れ場所の重要性》
・自閉症児の場合も、回復するにつれて「安全の傘」は、徐々に「代理人」で代わりうるし、必要な回数も減少していく。(大事なことは子どもが安全だと感じていることである)
・ひき続き進歩していくと、子どもは自分だけの個人的な、安全な、仕切られた一隅、部屋(「自分の城」)をもつことが大切である。対人的なやりとりをする時間の合間には、そこにじっと引っ込んでおくことを許すことも必要である。
・そこには、専用のおもちゃ、等身大の鏡(自分の鏡像との相互交渉が行える)などを置いておくよよい。
《「自分の城」の中で自閉症児は何をしているか》
・自閉症児の場合、誰からも見られていないと信じてリラックスしている時には、多くの技能を独力で練習する。本を読む、歌を歌う、絵を描く、音楽を聴く、おもちゃで遊ぶ、など。
《接触を欲する呼び声には必ずすぐに答えること》
・子どもはひきこもろうとする時でも、一方ではそれと同時に、離れたところにいて関心をもってくれる人の存在と、その人からの安心させるような信号を受けることを欲している。子どもがそのような接触を欲している場合には、すかさずそれを感じとるようにすることと、その時それを拒否(無視)しないことが重要である。
・自閉症児の場合(でも)、接触のための呼び声が発せられるたびに必ず答えてやることが非常に重要である。
《歌うことがいかに子どもを安心させるか》
・母親が歌を歌うことは、子どもを安心させ絆を強める。
《迎えてくれる人がいると安心する》
・学校や出先から帰ってきた時、何らかの出迎えを受けたがる。「返答」「おやつ」などで出迎え、子どもを安心させることが大切である。また、家事が混沌としてスケジュールが一定でないと、子どもは不安になる。予測可能な生活は、自閉症児を安心させる。


《感想》
ここまで述べられていること、【その他の配慮】は、すべて自閉症児の「不安」を取り除き、安心感を育てることによって、積極的な接近・探索・学習行動を促進(好奇心・意欲)を高めようとする配慮事項である。「抱きしめ療法」によって、母子の絆が回復・確立した後でも、子どもは、ちょっとしたきっかけで「後戻り」してしまう。それを防ぐために、あるいは「再回復」をめざすために、環境的な安全基地(「自分の城」)の確保や対人的な配慮(「返事」「歌による呼びかけ」「出迎え」など)が必要であり、決して油断してはならない、細心の注意が必要であることがわかった。
以後は、いよいよ「どのように教育していけばいいか」(生活指導・技術教育)という段階に入る。


◎要約
【自立性と自発性を育てる】
《一緒にいることとひとりにすることのバランス》
・手をかけてかばってやるという面と、自分ひとりで探索したり練習したりする活動を許すとか励ますという面の釣り合いをどのへんでとるべきか、ということはまことにむずかしい。
・あまり気をつかってかばいすぎた子どもの場合には、何もかも親や教師のほうから先に手を出してやってもらえるものと思う態度ができてしまいやすい。(衣服・靴の着脱など)・自閉症児の場合、まったく依存的で自発性に欠けているため、「自分から進んでやることを教える」ことが、格別重要な意味をもってくる。忘れてはならないのは、自閉症児はすべて病的に臆病で進取の気性に乏しいので、自分から進んでやるという方向に前進することは、子どもにとってたいへん勇気のいることだ、ということである。
《対人関係の中の活動に参加する手助けを》
・子どもの安心感を深めることと「並行」して、人からの教示を受け入れることや、対人的状況の中で行われるさまざまな活動(探索行動)に参加させようとする時、その成否は「対人的に好ましい状況にあるか」「家という安全基地をもっているか」にかかっている。・長い間、自閉的状態におかれた子どもの場合には、母子の絆を回復するだけでは不十分で、教示を受け入れられるように、また活動に参加することを通して学べるように、手助けをしてやる必要がある。(情緒面の治療と並行して探索行動を奨励することが大切であることは間違いない)
・例えば「水泳教室」に参加させる場合:いちばんよいのは、両親と一緒にやってみることであるが、問題は、そのタイミングを誤らないことである。子ども自身が示すちょっとした志向動作を手がかりにするのがいちばんだが、それを見逃さない知覚力と敏捷な反応が要求される。
《小さな課題でもやりとげた喜びから自発性をとりもどす》
・自閉症児(者)は「その気になりきれなかった」という理由で、自発性を失っていくのかもしれない。マーチン・セリグマンの研究書「学習された無力感」の見解によれば、それは、うつ病、不安神経症、一部の分裂病患者、とくに長期入院患者に「典型的」だという。彼はそういう患者に、長年、人にやってもらっていたような仕事(ベッドメーキングなど)をやってみようと強く勧める(「段階的課題」療法)ことによって、自発性をとりもどさせる方法を述べている。この方法(患者の意志に反した、強制的なものだが)を一段一段進めていくと、患者はほどよく自発性を回復し、そのほうがずっと気分がよいと感じるという。ウォールドン博士のやり方も、子どもに何かをやりとげる喜びを経験させ、そのことを通して、長いあいだ臆して手を出せないでいた課題に自分から取り組もうとする勇気を育てている。
《あくまで絆の再建を基本に》
・ウェルチ博士によれば、自発性というものは対人面でも探索面でも、まったく刺激を与えなくてもひとりでに回復してくるそうだ。
・しかし、それだけでは無理な場合には、格別な特別な援助が必要になるだろう。あくまでも絆の再建を基本におき、子どもの不安が高まらないように配慮する必要がある。
《暖かい暴力が効果をあげることもあるが》
・叩くことやその他の体罰を組織的に加える行動療法は、無効で残酷な対症療法である。【「わるいいたずら」・破壊・攻撃としつけの必要性】
《わるいいたずらの許容範囲を見直す》
・「わるいいたずら」ということは「子どもの行動」だけを言っているのではない。「大人にとって不都合」「イライラさせられて耐えがたい」という意味を含んでいる。本当は困ったことではなく、自然なことであり、場合によっては子どもの「権利」であったりする。
・子どもには「探索」する権利がある。「動き回る」権利がある。「話す」権利もある。(ただし、食事中は動き回ってはいけない。人が話している時は耳を耳を傾けなければいけない)自閉症児の親も、子どもの立場にたって考えてみる必要がある。「このことは本当に禁止しなければいけないことだろうか」と自問しなくてはいけない。
・自閉症児の場合、「わるいいたずら」は、もっと幼い子どもなら許せる種類の行動である。(トイレの水で遊ぶ、飲むなど)探索行動をしそびれてきた子どもの、それを取り戻したいというやむにやまれぬ衝動を感じているのかもしれない。ところが「こんなに大きいのにいつまでも子どもっぽいいたずらをする」とか「たいへん困る」とか「不衛生である」とかいう理由で禁止されてしまう。
《わるいいたずらに代わる場を与える》(子どもの注意を他に向けさせる)
・水遊びをしたがる場合は、浴室、プール、海水浴で一緒に遊ぶのがよい。プール(水に浸かること)は、精神高揚効果、緊張をとる効果がある。
・尿や便をいじって遊ぶ場合は、いやだという気持ちを乗りこえて、大便などのもつ不快な性質がわかるようになるのに、ある(短い)期間が必要だということを認めなくてはいけない。それは子どもにとって必要な「学習」である。自閉症児の場合、刺激に反応することを覚えにくいため、長い時間が必要になるかもしれない。
・電灯のスイッチをつけたり消したりすることも、長く続くことがある。正常な子どもの場合は短期間ですむが、自閉症児の場合は、長い期間にわたってくり返さなければならないということであろう。
《どうしてもいけないことをわからせる》
・「それが親にはどうしても我慢ができないことがある」ということをわからせることも、必要不可欠である。「言って聞かせる」「怒って叱る」などの方法で「一貫」した禁止をすることが大切である。水遊び、泥遊び、便遊び、食べ物を散らかすなど、子どもじみた行動(悪癖)は「無数」にあるが、それをくり返そうとする衝動は、結局は病気の一部であり、正しい取り扱い(一貫した禁止・鉄の掟)をして、子どもが情緒的に進歩してくると、「ひとりでに」消えて行くものである。
《わるいいたずらへの対処法は「よい母」を見習う》
・「それはダメよ」と言って聞かせるだけでよい場合もある。
・「そうすると他の子どものすることを妨げたり、傷つけたりすることになる」と言って聞かせるとわかる自閉症児もいる。
・悪い癖がつき始めようとしている時、目ざとく見つけて、つぼみのうちに摘み取ることが大切である。
・「わるいいたずら」の原因が「人の注意を惹こう」とする手段である場合がある。そのような対人関係づけをしようとしている動きを「認めて」、積極的な対人行動(抱きしめ等)で応えることがたいへん重要である。
・「わるいいたずら」の理由として、極度の疲労、病気のはじまりがもとになっていることがある。そういう場合は、安静が最良の解決法になる。子どもが抵抗しても、それを無視して必要な手当をすることが最善の方法である。
・すべての形の「わるいいたずら」に、子どもは何を望んでいるか、どういう衝動に駆られているかを、直観的に不思議なほどの感覚で察し、効果的に対応できる(特殊な才能をもった)母親もいる。そうした「優秀な親」のやり方を観察し、学ぶことが大切である。《爆発は相手または何かを強く望んでいる表れのこともある》
・破壊的な行動がひどく激しく爆発するのは、子どもが何かの理由で強い「欲求不満」を感じている時の場合のこともある。(人に近づいて話をしたいが怖くてできない、ことばが話せないためにできない等)
・子どもがいつ、ひとりで放っておいてほしいと思っているか、相手がほしいと思っているかを見ぬくことが大切だが、難しい。
・「わるいいたずら」は、敵意に満ちた攻撃的になることもある。それを解決した理想的な事例:訪問していた家から帰途に就こうとした時、8歳の息子が「いやだ」と言い出して、ぐずっていた。その子は帰ろうという「命令」にいら立って、父親の皮膚をいやというほど強くつねり、顔に激怒の表情をうかべながら「それがイタイ」と言った。父親はただごく平静な声で「そうだねジョン、それはイタかった。さあ言われたとおりにしよう」と言った。それですべてのトラブルが一挙に解消した。
《寛容と統制の均衡のとれたしつけ》
・現代の都市社会は、変化する状況に適応しきれず、子育てにあたってのしつけ方が標準化されていない。家庭内の決まりををしっかり守ること、正直、責任感、善良な市民としての感覚等を植えつけることは必要だが、そういう昔からのしつけや、新しいしつけの必要性については無頓着な親が多い。しかし、寛容と統制の均衡のとれたしつけを、見事にやっている親もいる。自閉症児の親にとっていちばんよいのは、そういう親を見習うことではないだろうか。


《感想》
 ここでは、自閉症児を「どのように教育していけばいいか」(生活指導・技術教育)についての、基本的な方針が述べられている。まず、その1は「自立性と自発性を育てる」ことである。ウェルチ博士は、母子の絆が確立すれば自発性はおのずと回復してくる、という考えだが、そのことを前提にして、これまでの養育態度に問題はなかったかを見直す(反省する)ことも必要であろう。とりわけ、親の「過保護」「過干渉」が、子どもの自発性を妨げている場合が多いと思われる。〈あまり気をつかってかばいすぎた子どもの場合には、何もかも親や教師のほうから先に手を出してやってもらえるものと思う態度ができてしまいやすい。(衣服・靴の着脱など)・自閉症児の場合、まったく依存的で自発性に欠けているため、「自分から進んでやることを教える」ことが、格別重要な意味をもってくる。忘れてはならないのは、自閉症児はすべて病的に臆病で進取の気性に乏しいので、自分から進んでやるという方向に前進することは、子どもにとってたいへん勇気のいることだ、ということである〉という一節には、思いあたる両親・教師が多くいるはずである。その結果、子どもの心中は「学習された無力感」でいっぱいになり「その気になりきれぬまま」無為な時間を過ごしてしまう危険はないか。親の「過保護」「過干渉」は、うつ病、不安神経症、一部の分裂病患者、が長期入院している病院の「介護」と「瓜二つ」であることを肝銘しなければならない、と私は強く感じた。また、その2は「望ましくない行動」(わるいいたずら、破壊、攻撃性)を軽減・消失させる、ということである。それらの行動はこどもによって「千差万別」だが、どの行動にも共通している対処法は、「子どもは本当は何を望んでいるのか、どういう衝動に駆られているのか」を直観的に察し、その場その場に応じた対応を「創造」することだ、と私は思う。そのようなことができる人は少ない。しかし、そのような人に出会う努力をすれば(情報収集・文献研修・親の会への参加等々)、必ず見つかるに違いない。そうした先達から学び、試行錯誤することが両親の(子どもに対する)責務ではないか、とも思った。(2013.12.6)

「自閉症 治癒への道」解読・《18》第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために(2)

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
【情緒的絆の回復】
《抱きしめる行為ではなく「心」が重要》
・自閉症の子どもの母親にできる最良のことは、「抱きしめ」(ウェルチ療法)により、自分と子どもの間の絆を確立ないし再確立するための自分なりの方法を打ち立てることである。これは子どもが幼いほど効果的だが、どの年齢の子どもにも有効である。
・抱きしめ治療は毎日行うべきだし、母子双方がやりたい気分の時に行うのが望ましいが、どちらかないしは両方とも「今日は気がすすまない」という気持ちの時にもやるのがよい。治療開始当初は、1回も抱きしめを行わない日がないようにすべきである。じゃまが入らないような部屋で、心地よい長椅子か床の上の適当な位置(たとえばマットレス)を選ぶのが最もよい。最初の治療は不快なほど長く続くかもしれない。子どもがもがいたり抵抗したりしている間はやめないことが大事である。子どもが本当に母親に寄り添ってくるまで抱きしめなければならない。母親が子どもを抱いている間、父親は母親を精神的に支えることが望ましい。
・大事なのは抱きしめ(接触刺激を与えたり受けたりすること)という機械的行為ではない。肝心なことは「心理的」(情緒的)内容であり、これは抱きしめている間のふるまい方によって大きく左右される。機械的・義務的にやったり、退屈そうにやったり、いやいやながらとか、敵対的なやり方などをしては、子にも母にも益にはならない。
《抵抗の陰の抱きしめられたい気持ちを理解しよう》
・子どもが何歳であろうと、幼い子どものように思い、赤ちゃんのように扱うのである。優しくかわいがり、軽くあやしたり抱き寄せたり、キスしたり、背中やおしりを軽く叩いたり、背中をなでたり、自分の胸のまわりに子どもの腕を回したり、自分の腕を子どものからだに巻きつけ、ごく親しげに話しかけ、子どもにも話したり反応したりすることを励ます。子どもがもがいたりしたら、自分の脚も使って子どもを抱きとめるようにする。できるだけ胸と胸との接触を保つように心がける。子どもがどんなに激しくもがいたり距離をおこうとがんばっている時でも、子どもは同時に抱きしめられたいという「どっちつかず」の気持ちでいるのだということを忘れてはならない。子どもは赤ちゃんのように扱われたいと思っていることを忘れてはならない。抵抗は子どもの「一面」の表現にすぎない。その「一面」を減らし、なくすことが治療の目的なのだから。
・抱きしめ療法は、長く続き、身体的にくたくたになり、心理的にもつらいことがある。子どもが母親に抵抗したり、母親を責めることばを投げつけた場合でも、優しく温かい態度をとり続けなければならない。「献身的」な努力が必要である。
《子どもの精神のレベルにあわせて語りかける》
・子どもが飽きてしまったという様子を示し始めても、母親は簡単にあきらめてはいけない。子どもが興味をもっている物語を聞かせる、童謡を歌ってやるなどしながら、「身体接触」を増し、続けることが大切である。語りかけは、原則として、ごく幼い子どもの「精神年齢」に合わせるようにしなければならない。自分の顔を子どもの顔の高さまで下げることも大切である。以上のことを、すべて臨機応変にやらなくてはいけない。
《父親にも母親とは別の役割がある》
・父親の役割は、子どもと遊ぶことである。「じゃれ遊び」「床の上を這い回る」「いないいないばあ」「ぶらんこ」「キャッチボール」「散歩」(探索)などである。
・父親の日常的な家事(皿洗い、修理、庭いじりなどの作業)を観察させることも大切である。しかし、「無理じい」してはならない。大部分の自閉症児は、そのような場面で見たことをたくさん吸収したり利用したりしている。
《刺激の必要と過刺激の危険》
・子どもが必要としているのは、「特別の種類」の刺激であり、それは「対人的行動」や「探索的行動」「食べること」「眠ること」などのような健全な行動をひき出したり導いたりする刺激である。恐れやパニックをひき起こすような刺激、子どもが望んでいないような「過」刺激は決して与えるべきではない。
・現代社会は「情報入力過負担」の悪条件に満ちている。刺激の多過ぎは、たとえそれが知的には有効なものであっても、「脳の」発達ばかり強調しすぎる傾向のある中流階層の家族ではぜひ「避ける」べきであると思う。
・自閉症児では過刺激が恐れやひきこもり傾向を強めてしまうことがある。また、あまりにも侵入的な干渉によって、子どもをうんざりさせてしまうこともある。
・刺激の多過ぎが子どもに「興味の葛藤」をひき起こすこともある。(例1・1歳の子どもが大喜びで父親と「じゃれ遊び」をしている最中に、誰かがラジオをつけた。子どもは、その音楽に気をとられ、跳ね回るのをやめたが、どちらに集中してよいかわからず葛藤していた。例2・自閉症児のための学校などでも、「認知」の欠陥であるいう考えを信じている教師が、あまりにも多くの異なった刺激を同時に与えて、子どもを混乱させていることがあった) 
・子どもが、何かをもたもたやっている時に、せっかちになって、代わってやってしまうことのないよう、気をつけなくてはならない。子どもは、自分のペースで技能を伸ばしていく機会、自力でできたことの自信を奪ってしまうからである。


《感想》 
 ここで述べられていることは、「指導法の実際」の《核心》である。著者が提唱する「抱きしめ療法」のやり方が、具体的に(詳細に)説明されている。さらに、その《本質》もまた明解に語られている。著者いわく、母親が子どもを抱きしめようとする時に、子どもが示す、「抵抗は子どもの一面の表現にすぎない。それはあなたが治療したいと願っている病気の一面であり、その根底にあるものである」。すなわち、自閉症とは、母親に抱きしめられようとした時に示す「抵抗」そのものとして現れている、それが自閉症の本質であるという認識である。したがって、その「抵抗」を軽くすること、やわらかくすることを試みながら、なくなるまで「持続」することこそが「自閉症治癒への道」に他ならない。まさに、本書のテーマ、そして自閉症治療の本質(仮説)が述べられている、《最重要部分》だと、私は思う。あとは、どのようにして母親を「その気に」させるか、どうしたら「できたことを悔やんでもしかたない。今問題なのは、どうしたらこの子を治せるかということだ」という気持ちにもっていけるか、そして「うまくいくのではないか」というような気軽な受け身的な信念ではなく「うまくいかせてみせる」という楽観的決意の態度を育てるか、私たち自身の「あり方」が問われることになる。(2013.12.5)