梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)

 ユーチューブで「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)を観た。タイトルに「恋の花咲く」という文言が添えられているように、この作品は川端康成の原作を大きく改竄している。それはそれでよい、むしろその方が映画としては面白かった、と私は思う。主人公の学生・水原(大日向伝)は原作の「私」とは似ても似つかない快男児・好青年として描かれていた。水原が伊豆を旅して巡り合った旅芸人たちとの「絡み」と「行程」はほぼ原作を踏襲しているが、随所、随所に伏見晃の脚色が加えられている。その一、冒頭に登場するのは、自転車を全速力で走らせる一人の警官、伊豆の温泉町にある旅館・湯川楼の内芸者が借金を踏み倒して逃亡したと言う。村人に目撃者がいないかを尋ねているところに、かつて湯川楼に出入りしていた鉱山技師久保田(河村黎吉)も加わり、金鉱の山を買って大儲けした湯川楼の噂をする。その二、ある村の入口で、一人の虚無僧が立札を見ている。「物乞い旅芸人立ち入るべからず」と書かれている。彼は立札を引き抜き倒して立ち去った。その様子を見ていた村の子どもたち。後から来た旅芸人の娘(薫・田中絹代)が倒されている立札に気づき手にしたところを村人から咎め
られる。「役場に来い」などと言われ娘の兄(永吉・小林十九二)が無実を主張し小競り合いが始まった。そこに通りかかってのが水原で、村人に「引き抜いた所を見たのか」と確かめる。「あたい見たよ」と証言したのは村の子ども、「さっき尺八吹きの男が引き抜いたんだ」。かくて旅芸人一同の窮地は救われた。以後、水原と旅芸人の旅程が始まったのである。その三、湯川楼という旅館は、水原の先輩・隆一(竹内良一)の実家、主人の善兵衛(新井淳)は永吉の父とも懇意にしており、旅芸人になった永吉、薫たちの後見人という立場であった。永吉の父から買った山から金鉱が出たが、儲けた金の一部は薫名義で貯金している。ゆくゆくは堅気の生活に戻って、薫を隆一の嫁にしたいと思っている。その四、技師の久保田は湯川楼の繁盛振りを見てなにがしかの現金を強請り取り、永吉にもけしかける。「君はダマされたんだ。分け前を貰って一緒に金鉱を掘りてよう」。そそのかされて永吉は湯川楼に向かったが「金が欲しければ妹を連れてこい」と追い返された。その様子に義憤を感じた水原も湯川楼に談判に行くが、そこで善兵衛の真意が解るという次第。その五、大詰めの下田港、水原は《先輩・隆一のために》薫との恋を諦める、真意を打ち明け「このことは誰にも言ってはいけないよ」。薫の櫛と水原の万年筆を「愛の形見」として交換する。
 以上は、川端康成の原作にはない「脚色・演出」である。まさに「文学」と「映画」(演劇)の違いが際立つ、傑作に仕上がっていたと、私は思う。加えて、見どころも満載。二十代の田中絹代が演じる薫の姿は天衣無縫、おきゃんで惚れっぽい娘の魅力が存分に溢れていた。大日向伝の「侠気」もお見事、さらに温泉宿には遊客・坂本武、芸妓・飯田蝶子までが登場、旅芸人・小林十九二と「剣舞・近藤勇」を競演する場面は抱腹絶倒、悲喜劇を同時に味わえる逸品であった。
 この作品は、「伊豆の踊子」映画化の第一作である。以後、薫役の美空ひばり版(1954年)、鰐淵晴子版(1960年)、吉永小百合版(1963年)、内藤洋子版(1967年)、山口百恵版(1974年)、早瀬美里版(1993年)が作られているが、それらの全てを見比べてみたい衝動にかられた次第である。
(2017.1.28)

信心(信仰)のポイント

 「苦しいとき(困ったとき)の神頼み」という言葉があるが、苦しいとき、困ったときに神仏を頼っても効果は期待できない。普段は神仏を大事にしていないのに、困ったときだけ「お願い」するというのは虫が良すぎるからである。
 信心で最も大切なことは、お願いしたり祈ったりすることではなく、《感謝する心をもつこと》だと思う。たとえ苦しくても、まだ辛抱できるときに、そのことを感謝するのである。「ありがとうございます。この程度で収まっているのもあなた(神仏)様のおかげです」というように。そう念じながら「ナムアミダブツ」「オオヤマネズノミコト」「オオ、主イエスキリストよ」「ナムミョウホウレンゲキョウ」などと唱えるのがよい。病に罹っている場合など、不快感や苦痛の激しいときではなく、小康状態のとき、「今日は気分がいい」というときなど、「ありがとうございます。おかげさまで今日は快いひとときを過ごすことができました」と感謝し、そのときの気分や体調を《記憶にとどめる》ことがポイントである。つまり、《体調や気分がいい》という快感と《感謝の祈り》を結びつけるのだ。 反対に、「苦しいときに神頼み」をすると、《苦痛や不快感》が《神頼み》と結びついてしまい、神頼み(祈り)=苦痛・不快感という等式が成り立ってしまう。 
 要は、その逆をめざすこと、神頼み(祈り・感謝)=快感という等式を、自分の中に創り出すこと、それが信心(信仰)の一歩ではないだろうか。
 そうすれば、本当に苦しくなったとき、辛抱できなくなったとき、「神頼み」の効果が顕れるかもしれない。
 だから、私はつねに「ありがとうございます。おかげさまでまだ辛抱できます。」と神仏に感謝するよう心がけている。
(2021.5.8)

「愛知県知事リコール不正署名事件」の《真相》・4

 愛知県知事リコールの会の事務局長が、署名書き写しの依頼を認めたことについて、5月6日の「虎ノ門ニュース」で、ジャーナリストの有本香氏と科学者の武田邦彦氏が言及している。いよいよ、リコール運動に関与した両氏が「責任をとる」段になったかと、期待して見聞したのだが・・・。武田氏は《相変わらず》選管やマスコミが《リコールに協力的ではなかった》という従来の主張を繰り返す。有本氏は《詳しい事情も知らぬまま》、《事務局長の段取りに従ってしまった》という《脇の甘さ》を露呈するだけで、だらだらと30分間も《堂々巡り》の話に終始していた。武田氏も有本氏も、ボランティアの受任者が《一所懸命に》《誠実に》リコール運動を展開していたというのなら、みずからも《一所懸命に》責任を果たさなければならないのではないか。
 私は3日前(5月4日)にも〈さて、高須氏は自らの責任を明言したが、彼とともに当初の記者会見に同席した(リコール運動に加担した)武田邦彦氏、百田尚樹氏、竹田恒泰氏、有本香氏らはどのような責任をとるつもりなのだろうか。興味深く、動向を見続けたい。お天道様が観ていますぞ。〉と書いたが、どのように責任をとればよいか戸惑っているようなので、具体的に提言する。今回の事件は、あくまでもリコールを推進する側の問題、いわば「身内の不始末」なのだから、解決するのも「身内の尽力」によらなければならない。選管やマスコミを当てにする前に、《命をかけて》(一所懸命に)リコール運動を「やり直す」ことが《すべて》なのだ。「虎ノ門ニュース」で、番組制作社の山田晃氏から「膿を出し切った後で、もう一度リコール運動をやる気はないか」と問われたが、武田氏も有本氏も「それはもう無理でしょう」と情けない言辞を吐いていた。まるで「他人事」のようであり、その程度の覚悟でリコール運動に関与したのかと思わざるを得ない。
 一人の首長を解職しようとするのに、《その程度の覚悟》で臨むとは《ふざけた話》だ。あきらめることも、逃げることもできない。リコール運動に関与した以上、最後まで趣旨を貫徹する(リコールを実現しようとする)のが、両氏(科学者、ジャーナリスト)のとるべき道なのである。
(2021.5.7)