梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・64

 次に、リズムはどのようにして美の要素となるのだろうか。
 リズムは一般にその基本単位が群団化して、より大きなリズム単位を構成する。国語におけるリズム形式の群団化の方法は、音声の休止である。言い換えれば、リズムを充填すべき調音を省略することである。|はリズム形式の限界すなわちリズムの間(ま)、○をリズムを充填する音声とすれば、休止による群団化は次のような形式になる。
● |○|○|○|休|○|○|○|休|○|○|○| (三音節による群団化)
 基本的リズム形式は、上の調音の休止の間も等時的間隔で流れていると見るべきである。休止が群団化の標識となるので、このような音声の連鎖においては特に強調音を必要としない。これが国語におけるリズム群団化の一つの重要な方法である。語の連鎖と休止との間には密接な関係があって、一語は休止を中間に挟むことが許されない。例えば、「桜」「椿」はそれぞれ独立した語であるから、
● |サ|ク|ラ|休|ツ|バ|キ|
 と分節されるが、「鶯鳴く」は、
● |ウ|グ|イ|休|ス|ナ| ク|
 となることはできない。
 次に、独立した語が助詞、助動詞に接続した場合には、接続したものが一群団の中に収められることが必要である。例えば、「雨は降れど」は、
● |ア|メ|ハ|休|フ|レ|ド|
 となるが、「桜は咲けど」は、
● |サ|ク|ラ|休|ハ|サ|ケ|休|ド|○|○|
 のようになることは許されない。このようにして、リズムの群団化は成立し、それによってそれを充填する語も制限されるわけである。
 次に、このように群団化されたリズムは、どのようにして美の要素となるか。一般には群団化されたものは、さらに大きなリズム形式の単位になるが、国語においては必ずしも単位とはなり得ない。例えば、
|○|○|○| |○|○||○| |○||○|○| |○|○|○| 3 3 3 3 上は三音節が単位となって進行するリズム形式だが、国語におけるリズム群団は、そのような形式の単位とはなり得ない。国語は音質の諧調変化によって、リズム形式を絵画的に、構成的に生かそうとする。休止によって群団化されたものも、絵画的あるいは建築的美の一要素となろうとする。こうして。リズム的群団の対比ということが。美的構成の重要な方法になってくる。すなわち、
|○|○|○| |○|○|○|○| |○|○|○|○|○|  3 4 5
 上の群団は、音節数において3、4、5の比を作っている。このリズム的群団を、語の音連鎖と休止との関係を考えて、語を充填して見ると、
● ウリヤ ナスビノ ハナザカリ
 と、することができる。国語の詩歌は、このような対比が相加わって構成されたもので、表面的のは七音節の規則正しい進行のように見えて、実は上に述べたような対比によって構成されたものが多い。
● イセヘナナタビ クマノヘサンド シバノアタゴヘ ツキマイリ
 上は、七七七五となっているが、実は三ー四、四ー三、三ー四ー五の比によって排列されたもので、そのような分析は、歌謡そのものの本質に即したものである。
 俳句の形式美は、五七五の形式自体にあるものであり、各リズム群団は、五七五の対比の上に構成される美の要素となる。ゆえに、各リズム群団は、五五五、七七七では不可であり、五七五という変化と統一を持った音節数の組み合わせが大切なのである。
 この原理は、和歌においても見出すことができる。和歌形式の変化と安定性は、五七五七七の音節群の配合分散による。安定性を与えるものが、五七五七(七)の(七)である場合、五七五(七七)の(七七)である場合によって異なるが、いずれにしても、音節数の対比の上に美を求めようとしたことに変わりはないのである。
【感想】
 ここでは、国語のリズムがどのようにして美の要素となるか、について述べられている。国語のリズムは、強弱・強弱・強弱・・・(二拍子)、強弱弱、強弱弱・・・(三拍子)のような「強弱型」ではなく、「音質の諧調変化によって」その形式を「絵画的、構成的に生かそうする」。休止によって群団化されたリズム形式は「絵画的あるいは建築的美の 
一要素となろうとする」「リズム的群団の対比ということが美的構成の重要な方法となる」といった、著者の仮説がたいそうユニークでおもしろかった。
 そういえば、常磐津、清元、長唄、新内、浪曲等の邦楽では、強弱のリズムよりも、歌詞(音質)の「諧調変化」(調子)が強調(重要視)されているようだ。
 著者は「音節数の対比」に注目し、五、七(三ー四また四ー三)の比による排列を、歌謡の本質としている。まさに、俳句は五七五、和歌は五七五七七、都々逸は七七七五の排列で構成されている。そこでは、多少の強弱、間延びがあるとしても、いわゆる五七調、七五調が尊重され、歌舞伎の「名セリフ」等、 散文等にも活用されている。
 しかし、現代の歌謡曲になると、むしろ強弱型のリズムが強調され、五七調、七五調の「対比による美的構成」は敬遠されているように感じる。 
 美的感覚も、時代により限りなく変化していくものだと痛感するが、それが単に欧米型への接近だけで終わるとすれば、今後の見通しは暗い。
(2017.12.12)