梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「生さぬ仲」(監督・成瀬巳喜男・1932年)

 ユーチューブで映画「生さぬ仲」(監督・成瀬巳喜男・1932年)を観た。原作は大正時代に連載された柳川春葉の新聞小説で、ウィキペディア百科事典ではそのあらすじが以下のように紹介されている。


 東洋漁業会社社長、渥美俊策の一子、滋子をめぐって生母、珠江と、生さぬ仲の継母、真砂子との葛藤をえがく。
【成瀬版映画あらすじ】
 ハリウッドで女優をしている珠江は、前夫である俊策のもとに残してきた娘・滋子を取り戻すため、日本に一時帰国する。6歳になる滋子は後妻の真砂子を本当の母と思って育っている。俊策は事業の失敗から刑務所に収監され、家屋敷を失った真砂子と滋子は俊策の母・岸代とともに侘び家で暮らし始める。貧乏暮らしを嫌う岸代は、珠江に協力して、真砂子に内緒で滋子を連れだしてしまう。悲しむ真砂子は、俊策の友人・日下部に協力を求めて滋子の行方を捜す。珠江は一生懸命滋子の機嫌をとるが、滋子は継母・真砂子を慕い、家へ帰りたいと泣き暮らす。行方を突き止めた真砂子は珠江の家を訪ねるが、滋子とは引き離されてしまう。日下部は珠江に、本当の母とは何かを説く。泣き叫ぶ滋子を見て、ついに珠江は滋子を真砂子の元に戻し、アメリカで作った財産を真砂子に譲り、アメリカに帰っていく。


 成瀬監督は女性映画の名手と言われている。なるほど、この映画に登場する4人の女性、渥美絹子・改め清岡珠江(岡田嘉子)、渥美真砂子(筑波雪子)、岸代(葛城文子)、滋子(小島寿子)の「葛藤」は真に迫っていた。夫・渥美俊策(奈良真養)と生まれたばかりの滋子を捨て渡米、ハリウッド女優になった珠江は、人気と財力にまかせて滋子を取り戻そうとする。岸代は根っからの貧乏嫌い、会社を倒産させてしまった俊策を責め立てる。真砂子は渥美家の後妻だが、継子の滋子を慈母の風情で育んでいる。滋子は真砂子を「本当のお母さん」と慕い、実母の珠江を拒絶する。4人が4人とも「自己」を主張し、対立・葛藤が激化する有様が、見事に描出されていた。
 一方、男性は5人登場する。漁業会社社長の渥美俊策、その友人で貧乏浪人の日下部正也(岡譲二)、珠江の弟でヤクザの巻野慶次(結城一朗)、その弟分、ペリカンの源(阿部正三郎)、滋子の遊び友達(突貫小僧)である。
 女性陣に比べて、男性陣は迫力がない。いずれもが、結局は女性に追従する。当時の風潮は表向きは「男尊女卑」だが、内実は「女権社会」そのもので、男性相互の対立・葛藤はほとんど際立たない、といった演出がたいそう面白かった。つねに事を起こすのは女性であり、男性はそのまわりをウロウロするか後始末に奔走するのである。わずかに、日下部が「生むだけでは母の資格はない。育てて始めて母になれるのだ」と珠江に迫るが、彼女を翻意させたのは、実子・滋子の真砂子への慕情に他ならなかった。珠江の財力によって渥美一家が救われるというハッピーエンドも「女性優位」の証しである。
 最も興味深かった場面、会社が倒産寸前、藁をも掴む思いの俊策に融資を申し出たのは珠江、二人は対面するが、俊策の表情はたちまち強ばり、「夫と子どもを捨てた女に助けて貰う気はさらさらない」と言って断固拒絶、自ら収監される道を選ぶ。一方、俊策の母・岸代もペリカンの源に誘われて珠江と対面、俊策とは打って変わってニッコリ・・・、「立派になられておめでとう」と祝福する。そこから事は始まるのだが、珠江に対する(俊策と岸代の)態度の違い(コントラスト)、女性同士の絆が織りなす人間模様、その周囲で翻弄される男性相互のアタフタ沙汰の描出がこの映画の眼目であろう。加えて、わずか6歳の滋子も行動的である。珠江とのかかわりを断固拒否、岸代に真砂子の元に戻りたい懇願する。叶わないと思えば、周囲の目を盗み、敢然と(分身の「青い目の人形」を携えて)脱走する。結果は失敗に終わり人形も失われたが、滋子の思いは変わらない。
 そうした女性の強さ、たくましさ、したたかさが随所に散りばめられている。まさに、女性映画の名手・成瀬巳喜男監督ならではの作物であった。大詰め、米国に帰る珠江、随行を許されて大喜びの巻野と源は大型客船のデッキの上、それを見送る渥美一家と日下部たち、俊策も珠江の姿を見つけて懸命に手を振った。しかし、珠江はそれに応えることなく独り、船室に姿を消す。その心象風景(「生みの親より育ての親」)も鮮やかに、この映画の幕は下りたのである。
(2017.2.19)