梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「何が彼女をそうさせたか」(監督・鈴木重吉・1930年)

 ユーチューブで映画「何が彼女をそうさせたか」(監督・鈴木重吉・1930年)を観た。この映画はフィルムが消失し永らく「幻の名作」と伝えられていたが、1990年代になってモスクワで発見され復元されたものである。私は高校時代、日本史の授業でその存在を知った。原作者・藤森成吉の名前もその時に受験知識として覚えたものである。タイトルが翻訳文体であることも特徴的であった。その「幻の名作」を今、観ることができるなんて夢のような出来事である。
 映画の主人公「彼女」とは中村すみ子(高津慶子)という薄幸な女性のことである。父の手紙を持って鉄道の線路をとぼとぼと歩く。疲れ果て行き倒れになる寸前、貧乏な車引き土井老人(片岡好右衛門)に助けられた。事情を聞くと、新田の町に住む伯父、山田寬太(浅野節)を訪ね、学校に通いたいと言う。老人は雑炊を馳走し、翌朝、すみ子を馬車に乗せて町に向かう。入口まで来ると「あれが新田の町だ、伯父さんの家は警官に訊くとよい」と送り出す。「ありがとう!、学校に行ったら遊びに行くね」と手を振って別れたが、伯父の家は「貧乏人の子だくさん」を絵に描いたような有様で、七人の子どもが犇めいている。すみ子から手渡された手紙を読むと、それは遺書。「この金ですみ子を学校に通わせて・・・」と書いてある。封筒からこぼれ落ちる数枚の札。伯父は驚いてその札を懐に入れようとするが、女房(園千枝子)も黙っていない。たちまち伯父夫婦のバトルが始まった。札を奪い合って火鉢の土瓶がひっくり返る、舞い上がる灰神楽、泣き出す赤児、その様子を見て 「また喧嘩が始まった、バンザイ、バンザイ」と面白がる子どもたちの風景は、まさにトラジ・コミックの典型であった。しかし伯父夫婦は、父娘の願いを無視して、すみ子を曲芸団に売り渡す。「早くおし!」と女房に急き立てられながら、すみ子は、父の手紙と土井老人からプレゼントされた銀貨だけは手放さなかった。曲馬団でのテント生活が始まる。彼女の役は、団長(浜田格)が投げるナイフの「的」、恐怖で失神するすみ子、でも優しい仲間が居た。彼女同様に売られてきた孤児たちである。なかでも、年長の市川新太郎(海野龍人)は頼りになった。団長は冷酷無比、団員たちを酷使し絞り上げる。団員たちが抗議しても受け入れない。「もう我慢できねえ」と彼らは決起して脱走した。すみ子も新太郎と一緒に逃げ出し、新太郎の姉が居る由井の町へと向かう。「ここまでくれば大丈夫」と一息ついたが、すみ子の体力は限界、一歩も先に進めなくなってしまった。新太郎は「道を確かめてくる、ここを動いちゃいけないよ」と言って立ち去った。待っていたのは「運命のいたずら」か、新太郎は自動車にはねられて病院へ・・・。1年後、すみ子の姿はある警察署の中にあった。詐欺師・作平(小島洋々)の手先をつとめ捕縛されたのだ。巡査部長は「可哀想な娘だなあ、お前は猿回しの『猿』のように使われたんだよ」と説諭、やがて作平も逮捕され、すみ子は私立の養育院に送られる。そこは老人と浮浪者の養護施設。ここでも人々は待遇の悪さに呻吟していた。母乳を十分に与えられず泣き叫ぶ赤ん坊を、見かねたすみ子が子守する。唄を歌いながら、優しかった土井老人、新太郎の面影を追ううちに、その心が通じたか赤ん坊はスヤスヤと眠りについた。感謝する母親。そんな時、事務員が来てすみ子の名を呼んだ。「お前は秋山県会議員の所へ女中に行くんだ」。羨ましがる周囲の人々、すみ子は「さようなら、赤ちゃん」と眠っている赤ちゃんの手を頬に当て涙ぐむ。一同に別れを告げ、風呂敷包み一つを抱えて養育院を出ていく彼女の姿はひときわ美しかった。
 だがしかし、秋山議員宅での女中奉公も長続きしない。わがまま娘の朝食の世話を任されたが、娘は出された魚の骨が刺さったと大騒ぎ、議員の細君(二条玉子)が「娘を殺す気か」などと怒鳴り立てる。その様子を笑って見ている床の間の布袋像は印象的、上流階級の幼稚さ・未熟さを暗示している。すみ子は娘の食べ残した魚を女中部屋に持ち帰り、毛抜きで骨を除く。女中頭に「お嬢様は御自分で骨を取らないんですか」と尋ねると「取るくらいなら食べないんですって」という答、「まあ、ずいぶん不自由な方ですね」という言葉に女中連中は大笑い、自分たちの遅い朝食を摂り始めた。そこに居住まいを正してやって来た細君、「奥の物を洗ってから食事をしなさい」「水が出しっぱなし」、すみ子が新香に醤油をかけるのを見て「香の物にはむらさきをかけてはいけません」等々、小言・雑言を浴びせまくる。最後にはすみ子に向かって「お前はこれまで随分不幸な目に会ったそうだが、養育院に比べ高価な魚を食べられて幸せだろ」と毒づいた。これまで堪え忍んできたすみ子、堪忍袋の緒が切れたか、キッとして「お魚ならいつも食べています!残り物なんか犬しか食べません」と言うや否や、持っていた皿を投げつけた。戸棚の硝子が割れて大きな穴があく。女中仲間は驚いたが、陰では応援している様子がよくわかる。かくて、すみ子は再び養育院に戻された。
 すみ子の次(三年後)の奉公先は琵琶の師匠(藤閒林太郎)宅。ある雨の日、何気なく窓の外を見ると、向こうの軒下で雨宿りをしている青年がこちらを見ている。「・・・すみちゃん?」その声は、あの時「運命のいたずら」で離れ離れになった新太郎だったとは・・・。新太郎は今、役者になって劇団「ことぶき」に居るという。居場所を教えて去って行った。すみ子に一筋の光が見えた。その夜、師匠の酒の相手をしていると、いきなり腕を掴まれ引き寄せられる。「何をするんです!」と振り払い、すみ子は一目散に新太郎の元へ走り去った。
 新太郎の貸間での新所帯が始まる。いそいそと炊事に取り組むすみ子、ようやく幸せの日々が始まったかに見えたが、帰宅した新太郎曰く「劇団との契約を取り消された」。知り合いにも金の工面を頼んだが「ツゴウツカズ」との返事。万策尽きた二人は心中を決意する。荒涼とした浜辺を彷徨う二人、近くには十字架のような棒杭が立ち並んでいる。二人の様子を訝る漁師たち。案の定、月の浜辺を後にして二人は入水する。「女が溺れているぞ!」、予期していた漁師たちが船を出して、すみ子を救出、彼女は修道院・天使園に収容される。「悔い改めよ、然らば、汝等は救はれん」「富める者の天国に入るは難し」という言葉を胸に、すみ子は神の子となったか。信仰生活に入ることを決意したすみ子がポプラ並木の下で聖書を読んでいると、まもなく退園する信者・島村かく(間英子)がやって来る。「あんたの亭主、生きていたってよ、私が出所して手紙を出してやるよ。早く手紙を書きなよ」「いえ、私は新しい生活に入ります」と断ったが、「心中までした相手を簡単に忘れてたまるもんか、いいから早く書いておしまいよ、走り書きでいいんだから・・・」。その誘惑に勝てず、すみ子は新太郎への手紙を認め、かくに託した。やがて礼拝が始まる。信者一同の前で園主(尾崎静子)いわく「島村かく姉妹は立派に悔い改め巣立ちます。お手本にしましょう」。式は無事終わったように見えたが、またまた「運命のいたずら」か、かくの懐から手紙がポトリと落ちた。見咎めた園主、「かくさん、お待ちなさい」と呼び止めて手紙を読む。「何てことを!あなたは神を欺いたのです。出所どころか懲戒房行きです」「どうか、お許しを!あれは頼まれたのです」、すべては後の祭り、一人残されたかくが絶叫する。「ああ、この子羊をお許し下さい!」。
 その数時間後か、園主がすみ子に問い質す。「あなたはこの手紙をかくさんに頼んだのですね」「はい、でもぜひ書けって言われたものですから」「嘘はいけません!自分の罪を他人になすりつけてはいけません。あなたは死んだのです。生きる屍です。汚らわしい男のことはは忘れなさい。今度の礼拝日に皆の前で悔い改めるのです。懺悔をしなさい」「それだけはできません」「耐えるのです、耐えて強くなるのです」「どうか勘弁して下さい」と謝ったが聞き入れらることはなかった。そして日曜の礼拝日が来た。園主はすみ子に懺悔を強いる。すみ子は動かない。園主は「よござんす、それでは私が告白します」と言って、すみ子の罪を暴露した。「あんなに謝ったのに神は許してくれないのか」、すみ子の信仰心は「怒り」に変わり、聖書を十字架に向かって投げつける。「神なんて嘘だ!」というすみ子の叫びが響き渡る。やがて夜が来た。激しい半鐘の音が鳴り響き、教会は炎に包まれる。混乱し逃げ惑う信者たち、現金を手に逃げ出す園主、狂喜して踊るすみ子、「ああ、赤い天使が舞っている、みんな天国へ、みんな天国へ・・・」
しかし、まもなく警官の手がすみ子をしっかりと捕まえる。「お前だな、火をつけたのは」「はい、私がつけました」という字幕の最後に「何が彼女をそうさせたか」という文字が浮かび上がりこの映画は終わった。
 すみ子という薄幸な女性の半生がリアルに描かれており、現代でも十分に説得力のある名作である、と私は思った。特に彼女を取り巻く人々の群像は人間的であり、土井老人、新太郎の「清貧」、養育院の面々の庶民的な「温もり」、曲芸団員の「連帯感」に、伯父夫婦、団長、議員細君、琵琶師匠、島村かく等に見られる「我欲」「冷酷」「俗情」、園主の「狂信」が対置される構図(演出)はお見事。また、伯父夫婦の子どもたちが見せる「喧騒」と「愛嬌」、布袋様にも笑われる議員の娘の「醜態」、議員細君に小言を食らう女中仲間の「表情」は喜劇的であり、トラジ・コミックなドタバタ風景も楽しめる。
 さらに言えば、主人公・中村すみ子の財産は「風呂敷包み」一つだけ、それが彼女の「無産」の象徴として、「清貧」「薄幸」の生き様を鮮やかに描出していた。 
 なるほど、「昭和5年キネマ旬報優秀作品第1位」にふさわしい名作であることを、あらためて確認した次第である。(2017.2.1)