梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・24

《五 音声の過程的構造と音声の分類》
 自然的音声の分類基礎がもっぱらその物理的条件にあるということは、音響の本質がそこにあるからである。これに反して、言語の音声は、それが成立するためには、主体的な発音行為を必要とする。主体的意識としての聴覚的音声表象は、発音行為の一段階として現れるものに過ぎず、音声はその外に口腔の発音器官の参与と物理的過程とを含むものである。音声の成立条件としては一般に物理的構成、生理学的機能、心理学的性質の三者が存在することが認められている。(佐久間鼎氏「日本音声学」)そして、この三条件が過程的構造に聯繋していることはすでに述べた。なお子細に見ると、音声の分析的究極の単位として見られている単音ですら、一定の固定した条件で発音されるのではなく、やはり一連の過程的構造を持っている。タ行子音のt は、一個の単音であるといわれているが、tを構成する発音過程は、三つの部分に分けて考えることができる。口蓋の閉鎖、閉鎖の持続状態、閉鎖の破裂の三つの過程である。このような複雑な過程をもつ調音を一単音と認める根拠は何にあるのだろうか。上の三つの条件が同等の資格で音声を決定しているのではなく、音声の主要な決定要素は、生理的機能すなわち調音であることは一般的に認められているので、音声の分類基礎として、一般には口腔の発音発声器官が基準とされている。しかし、単音の分析がまったく生理的条件でされているかというと必ずしもそうではない。単音の認識それ自体が、主体的な音声表象に基づいているのである。音声意識としては、生理的な三段階を含むものを一個の音として意識しているのである。「アッタ」のような場合には、t音の閉鎖状態が延長され、t音が二つに分割されてa-t-taのように聞こえる。もし一連の生理的過程を単音の基礎条件とするなら、t音が一個の単音と考えられなければならないが、国語の言語主体の音声意識としては、t音が閉鎖状態にある場合、特に分割して一単音と認め、これを促音と呼び「アッタ」と表記する。「トサ」と「トッサ」、
「テキ」と「テッキ」も同様である。撥音も同様に、「アマ」「アンマ」、「アナ」「アンナ」のように、m、nの持続過程を一個の単音として区別したのである。このように単音の認識には聴覚的音声表象が基礎になっていることがわかる。それならば、このような音声表象の分析を可能にする根拠がどこにあるかを考えると、これを決定するには言語のリズムである。「アタ」と「アッタ」の関係をリズムを基礎に分析すると、「アッタ」はt音が持続されて、リズムの一拍音間隔を充填した結果、生理的には一単位であったものが、二単位に分割されて意識されることになったのである。同様なことが撥音[ン]についてもいえる。促音[ッ]、[ン]は共にt、s、k、pあるいはm、n、g等の音の一部分であるものが、リズム的分割に制約されて二音に分割され、それぞれ一個の独立した単音として意識されるようになったものだが、この考えでは、長音もやはりそれ自身リズムの一拍音の間隔を充填するものとして一個の単音であるということができると思う。
 すべて音声は連綿相関の関係で結合しており、客観的にはどこまでが何の音であるかを分析することは不可能である。単音を単音として認識させるのは、リズムを根底とする主体的な音声意識である。主体的意識としてはつねに同化作用によって、異なった生理的条件のものを類化して意識する。例えば、「イタ」の[イ]と「コイ」の[イ]を比較すると、観察的立場では後者の[イ]は前者の[イ]に比べて不完全な形態だと認められるにもかかわらず、主体的には同一音と認めている。また「アッタ」「トッサ」「テッキ」等の[ッ]はそれぞれ調音が異なるにもかかわらず、促(つま)るという主体的な印象によって同化されて一つの単音を構成している。撥音、長音も同様である。
 単音の抽出は、以上のように主体的音声意識が基礎になるが、分割を意識させるものとしてリズムは極めて重要な役割を持っている。このように分析された単音の分類については、生理的機能すなわち調音が重要な基礎とされる。音声における調音は、言語の同一性を保持するのに絶対必要な条件だからである。「ヤマ」の[ヤ]を他の調音、例えば[カ]に替えれば、この語はもはや同一の語とはいえない。


【感想】
 ここでは、「すべて音声は連綿相関の関係で結合しており、客観的にはどこまでが何の音であるかを分析することは不可能である」としながら、単音の抽出は、主体的音声意識を基礎に、リズムを考慮しなければならないことが述べられている。特に、促音、撥音、長音などは、リズムの一拍分を充填するので、[ッ][ン]「-」は一単音として認めるべきである、という指摘(主張)がたいそう面白かった。ただ、単音と音節の関係については触れられていないので、「アッタ」は二音節なのか三音節なのか、同様に「アンマ」「オーギ」(扇)の音節数も、依然として私の疑問は残ったままである。
(2017.9.24)