梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・18

《十一 国語及び日本語の概念 附、外来語》
 国語の名称は日本語と同義である。国家の標準語あるいは公用語を国語と称することがあるが、それは狭義の用法である。
 国語は日本語的性格を持った言語である。
 日本語の特性は、それが表現される心理的生理的過程の中に求められなければならない。我々の研究対象とする具体的言語に具備する心理的生理的過程は、その過程的形式にこそ日本語的性格が具現されているので、日本語の語として認識することができる。
 敬語は日本語的特性を持っている。inkという外国語も、これがインキとして国語の文法組織、音声組織の中に実現されるなら、すでに日本語的に性格付けられているという意味で、国語化したということができる。
 日本語は、日本語的な過程的構造と、その結合である文法組織によって決定されるのであって、日本語の語詞の総和から成立しているのではない。国語あるいは日本語は、特殊な主体的言語機能とそれによる言語的実現を指す。
 国語を国語たらしめるものは、文法形式ばかりでなく、リズム、アクセント、音声においても明らかに国語的形式ということができる。
 日本語的性格は、民族や国家と相伴うものでなく、社会生活の伸縮によって民族や国家を超えていくものであり、またこの形式の同一ということによって、国語の歴史的認識ということも可能なのである。国語学はこのような日本語の性格を把握して、記述するところにその使命がある。


【感想】
 国語と日本語は同義であり、国語は「日本語的性格を持った言語である」という定義がたいそう面白かった。また、国語を国語たらしめているものは、文法形式ばかりでなく(リズム、アクセント、音声の)国語的形式であるということである。
 いささか同義反復的な表現だが、著者が最も強調したいことは《日本語的性格》であり《国語的形式》ということであろう。
 その具体的内容は「各論」で明らかにされるだろう。期待をもって読み進めたい。
(2017.9.18)