梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「残菊物語」(監督・溝口健二・1939年)

  原作は村松梢風、五代目尾上菊五郎(河原崎権十郞)の養子・二代目尾上菊之助(花柳章太郎)の物語である。冒頭は歌舞伎座の楽屋裏、これから「東海道四谷怪談」隠亡堀の場が始まろうとしている。有名な「戸板返し」後の「だんまり」で、菊之助は与茂七を演じたのだが、直助役の菊五郎は、いたって不満足、「ダイコ」(大根)役者だと決めつける。火の玉(人魂)の扱いまでもなっていないなどと当たり散らす始末、周囲の連中は「二百十日」(の嵐)が来た、などと閉口していた。直ちに菊之助を呼びつけ叱ろうとしたが、守田勘弥(葉山純之輔)が間に入ってなだめ、取り巻きも「たいそうよくできた」と褒めそやす。。菊之助は仲良しの中村福助(高田浩吉)にも「できはどうだった?」と訊ねるが口を閉ざされ、「柳橋に繰り込もう」と誘うのだが「先約がある」と断られた。独りで柳橋に向かったが、待合の客(結城一郎)たちも、菊之助の「大根振り」を肴に酒を酌み交わしている。馴染みの芸妓(伏見信子)にも振られたか、深夜、人力車で帰宅の途中、弟の子どもを子守している乳母・お徳(森赫子)に出会った。お徳は、入谷の伯母が菊之助の芸をけなすので、今日観てきたという。「それでどうだった?」「世間のおだてやお世辞にのってはいけないと思います。伯母の言う通りでした。あなたは、いずれは六代目を継ぐお方、御贔屓衆と遊ぶのはほどほどに、芸の修業に励んで下さい」。その一言に、菊之助は「ありがとう。そう言ってくれたのはお前が初めてだ」。以後はプッツリと遊びを止め、お徳を相談相手にする。しかし、その様子を見咎めた周囲が黙っていない。義母の里(梅村蓉子)はお徳に「お前は使用人の分際で余計なことをおしでない。菊之助の嫁になってこの家に入り込む魂胆だろう」と言い、すぐさま隙を出した。お徳が居なくなったことに驚いた菊之助は、お徳の実家を訪ねるがそこにも居ない。雑司ヶ谷に居ることを突き止め、鬼子母神の境内でようやく再会できたのだが、それ以後は全く音信不通になった。
 菊之助は覚悟を決めた。母や兄に向かって「親の七光りで人気が出てもしょうがない。六代目の名跡もこの家も要らない。あっしは独りでやっていきたいんだ」と言う。その言葉を隣室で聞いていた菊五郎が激怒した。「そんな奴は、今すぐ、ここから出て行け!」
 かくて、菊之助は大阪へ・・・、叔父・尾上多見蔵(尾上多見太郎)の下で1年修業する。しかし、評判は散々でうだつが上がらない。多見蔵に「叔父さん、不出来な舞台ばかりですみません。このまま御厄介になっていてよろしいのでしょうか」と問えば「何を言うてんのや。若い時に褒められるような奴はろくな役者になれへん。大船に乗ったつもりでしっかりやんなはれ。多見蔵がついているがな!」と励まされた。しかしまだ心は晴れない。鬱々として表に出ると、お徳が待っていた。菊之助の舞台を観ていたのである。夢ではないかとびっくりする菊之助、「なぜ、もっと早く来てくれなかったんだ」「家の者が厳しくて出られなかったんです。でも若旦那の不評判を聞いて、居ても立ってもいられなくなって来たんです」「あっしは自惚れていた。1年経ってもこのざまだ」。だがお徳の反応は、1年前のあの時とは変わっていた。「他の人が何と言っても、(今日の舞台で)あたしには1年間の苦労が見えました。東京での甘えが消えて、若旦那の力が出てきたんです。だから、これからも頑張ってください」。「そうだろうか、そうだといいんだけど」菊之助には一筋の光りが見えた。「そうですとも」とお徳の力強い相槌が支える。
 二人はその足で、菊之助の貸間に赴いた。「荷物はどうした」「駅に預けてあります」「じゃあ、明日取ってこよう」「ここで御厄介になってもよろしいんですか」「今から、夫婦じゃないか」「あたしは若旦那を立派にしてお宅にお返しするために来ました」「その後はどうする?」「さあ、わかりません」「来たばかりで水くさいことを言うもんじゃないよ」。見る見る、菊之助には大きな力が湧き出してきた。数日後か、貸間に豪華な鏡台が届く。貸し主の按摩元俊(志賀廼家辨慶)が二階に運び上げようとするが上がらない。菊之助は、一階に降りてつくづくと眺め「いい鏡台だ」「いいお芝居のためにはいい鏡台が要りますわ」「お金はどうした」「あたしがいらない物を売ってこしらえました」「・・・すまないね」、元俊の娘・おつる(最上米子)が「おとっつあん、わてもこんなんほしいわあ」と羨ましがっているところに、菊之助の弟子(橘一嘉)が飛び込んで来た。「大変です!親方がさっき亡くなりました」。かくて、菊之助は、多見蔵という大阪での大きな後楯を失ってしまう。
 菊之助は、お徳の反対を押し切って「旅回り一座」の太夫元(石原須磨男)に身を預けることに決めた。
 そして4年が経った。一座では金をめぐってもめ事が絶えない。その様子を見て、お徳は「ああ、いやだいやだ、早く旅回りから脱け出したい」と愚痴をこぼす。菊之助は「お気の毒だね。こんな男にくっついて来たのが因果だ。いやなら出て行ったっていいんだぜ。わっしはこっちの方が面白いんだ。目をむくだけでお客は喜んでくれる」「あなたはずいぶんお変わりになりましたねえ」「また意見かい、意見ならもうたくさんだ」。二人の間にも亀裂が生じたか・・・。
 ある雨の晩、突然どやどやと女相撲(白妙公子)の連中がやって来て、小屋を壊し始めた。菊之助は「何するんだ!」と止めようとしたが、太夫元はドロン、一座はバラバラになる。菊之助とお徳は、行くところもなく名古屋の木賃宿に辿り着いたのだが、お徳の咳が止まらない。初めは、雨に打たれたからと甘く見ていたが、病は刻一刻と進行する。そんな折、宿の客が芝居のチラシをもらって来た。見ると、「中村福助一座公演」と書いてある。菊之助は一瞥するだけで終わったが、お徳は一座の楽屋を訪れて懇願する。「どうか、若旦那を舞台に立たせてやってください」。その気持ちが通じたか、一同は同意する。しかも、もし人気が出たら、東京の舞台に出られるよう菊五郎に進言するという話まで取り付けた。その代わり、「お徳さん、あんたの役目は終わった。その時は身を引くように」。それでも、お徳は喜んで木賃宿に戻り、菊之助に知らせる。半信半疑だったが、菊之助も促されて舞台に立つ。演目は「関の扉」、役は福助の代わりの墨染であった。その菊之助の舞台姿に一同は、そして、観客は目を見張る。五年間の苦労が花を結んでいたのだ。
 菊之助は、晴れて名古屋から東京に向かう。しかし、そこにお徳の姿は見られなかった。必死であちことと探し回る菊之助に福助の父・中村芝翫(嵐徳三郎)が言う。「お徳は、自分から身を引いたのだ。そっとしておいておやり」。
 独り、大阪のなつかしい貸間に戻ったお徳は、誰もいない二階の部屋にうずくまっている。按摩元俊の娘・おつるが戻ってきてその姿を見つける。驚いて「まあ、姐さん、どないしていやはった。でもお達者で何よりや。それで菊さんは?」・・・「とっくに別れたわ。あんな男と一緒に居るの面白くなくなったのよ」「しばらく会わんうちに、姐さん、すっかり変わりはりましたなあ」「そうかしら、そうね、少し変わったかもしれないわねえ」
 菊之助は東京での公演も大成功、菊五郎と共に大阪公演(初下り)に赴く。公演の演目は「石橋」、菊五郎、菊之助、福助が連獅子の舞を厳かに、かつ艶やかに披露する。大入りの観衆が大喝采の拍手を贈るうちに幕は下り、「船乗り込み」が始まろうとする時、人混みを分けて按摩元俊がやって来た。入梅以後、お徳さんが身体をこわして、医者から「あぶない」と言われているとのこと、菊之助はすぐにでも飛んでいきたい素振りだが、「わっしには大事な仕事があるんで・・・」と戸惑うと、近くに居た菊五郎が言う。「菊、行ってやんねえ。女房に会ってきてやんな。役者の芸ってのはな、いくら教えたって上手になれるもんじゃあねえ。おめえがこれまでになったのは、お徳が骨身を惜しんで励まして、修業させてくれたおかげなんだ。おらあ、菊之助の親爺として礼を言ったと言ってくんねえ」
 大詰めは、懐かしい貸間の二階、(臨終間際の)お徳の手をとり菊之助が言う。「お父っつあんが許してくれたんだよ。女房に会ってこいと言われた。礼を言ってくれと言われた」「本当ですか」とお徳は涙に暮れる。そして「早く、船乗り込みに言って下さい」と言う。
 中之島から乗り込んだ菊之助が、周囲の観客に大きく手を広げ、頭を下げる。その心中にお徳の姿を思い浮かべ、再び頭を下げたとき、お徳は息を引き取ったのである。そして画面には「完」という文字が・・・。


 この映画の眼目は、女の献身的な母性が、男の苦労を支え、その苦労が男の実力を磨き上げるといった「人間模様」の描出であり、単なる悲劇(メロドラマ)とは無縁の名作であることがよくわかった。
 見どころの一は、菊之助を東京に送り出し、大阪の貸間に戻って「とっくに別れたわ。あんな男と一緒に居るの面白くなくなったのよ」というお徳の一言である。それは本心ではない。菊之助という役者(男)を育て上げた、お徳という女が打った最初で最後の一芝居(「愛想づかし」)なのである。菊之助はお徳との「つながり」が原因で、東京を追われた。また今の「つながり」で菊之助の評判に傷がつくようなことがあれば、元も子もない。そうした思いが、お徳を「空芝居」にかき立てたに違いない。
 見どころの二は、お徳に感謝する菊五郎の心根である。それは終局の「菊、行ってやんねえ。女房に会ってきてやんな。役者の芸ってのはな、いくら教えたって上手になれるもんじゃあねえ。おめえがこれまでになったのは、お徳が骨身を惜しんで励まして、修業させてくれたおかげなんだ。おらあ、菊之助の親爺として礼を言ったと言ってくんねえ」というセリフに結実化している。その言葉を聞いて、私の涙は止まらなかった。
 見どころの三は、菊之助を演じた花柳章太郎の「男振り」であろうか。並み居る役者連中の中で、やはり光っている。えもいわれぬ色香を漂わせている。さすがは、新派の大看板、後には「人間国宝」「文化功労者」に数えられる逸材の片鱗を見せているのである。
 見どころの四は、スクリーンに再現される戦前大歌舞伎の舞台模様の数々である。長回しのショットで、往時の「東海道四谷怪談」「関の扉」「石橋」を存分に鑑賞できたことは望外の幸せであった。感謝。
(2017.6.23)

映画「淑女と髭」(監督・小津安二郎・1931年)

 サイレント喜劇映画の傑作である。冒頭は剣道の大会場面、皇族の審判長(突貫小僧)も臨席しているが、興味なさそうに何かを吹き飛ばして遊んでいる。学生の岡島(岡田時彦)が次々と勝ち進み敵(学習院?)の大将(齋藤達雄)と対決する。しかし、岡島の戦法は「いい加減」、試合を中断する素振りを見せ、敵が油断した隙を突いて「面」を取るという、極めてアンフェアな技を駆使する。それを知り尽くしている大将も同じ戦法で臨んだが、「いい加減さ」では岡島の方が上、あえなく一本「胴」を取られてしまった(剣道大会そのものが戯画化されていることは興味深い)。大喜びする学生の応援団、その中でも親友の行本(月田一郎)は「岡島の胴は天下無敵だなあ」と感嘆する。優勝した岡島が面を外すと、鍾馗(しょうき)然とした髭面が現れた。試合後、行本は「おめでとう!今日は妹の誕生日だし家に来いよ。祝杯をあげよう」と岡島を誘う。
  行本家では妹・幾子(飯塚敏子)の誕生パーティーが始まろうとしている。行本は家令(坂本武)と新聞紙を丸めた刀で剣道の真似事、立場は行本が上だが腕は家令が上、「若様、ゴメン」と一本取られてしまった。憤然とする行本、平謝りの家令、その場の様子が聞こえてくるようで、たいそう面白かった。
 一方、岡島は、学帽に羽織袴、朴歯に杖というバンカラ姿で行本家に向かう。その途中、若い女同士が道ばたで揉めていた。洋装の不良モガ(伊達里子)が和服のタイピスト広子(川崎弘子)から金を脅し取ろうとしているらしい。しつこくつきまとい金を巻き上げた瞬間、腕を掴まれた。岡島が助け船を出したのだ。蟇口を取り戻し「早く、お帰んなさい」と広子を退かせる。すかさずやって来たのが与太者二人、「余計なマネをしてくれたな」と殴りかかってくるのを、一人は「胴」、もう一人は「小手」と杖の早業、なるほど「岡島の胴は天下無敵」であったのだ。「おぼえていやがれ」というモガに「その不格好な洋装は忘れられんよ」と笑い飛ばし、「失敬」と去って行く姿が実に爽やかであった。
 岡島が行本邸に着くと、誕生パーティーが始まっていた。あたりを見回して「女ばかりじゃないか」と不満そう、幾子も「またあの髭ッ面を連れてきたの。時代遅れであたしダイッキライ」と行本を責める。「いいじゃあないか、お前たちが感化してモダンにしてくれよ」ととりなすが、岡島は挨拶の後、イスに座り込んでケーキを食べまくる始末、幾子は行本を引っ張り、その場から出て行ってしまった。残った女友達6人(その中には井上雪子も居る)、岡島に恥をかかせようと相談「一緒に踊ってくれませんか」。岡島「二人では無理ですが一人なら踊れます」。・・・、家令の詩吟で剣舞(「城山」?)を踊り出す。その姿は抱腹絶倒、「天下無敵」の名舞台であった。しかし、女友達一同は、呆れかえって早々に帰ってしまった。それを知って泣き出す幾子・・・。私の笑いは止まらなかった。  やがて、大学は「就活」の季節。岡島も髭面で面接試験を受けに行く。その会社の受け付けにいたのは偶然にもタイピストの広子、さらにまた偶然に社長も(岡島より貧相な)髭面、結果は不合格であった。広子は岡島のアパートを訪ね、「あなたが不合格になったのは髭の所為、お剃りになれば・・・」と勧める。またまた偶然にもアパートの隣は床屋であった。
 広子の助言に従った岡島はたちまちホテルに採用される。その報告をしに行本家へ、行本は残念がったが、幾子は大満足、すっかり岡島に惚れ込んでしまったか・・・、上流階級の見合い相手、モボ(南條康雄)に向かって「剣道をしない人とは結婚いたしません」「なぜです?」「私の身を守っていただけないから」「警察と治安維持法が守ってくれますよ」「それならあたし警察か、治安維持法と結婚します」といった「やりとり」が、当時の世相を反映して(皮肉って)、たいそう興味深かった。小津監督の反骨に拍手する。 岡島は広子の家にも報告・御礼に訪れたが、広子の母(飯田蝶子)はセールスと間違えて玄関払い、様子を見に来た広子に「私を助けてくれた岡島さんじゃないの」と言われ、ビックリ仰天、一転して愛嬌を振りまく景色には大笑い。広子もまた小父さんが持ちかけてきた縁談を断って、岡島に嫁ぎたいと言う。母はやむなく、岡島の真意を確かめに勤め先のホテルへ・・・。岡島の仕事はフロント係。母からの話は「願ってもないこと」と快諾して持ち場についたのだが、ホテルにたむろする不良のモガ一味、盗品の隠匿?、売買?に巻き込まれたか・・・?(モガが、ホテルで食事中の客から掏り取ったブローチを手紙に包んでフロントに投げ込んだように見えたが、手紙の文字が判読できないので詳細は不明)夜の7時、モガがハイヤーでホテルに乗りつけた。なぜか髭をつけた岡島、その車に乗り込み、モガを自分のアパートに連れて行く。部屋に入った二人・・・、岡島はモガに向かって「両親はいないのか、兄弟は?」などと尋ねるが「あたいは前科者」という答が返ってくるだけ。着替えようとして着物がほころびているのに気がついた。それを縫おうとすれば、モガが取り上げて縫おうとする。しかし、縫い物は二人とも苦手、そこは洗濯ばさみではさんでズボンを脱いだ。モガが「あたい、あんたが看てくれるならまともになろうと思うんだ」などと言った時、突然入り口のドアが開いて、行本、母(吉川満子)、幾子が訪れた。縁談話を持ってきた様子、しかし、女が居る。母は「まあ、汚らわしい。だから言わないこっちゃない。所詮釣り合わないことなんだ!」と呆れ、涙ぐむ幾子を急かせて出て行く。行本は「すまん!」と笑顔混じりに帰って行った。
 いよいよ大詰め、翌朝、今度は広子がアパートにいそいそとやって来る。ドアをノックすれば出てきたのはモガ、「あなたは、どなた?」(もないもんだ!いつか喝上げをした相手をもう忘れているとは・・・)広子は毅然と「私は岡島さんの恋人です」と言い放ち入室する。部屋の隅では岡島が剣道着のまま寝込んでいる。ほころびたままの着物を被りながら・・・、広子はそれを手に取り洗濯ばさみをはずしながら、一針、一針縫い始めた。その様子をじっと見ているモガ。やがて、岡島が目をさました。広子を見て「この女が居るのに、よく帰ってしまわなかったね」「ええ、私、確信していますから」。岡島、思わず「偉い!」と叫んで広子の手を握りしめる。・・・二人の様子を見ていたモガ、意を決したように「岡島さん、あたい、もう帰るよ」「また、仲間の所へか」「ううん、あたい、あんたが忠告してくれたようにするよ。この方のように、確信をもって生きていくんだ」と言う。そして広子に頭を下げた。頬笑んで送り出す広子に微笑み返す。やがて、窓から見送る二人に何度も頭を下げ、最後は大きく手を振ってモガの姿は見えなくなった。
 映画の前半はスラップ・スティックコメディ、後半はラブ・ロマンスに転じ、ハッピーエンドで大団円となる。思いが叶わなかったのは、上流階級の面々といった演出が小気味よく、さわやかな感動をおぼえた。また、行本が妹・幾子に「髭を生やした偉人」を次々に紹介、その中にカール・マルクス(の写真)まで含まれていようとは驚きである。さらにまた、岡島が広子から「どうして髭をお生やしになりますの」と問われ、リンカーンの肖像画を指さして「女よけです」と答えると、クスリと笑って「無理ですわ」と広子が応じる場面もお見事、「剃っても刈っても生えるのは髭である」(アブラハム・リンカーン)というエンディングの字幕がひときわ印象的な余韻を残していた。
(2017.2.16)

映画「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)

 ユーチューブで映画「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)を観た。前作「学生ロマン若き日」の続編である。W大学応援部の高橋(齋藤達雄)たちは、いよいよ卒業試験の時期を迎えた。試験場では監督(大国一郎?)の目を盗みあちこちでカンニング、その方法も様々である。学生同士は皆「仲間」、高橋が後ろを見て「三」と指で示せば、すかさず学友が「三」の答を紙に書き(机間巡視中の)監督の背中に貼り付ける。監督が高橋の脇を通り過ぎる瞬間にそれを取ろうとするのだが、監督が振り向いた。あわてて手を引っ込め時計を見る。そのやりとりを繰り返す光景が何とも可笑しかった。その日の試験は終了、高橋たちは下宿に戻る。そこは賄い付きの大部屋、五、六人の学生がひしめき合って
いる。配役の字幕には、落第生・横尾泥海男、関時男、及第生・月田一郎、笠智衆などと
記されているが、笠智衆の他は誰が誰やら、判然としなかった。高橋は明日の試験のためにカンニングの準備、白いワイシャツの背中一面に答案を綴る。一同は勉強に疲れ眠気が襲ってきた。「何か食べよう」と二階の窓を開けて、向かいの喫茶店に声をかける。顔を出したの看板娘(田中絹代)。どうやら高橋とは恋仲の様子。おか持ちにサンドイッチを積んで持ってきた。取り次ぎに出た下宿屋の息子(青木富夫)もおこぼれを頂戴する。和気藹々の空気が爽やかである。娘は帰り際、高橋を呼んで角砂糖をプレゼント、卒業祝いのネクタイも編んでいるらしい。やがて、一同は雑魚寝状態で眠りに就いた。
 翌朝、「朝だよ!早く皆起きて!」と、下宿のおばさん(二葉かほる)が入ってくる。
あたりを見回せば部屋は散らかり放題、一同を叩き起こして汚れ物をまとめる。ふと目に付いたのは白いワイシャツ、それも一緒に持ち去ってしまった。最後に起き出した高橋、ワイシャツは?と探したが後の祭り、おばさんが出前のクリーニングに出してしまったとは・・・。
 かくて卒業試験は終了、卒業生名簿が掲示された。経済学部77名の名が記されていたが、高橋の氏名はない。一人の学生が学務課に泣きついている。「よく調べて下さい」「成績が悪いんだからしょうがない」などと問答をしている。高橋は肩を落として庭に出ると、同様に落第した応援部の仲間4人が待っていた。でも、屈託がない。肩を組み、足を踏みならして「四月にまた会おう」、落第なんてどこ吹く風と別れて行った。
 高橋は喫茶店に戻り、独りケーキを食べている。そこに学務課に泣きついた学生が入ってきた。「何とか及第したよ。君からいろいろ教えてもらっていたのに、申し訳ない」と謝れば「おめでとう」と応じる。しかし、淋しさ、悔しさは隠せない。そこにやって来たのは娘、あわてて席をはずしていった学生を見て「あの方、どうだったの」「何とかビリで卒業できたよ」「そう、でもこれからの就職が大変ね。あなたは運動部だから安心だけど」、娘はまだ高橋の落第を知らないらしい。そこにどやどやと及第組の学生たちが入ってきた。「それじゃあ」と高橋は出て行く。 
  下宿に戻った高橋、しげしげと握り鋏(和鋏)を見つめている。おもむろにその先端を
喉に突き立てようとして引っ込める。やがて足袋を脱ぎ足の爪を切り始める。そこに息子がやって来た。「御飯を用意したから、皆で一緒に食べようよ」。しかし、自分以外は皆及第なので気が進まない。躊躇しているとビリで卒業する学生が誘いに来た。「売り払った本を買い戻してくる」と外出の素振りを見せるが「自分の本を使えばいい、皆あげるよ」。とうとう祝いの席に連れて行かれた。
 おばさんの手料理(チラシ?赤飯?ビールもある)が待っている。「それにしても高橋さんだけ落第だなんて気の毒ね」。息子が「ラクダイって何だい?」と尋ねるが、一同は俯いて応えられない。「ねえ、ラクダイって何さ」と再度尋ねれば、ビリの学生曰く「ラクダイとは偉いということだよ」・・・。
 翌日、及第組は楽しそうに学生服を背広に着替えてハイキングへ。独り高橋は部屋に残り、箱入りの背広などに目をやり無聊を託ってる。机の引き出しを開けると、娘からプレゼントされた角砂糖がでてきた。それを積み上げたり、放り投げて口で受けとめる等しているところに息子がやって来た。「坊や、大きくなったら何になりたい?」「小父さんのように大学に行き、ラクダイになるんだ!」思わず、ずっこける高橋、そこに娘が訪ねてきた。あわてて息子に角砂糖をプレゼント、追い払う。娘は卒業祝いのネクタイを持ってきたのだ。箱入りの背広を取り出して「着てごらんなさいよ。よく似合うわよ。ネクタイ締めてあげるわ。今日は活動にでも行きましょうよ」。しかし、落第したことを隠している高橋の表情は冴えない。思い切って「あのね、ボクは背広を着る資格が無いんだ」と言いかけると、娘は「卒業しないからといって、背広を着てはいけなということはないわ。あたし、何もかもみんな知っているのよ。あんなに勉強したのにね」と涙ぐむ。でも二人は若い。気をとりなおして活動へ出かける・・・。
 やがて4月、新学期がやって来た。しかし、なぜか卒業組の4人はまだ高橋と一緒に下宿住まい、就職出来ず、仕送りも途絶えて、背広を質屋に入れる有様で、手紙が届いたと思えば「不採用」の通知、すっかり落ち込んでいる。落第した高橋は元気いっぱい、「パンでも食べろよ」と小銭をカンパする。そして迎えに来た落第組と共に学校へ・・・。「こんなことなら、急いで卒業するんじゃなかった」とぼやく面々の姿があわれであった。学校はまもなくWK戦の季節、後輩たちを集めて応援の練習に取り組む落第組の姿が、生き生きと映されて、この映画の幕は下りる。
 なるほど「落第はしたけれど」日本男児は健在なり!という「心意気」がひしひしと伝わってくる傑作であった。とりわけ、当時の「学生気質」が(エリートには違いないが、互いに相手を思いやる「温もり」)感じられて清々しく、競争にあけくれる現代の学生と一味違った人間模様が、鮮やかに描出されていた。子どもから「小父さん」と呼ばれ、タバコ、酒もたしなむ学生が、一方では「仲間と肩を組んで、ステップを踏む」「角砂糖を積木のように積み上げたかと思うと、放り投げて口で受けとめる」など愛嬌・滑稽な振る舞いを見せる「アンバランス」も魅力的であった。小津監督自身は旧制中学で寄宿舎生活を体験、その後、神戸高等商業学校、三重師範学校を受験するがいずれも「落第」(不合格)、小学校の代用教員を経て、松竹蒲田撮影所に入社した。大学生活は未経験にもかかわらず、前作の「学生ロマンス若き日」に続き、往時の「学生気質」をここまで詳細に描出できるとは驚嘆すべきことだと、私は思った。
(2017.2.17)