梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「路上の霊魂」(監督・村田実・1921年)

 ユーチューブで映画「路上の霊魂」(監督・村田実・1921年)を観た。ヴィルヘルム・シュミットボンの『街の子』(森鴎外訳)とマクシム・ゴーリキーの『夜の宿(どん底)』(小山内薫訳)が原作で、ナ、ナ、ナント、日本の演劇界の革新に半生を捧げた小山内薫自身が出演しているとは・・・。ウィキペディア百科事典では〈『路上の霊魂』は同時に進行する出来事をクロスカッティングしたり、回想場面を挿入したりする近代映画の技法をふんだんに取り入れた、日本映画初の芸術大作というべきものだった〉と紹介されている。
 冒頭では「文部省推薦」という文字、タイトルに続いて「吾々は人類全体に対して憐れみの心を持たなくてはならない。例えばキリストは人類全体を憐れみ給うた。そして、吾々にもそうせよと仰せられた。人を憐れむには時がある。その時をはずさないようにせるが好い。マクシム・ゴーリキー」という文章が映し出される。
 登場人物は、山奥で伐材所を営む親方・杉野泰(小山内薫)と息子の浩一郎(東郷是也、のちの鈴木伝明)、浩一郎の妻・耀子(澤村春子)、娘・文子(久松三岐子)、浩一郎の許嫁・光子(伊達竜子)、伐材所の少年・太郎(村田実、彼はこの映画の監督でもある)、
別荘の令嬢(英百合子)、別荘の執事(茂原熊彦、彼はこの映画の脚本を執筆している)、
出獄者・鶴吉(南光明)、亀三(蔦村繁)、別荘番(岡田宗太郎)、八木節の姉(東栄子)
八木節の弟(小松武雄)、クリスマスの客(春野恵美奈)といった面々である。
 浩一郎には許嫁の光子がいたが、ヴァイオリニストになりたい一心で都会に出奔、杉野はやむなく光子をそばにおいて帰りを待っている。しかし浩一郎はすでにピアニストの耀子と結婚し、文子という娘までもうけていた。都会で演奏活動を始めたが、批評家との折り合いが悪く、出世の道は断たれたか・・・。今では、妻子と共に故郷に帰らざるをえない。三人は、ただただ歩き続け、空腹と疲労で行き倒れ寸前であった。そんな折り、たまたま分岐点で行き会ったのは、こちらも放浪の旅を続ける出獄者・鶴吉、亀三の二人、亀三は労咳で衰弱している。一つのパンを半分にし、それをまた等分にして朝食をすませたが、見れば娘の衰弱も甚だしい。二人は初め親子三人から何かを強奪しようとしたのだが、相手は何も持っていない。気の毒にと思い、残りのパンを娘に与えて、右の道を辿り始める。その行き着く先は軽井沢の豪華な別荘であることを知ってか、知らずか・・・。一方、浩一郎と妻子は左の道へ・・・、その先には懐かしいわが家があるのだが・・・。
 山奥の別荘にはおきゃんな令嬢が居た。執事と馬車で散歩に出ても、つねに単独行動、物陰から、探し回る執事の帽子めがけて空気銃を一発発射、執事が帽子を飛ばされ慌てている間に、街中へ繰り出した。そこでは八木節の姉弟が大道芸を披露中、令嬢は拍手喝采して見物していたが、踊りを終えた弟が帽子を袋替わりに近づいても、入れるお金を持っていない。たまたま居合わせた伐材所の少年・太郎が、代わりに銅貨を入れてあげる。令嬢と太郎は顔見知り、お互いに好意を寄せていることが窺われる。やがて、執事が馬車で到着、令嬢を見つけて「お嬢様、こんなところに。さあ、家に帰りましょう」と言うが、アッカンベエをして逃げ回る。その様子は抱腹絶倒の名場面であった。
 やがてもうすぐクリスマス・イヴ、別荘はその準備に余念がない。令嬢は表に八木節の姉弟が通りかかるのを見て、「今晩、来るように」と執事に言いつける。鶴吉、亀三の出獄者も別荘に辿り着いた。邸内に入り込み室内を物色中、食べ物を探しているのだ。そんなところを別荘番に見つかり、お互いを鞭打つように仕置きされたが、亀三が激しく咳き込む様子を見て、別荘番に一瞬「憐れみの情」が湧き上がったのだろう、持っていた銃を投げ出した。その様子を窺っていた令嬢は、二人を許し食べ物を準備するよう、別荘番に言いつける。 
 浩一郎妻子三人も、ようやく杉野の家に辿り着いたが、杉野はまだ山から帰っていない。出迎えたのは許嫁の光子、浩一郎妻子を見て複雑な気持ちを隠せなかったが、御馳走の準備を始める。まもなく杉野も帰宅、十数年ぶりの父子対面となる。「お父さん、私たち親子を温かく迎えて下さい」と、浩一郎は必死に頼んだが、許せる話ではない。杉野は思った。妻子に罪はない。しかし、浩一郎は絶対に許せない。光子が準備した御馳走も与えず「屋外に出て行け」と言い放つ。外は猛吹雪、浩一郎たち三人はやむなく納屋に避難、藁で暖をとるのだが・・・。杉野は不安になった。あの妻子はどうしているだろうか。納屋に居た三人を見つけて逡巡する。浩一郎には幻想が現れ、あげくは父に「決闘を申し込む」始末、光子もたまらずやって来て「お部屋を用意しました」と取りなした。杉野は「オカミさんと子どもは連れて行きなさい」と言ったが、今度は妻の耀子が応じない。「私はあなたと離れない」と言って浩一郎の足元に縋り付く。しかし、浩一郎はヴァイオリンの幻聴に誘われるように納屋を出て行ってしまった。そんな大人同士の葛藤の中で、娘の文子は息絶えていた。その一部始終を、なすすべもなく見届けていた太郎の悲しみ、驚愕とも悔恨ともつかぬ杉野の表情が印象的であった。
 別荘では令嬢を中心にイヴのパーティーが開かれている。出獄者の鶴吉、亀三、八木節の姉弟、杉野家の使用人たちも招かれて、明るく楽しい雰囲気が満ちあふれている。やがてお開き、令嬢のベッドにはサンタクロースもプレゼントに現れた。翌日は、昨夜の猛吹雪が嘘のように晴れわたり、令嬢が屋外に飛び出した。傍には太郎も居る。二人連れだって鶴吉と亀三の「新しい門出」を見送りに出たのだ。しかし、そこで鶴吉と亀三が見たのは、林の中、雪に埋もれている浩一郎の亡骸であった。その場にやって来た令嬢がいう。「もし爺や(別荘番)が二人を憐れんでやらなかったら」(爺やは二人に殺されていたかもしれない。そして二人はまた獄舎につながれる身となったかもしれない)と言い、旅立っていく二人の方に目をやる、太郎もまた「もし旦那(杉野)がこの方を憐れんでおやりになったら」と言い亡骸に目を落とす。
 そんな二人が顔を見合わせ立ち尽くすうちに、この映画は「終」を迎えた。 
 この映画の眼目は、ゴーリキーの言葉にあるとおり「人を憐れむには時がある。その時をはずさないようにするが好い」ということであろう。「時をはずされた」浩一郎妻子三人と、三人の窮状を憐れみ、パンを施した「時をはずさず、はずされなかった」出獄者二人の《運命》が、「同時に進行する出来事をクロスカッティングしたり、回想場面を挿入したりする近代映画の技法手法」で見事に描き出されている。まさに「日本映画初の芸術大作」というにふさわしい傑作であると、私も思った。中でも一番の魅力は、別荘の令嬢を演じた英百合子の初々しさであろうか。当時は21歳、はち切れんばかりの若さを、自由奔放、のびのびと演じている。彼女もまた少年・太郎から憐れみを施され(八木節姉弟へのカンパ代を立て替えて貰い)、出獄者二人に憐れみを施している(家に招き入れ御馳走をしている)。また、小山内薫の重厚な演技も見逃せない。「人を憐れむ時」をはずしてしまった、悔恨と苦渋の表情は真に迫っていたが、ではどうして「はずしてしまった」のだろうか。許嫁を捨て、自分本位に生きた息子をどうしても許すことができない、妻子に罪はないが、父として、男としては許せない。許嫁に何と詫びればいいのか。息子から決闘を挑まれて「まず他のことはおいても、名誉ある人間が貴様の相手になれると思うか」と吐き捨てた言葉が、すべてを物語っている。杉野は名誉を守り、息子を捨てたのである。その父親像は日本独自のものであろうか。それにしても、この作品の原作はゴーリキー・「どん底」とのこと、あらためてフランス映画「どん底」(監督・ジャン・ルノアール)を見なおしたが、共通点を見出すことはできなかった。また、少年・太郎役を演じた村田実が、その若さで監督であったとは驚きである。いずれにせよ、日本映画が小山内薫の助力により新しい一歩を踏み出した、貴重な歴史的作品を見られたことは望外の幸せであった。感謝。 (2017.7.29)

映画「大人の見る絵本 生れてはみたけれど」(監督・小津安二郎・1932年)

 ユーチューブで映画「大人の見る絵本 生れてはみたけれど」(監督・小津安二郎・1932年)を観た。「大人の見る絵本」というタイトルだが、登場人物は子どもたちが中心である。またその中の中心になるのが吉川家の兄・良一(菅原秀雄)とその弟(突貫小僧)ということである。
 吉川家はこれまで麻布に居たが、子どもたちをのびのびと育てようと、郊外に引っ越してきた。引っ越し先の近所には父(斎藤達雄)の会社の重役・岩崎(坂本武)の豪邸がある。引っ越しの途中で、父は早速、岩崎邸へ挨拶まわり、周囲(会社の同僚)からは「出世するための転居ではないか」と陰口を叩かれている。兄弟もまた土地の子どもたちから「変なやつがやってきた」と警戒されている様子だが、子どもの世界は「体力」がものをいう。強い者がすべてを支配するのだ。土地の子どもたちには、ガキ大将・亀吉、岩崎の息子・太郎、二人を取り巻く追随者、その弟たちがおり、いつも集団で行動する。だから、吉川家の兄弟が、その集団の中に入るためには、最強者となって皆を従属させるか、弱者となって皆に従うかのどちらかを選ばなければならない。どうやら弱者にはなりたくないようだが、新参者のハンデキャップは否めない。学校でも亀吉が幅をきかせているので、面白くない。つい足が遠のいて「一日中サボる」こともあった。そのことがばれ、父からは「学校へ行かなければ偉くなれない」と叱られるた。大人にとっては「偉さ」が価値だが、子どもにとっては「強さ」が大切だ。雀の卵を飲むと喧嘩に強くなるらしい。兄の良一もそこそこ強いが、亀吉には勝てない。何かにつけて亀吉が「絡んでくる」ので、煩わしいと感じている。弟は兄と一心同体、亀吉にいじめられれば兄を頼り、つねに行動を共にする。兄よりも策士であり、出入りの酒屋の小僧(だが年長者・小藤田正一)を利用して、亀吉への圧力をかけようとする。父の月給日、母(吉川満子)の機嫌が良い時を見計らって、酒屋にビール(半ダース)の注文をさせることに成功、酒屋は恩義を感じて、雀の巣の下で兄ともめていた亀吉を一喝、「こんどからこの子たちを泣かせたら承知しないぞ」と泣かせてしまった。
時が経つにつれ、徐々に兄弟の頭角が現れ始めた頃、岩崎邸では自作の「活動写真」(8ミリ映画)を観る会が催された。兄弟も太郎に雀の卵を提供して参加することができたのだが・・・。そこでは尊敬する父親が「三枚目」を演じて周囲を笑わせるひょうきんな映像が流される。兄弟、とりわけ良一は日常とは異なる父の姿にショックを受ける。その場にいたたまれず、会場を抜け出して帰路についた。途中での兄弟の会話「うちのお父ちゃんは本当に偉いと思うか」「偉いんじゃないの」。しかし、良一にはどうしても偉いとは思えない。帰宅した父に向かって「どうして太郎ちゃんのお父ちゃんにあんなに頭を下げるんだ」と責め立てる。そこから父子のバトルが始まった。父は、岩崎さんに雇われているのだから立場が違うことを説明するが、良一は納得しない。父が「岩崎さんから月給をもらっているからお前たちは学校へ行ったり、ご飯を食べたりできるんだぞ」と言えば、「もう明日からご飯を食べない」「お父ちゃんの弱虫、意気地なし」などと言って、バットや本棚の本を放り出すなど大暴れする。父はたまらず良一を抱え上げ、尻ペタを何度も(泣き出すまで)叩きつづける。弟もまた父に挑みかかったが相手にはならなかった。やがて母が兄弟をなだめる。「お前たちいい子だからお黙り」。良一は泣きながら言う。「僕は太郎ちゃんより強いし、学校でも上だ。大人になって太郎ちゃんの家来になるのなら、学校なんてやめてやる」。泣き寝入りした二人の寝顔を見つめながら、父がしみじみとつぶやく。「こいつらも一生わびしく爪を噛んで暮らすのか」・・・「俺のようなやくざな会社員にだけはならないでくれよなあ」。父には子どもたちの気持ちが痛いほどわかっているのだが・・・。「お父ちゃんは偉くなれというが、自分はどうなのか。お金持ちが偉いのか。貧しくても偉いとはどういうことなのか」こうした問題は一生つきまとう。
 タイトルにあるように「生まれてはみたけれど《一生わびしく爪を噛んで暮らすのか》といった眼目が集約された場面であった。
 やがて翌朝、兄弟は朝ご飯を拒絶するそぶりをみせたが、握り飯を食べ「いつも通り」登校する。踏切の手前で重役の自家用車に遭遇、太郎が降りてきた。弟いわく「お父ちゃん、(太郎ちゃんのお父ちゃんに)頭を下げたほうがいいよ」。父もまた「いつも通り」重役に頭を下げ、その自家用車に乗り込んだ。兄弟と太郎が「肩を組んで」元気に登校する姿を見送りながら、この絵本は「おわり」となった。
 はたして、子どもたちは大人の「暮らしぶり」を納得したのかどうか、それはわからない。あくまで観客の受け止め方次第ということであろうか。そしてまた《何が偉いのか》という問題は、現代の私たちにも《一生つきまとう》ことはたしかだ。
(2020.12.30)

映画「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)

 ユーチューブで「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)を観た。タイトルに「恋の花咲く」という文言が添えられているように、この作品は川端康成の原作を大きく改竄している。それはそれでよい、むしろその方が映画としては面白かった、と私は思う。主人公の学生・水原(大日向伝)は原作の「私」とは似ても似つかない快男児・好青年として描かれていた。水原が伊豆を旅して巡り合った旅芸人たちとの「絡み」と「行程」はほぼ原作を踏襲しているが、随所、随所に伏見晃の脚色が加えられている。その一、冒頭に登場するのは、自転車を全速力で走らせる一人の警官、伊豆の温泉町にある旅館・湯川楼の内芸者が借金を踏み倒して逃亡したと言う。村人に目撃者がいないかを尋ねているところに、かつて湯川楼に出入りしていた鉱山技師久保田(河村黎吉)も加わり、金鉱の山を買って大儲けした湯川楼の噂をする。その二、ある村の入口で、一人の虚無僧が立札を見ている。「物乞い旅芸人立ち入るべからず」と書かれている。彼は立札を引き抜き倒して立ち去った。その様子を見ていた村の子どもたち。後から来た旅芸人の娘(薫・田中絹代)が倒されている立札に気づき手にしたところを村人から咎め
られる。「役場に来い」などと言われ娘の兄(永吉・小林十九二)が無実を主張し小競り合いが始まった。そこに通りかかってのが水原で、村人に「引き抜いた所を見たのか」と確かめる。「あたい見たよ」と証言したのは村の子ども、「さっき尺八吹きの男が引き抜いたんだ」。かくて旅芸人一同の窮地は救われた。以後、水原と旅芸人の旅程が始まったのである。その三、湯川楼という旅館は、水原の先輩・隆一(竹内良一)の実家、主人の善兵衛(新井淳)は永吉の父とも懇意にしており、旅芸人になった永吉、薫たちの後見人という立場であった。永吉の父から買った山から金鉱が出たが、儲けた金の一部は薫名義で貯金している。ゆくゆくは堅気の生活に戻って、薫を隆一の嫁にしたいと思っている。その四、技師の久保田は湯川楼の繁盛振りを見てなにがしかの現金を強請り取り、永吉にもけしかける。「君はダマされたんだ。分け前を貰って一緒に金鉱を掘りてよう」。そそのかされて永吉は湯川楼に向かったが「金が欲しければ妹を連れてこい」と追い返された。その様子に義憤を感じた水原も湯川楼に談判に行くが、そこで善兵衛の真意が解るという次第。その五、大詰めの下田港、水原は《先輩・隆一のために》薫との恋を諦める、真意を打ち明け「このことは誰にも言ってはいけないよ」。薫の櫛と水原の万年筆を「愛の形見」として交換する。
 以上は、川端康成の原作にはない「脚色・演出」である。まさに「文学」と「映画」(演劇)の違いが際立つ、傑作に仕上がっていたと、私は思う。加えて、見どころも満載。二十代の田中絹代が演じる薫の姿は天衣無縫、おきゃんで惚れっぽい娘の魅力が存分に溢れていた。大日向伝の「侠気」もお見事、さらに温泉宿には遊客・坂本武、芸妓・飯田蝶子までが登場、旅芸人・小林十九二と「剣舞・近藤勇」を競演する場面は抱腹絶倒、悲喜劇を同時に味わえる逸品であった。
 この作品は、「伊豆の踊子」映画化の第一作である。以後、薫役の美空ひばり版(1954年)、鰐淵晴子版(1960年)、吉永小百合版(1963年)、内藤洋子版(1967年)、山口百恵版(1974年)、早瀬美里版(1993年)が作られているが、それらの全てを見比べてみたい衝動にかられた次第である。
(2017.1.28)