梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)

 ユーチューブで映画「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)を観た。前作「学生ロマン若き日」の続編である。W大学応援部の高橋(齋藤達雄)たちは、いよいよ卒業試験の時期を迎えた。試験場では監督(大国一郎?)の目を盗みあちこちでカンニング、その方法も様々である。学生同士は皆「仲間」、高橋が後ろを見て「三」と指で示せば、すかさず学友が「三」の答を紙に書き(机間巡視中の)監督の背中に貼り付ける。監督が高橋の脇を通り過ぎる瞬間にそれを取ろうとするのだが、監督が振り向いた。あわてて手を引っ込め時計を見る。そのやりとりを繰り返す光景が何とも可笑しかった。その日の試験は終了、高橋たちは下宿に戻る。そこは賄い付きの大部屋、五、六人の学生がひしめき合って
いる。配役の字幕には、落第生・横尾泥海男、関時男、及第生・月田一郎、笠智衆などと
記されているが、笠智衆の他は誰が誰やら、判然としなかった。高橋は明日の試験のためにカンニングの準備、白いワイシャツの背中一面に答案を綴る。一同は勉強に疲れ眠気が襲ってきた。「何か食べよう」と二階の窓を開けて、向かいの喫茶店に声をかける。顔を出したの看板娘(田中絹代)。どうやら高橋とは恋仲の様子。おか持ちにサンドイッチを積んで持ってきた。取り次ぎに出た下宿屋の息子(青木富夫)もおこぼれを頂戴する。和気藹々の空気が爽やかである。娘は帰り際、高橋を呼んで角砂糖をプレゼント、卒業祝いのネクタイも編んでいるらしい。やがて、一同は雑魚寝状態で眠りに就いた。
 翌朝、「朝だよ!早く皆起きて!」と、下宿のおばさん(二葉かほる)が入ってくる。
あたりを見回せば部屋は散らかり放題、一同を叩き起こして汚れ物をまとめる。ふと目に付いたのは白いワイシャツ、それも一緒に持ち去ってしまった。最後に起き出した高橋、ワイシャツは?と探したが後の祭り、おばさんが出前のクリーニングに出してしまったとは・・・。
 かくて卒業試験は終了、卒業生名簿が掲示された。経済学部77名の名が記されていたが、高橋の氏名はない。一人の学生が学務課に泣きついている。「よく調べて下さい」「成績が悪いんだからしょうがない」などと問答をしている。高橋は肩を落として庭に出ると、同様に落第した応援部の仲間4人が待っていた。でも、屈託がない。肩を組み、足を踏みならして「四月にまた会おう」、落第なんてどこ吹く風と別れて行った。
 高橋は喫茶店に戻り、独りケーキを食べている。そこに学務課に泣きついた学生が入ってきた。「何とか及第したよ。君からいろいろ教えてもらっていたのに、申し訳ない」と謝れば「おめでとう」と応じる。しかし、淋しさ、悔しさは隠せない。そこにやって来たのは娘、あわてて席をはずしていった学生を見て「あの方、どうだったの」「何とかビリで卒業できたよ」「そう、でもこれからの就職が大変ね。あなたは運動部だから安心だけど」、娘はまだ高橋の落第を知らないらしい。そこにどやどやと及第組の学生たちが入ってきた。「それじゃあ」と高橋は出て行く。 
  下宿に戻った高橋、しげしげと握り鋏(和鋏)を見つめている。おもむろにその先端を
喉に突き立てようとして引っ込める。やがて足袋を脱ぎ足の爪を切り始める。そこに息子がやって来た。「御飯を用意したから、皆で一緒に食べようよ」。しかし、自分以外は皆及第なので気が進まない。躊躇しているとビリで卒業する学生が誘いに来た。「売り払った本を買い戻してくる」と外出の素振りを見せるが「自分の本を使えばいい、皆あげるよ」。とうとう祝いの席に連れて行かれた。
 おばさんの手料理(チラシ?赤飯?ビールもある)が待っている。「それにしても高橋さんだけ落第だなんて気の毒ね」。息子が「ラクダイって何だい?」と尋ねるが、一同は俯いて応えられない。「ねえ、ラクダイって何さ」と再度尋ねれば、ビリの学生曰く「ラクダイとは偉いということだよ」・・・。
 翌日、及第組は楽しそうに学生服を背広に着替えてハイキングへ。独り高橋は部屋に残り、箱入りの背広などに目をやり無聊を託ってる。机の引き出しを開けると、娘からプレゼントされた角砂糖がでてきた。それを積み上げたり、放り投げて口で受けとめる等しているところに息子がやって来た。「坊や、大きくなったら何になりたい?」「小父さんのように大学に行き、ラクダイになるんだ!」思わず、ずっこける高橋、そこに娘が訪ねてきた。あわてて息子に角砂糖をプレゼント、追い払う。娘は卒業祝いのネクタイを持ってきたのだ。箱入りの背広を取り出して「着てごらんなさいよ。よく似合うわよ。ネクタイ締めてあげるわ。今日は活動にでも行きましょうよ」。しかし、落第したことを隠している高橋の表情は冴えない。思い切って「あのね、ボクは背広を着る資格が無いんだ」と言いかけると、娘は「卒業しないからといって、背広を着てはいけなということはないわ。あたし、何もかもみんな知っているのよ。あんなに勉強したのにね」と涙ぐむ。でも二人は若い。気をとりなおして活動へ出かける・・・。
 やがて4月、新学期がやって来た。しかし、なぜか卒業組の4人はまだ高橋と一緒に下宿住まい、就職出来ず、仕送りも途絶えて、背広を質屋に入れる有様で、手紙が届いたと思えば「不採用」の通知、すっかり落ち込んでいる。落第した高橋は元気いっぱい、「パンでも食べろよ」と小銭をカンパする。そして迎えに来た落第組と共に学校へ・・・。「こんなことなら、急いで卒業するんじゃなかった」とぼやく面々の姿があわれであった。学校はまもなくWK戦の季節、後輩たちを集めて応援の練習に取り組む落第組の姿が、生き生きと映されて、この映画の幕は下りる。
 なるほど「落第はしたけれど」日本男児は健在なり!という「心意気」がひしひしと伝わってくる傑作であった。とりわけ、当時の「学生気質」が(エリートには違いないが、互いに相手を思いやる「温もり」)感じられて清々しく、競争にあけくれる現代の学生と一味違った人間模様が、鮮やかに描出されていた。子どもから「小父さん」と呼ばれ、タバコ、酒もたしなむ学生が、一方では「仲間と肩を組んで、ステップを踏む」「角砂糖を積木のように積み上げたかと思うと、放り投げて口で受けとめる」など愛嬌・滑稽な振る舞いを見せる「アンバランス」も魅力的であった。小津監督自身は旧制中学で寄宿舎生活を体験、その後、神戸高等商業学校、三重師範学校を受験するがいずれも「落第」(不合格)、小学校の代用教員を経て、松竹蒲田撮影所に入社した。大学生活は未経験にもかかわらず、前作の「学生ロマンス若き日」に続き、往時の「学生気質」をここまで詳細に描出できるとは驚嘆すべきことだと、私は思った。
(2017.2.17)