梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

戦争をしない「自衛隊」

日本の「自衛隊」は、戦争をしない。なぜなら、「日本国憲法」に、以下のように規定されているからである。〈第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない〉。事実、この憲法が1946年に公布されて以来、67年間に亘って、日本の「自衛隊」は戦争をしなかった。そのことについて、国際社会は「日本は金は出すが、血は流さない」というような「非難」を浴びせているとかや・・・。そこで「日本もまた、血を流すべきである」などという愚見が、国内で横行・跋扈し始める。「浅はか」といおうか「懲りない」といおうか、言葉を失うが、それもまた、人間の「煩悩」として受け容れざるを得ない「現実」なのである。その「煩悩」とは、言い換えれば、「欲」である。「日本もまた、血を流すべきである」という愚見論者の心中には、そのことによって「一儲けしよう」とする物欲や、「戦士として勝利の栄光を得たい」といった名誉欲が蠢いている。イラク戦争で、アメリカ大統領・ブッシュは、イラク大統領・フセインが「大量破壊兵器を保持している」として、国際社会の合意のもとに、侵攻したが、件の大量破壊兵器など、どこにも存在しなかった。その結果、米軍・約32,000人、有志連合軍・約4,800人、イラク人・約150,000人が「血を流して」落命したのである。イラク戦争は、どんな大義名分があろうとも、所詮は、湾岸戦争以来、続いているブッシュ父子とフセインの「私闘」に過ぎず、それに便乗した「戦争仕掛け人」(民間軍事会社・武器弾薬製造・調達業者たち)の仕業に他ならなかった。げに、「国際紛争」などという代物は、いつでも、どこでも、取るに足らない、権力者同士の「メンツ・意地の張り合い」から始まる。そこに、利権を争う「有象無象」が集まって「戦禍」は拡大、双方に「大量犠牲者」が出てチョン・・・。イラク戦争で、ブッシュ・ジュニアは、高らかに「勝利宣言」をしたものの、約32,000人の自国民(米軍兵士)、約8、500人の有志連合軍兵士は、その犠牲になったのである。彼ら自身また遺族に「勝利」はない。しかし、同盟国である日本の「自衛隊」に死者は出なかった。なぜなら、戦争をしなかったからである。「日本国憲法」の前文は、以下のように謳っている。〈日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する〉。この理念は、明治以来、専制と隷従、圧迫と偏狭によって、自国の領土を拡大、「大東亜共栄圏」「八紘一宇」を標榜したものの、その(権力者の)夢は破れ、日本軍兵士だけで約2300,000人の死者を出してしまった、美しい国を「焦土」(放射能汚染)と化してしまったことへの「悔恨」「反省」によって生まれたことは、言うまでもない。だとすれば、今、「われら」が標榜する「名誉ある地位」とは、「戦争に勝利はない」という真実を、国際社会に提示し続けることである。戦争で勝利する、とは「戦争をしないこと」である。「血を流す」ことの愚かさを、看破することである。さればこそ、日本の「自衛隊」は戦争をしない。今や、そのことが、国際紛争に「勝利する」唯一無二の手段であることを、「われら」は肝銘しなければならないのである。(2013.4.8)