梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・36・《付録2 地域社会における自閉症児の治療》(ミッシェル・ザッペラ)

◎要約
《付録2 地域社会における自閉症児の治療》(ミッシェル・ザッペラ)
【「非専門家」にも自閉症児と対話できている人がいる】
・この報告は自閉症の子どもと、日常生活をともにする人々との「相互交渉」を促進する治療の8年間の経験の要約である。
・この仕事は、(特殊学級や施設が閉鎖になり)子どもたちが自宅に帰されて両親と生活し、学校は通学だけになったことがきっかけで始まった。治療士や精神科医は、家庭や学校、村落を訪れて子どもを観察することになり、子どもを周りの人や物とより多く接触させる道を探る結果になった。このような「野外研究」への切り替えが、自閉症児の治療には実りの多いものであることがわかってきた。
・地域社会の「非専門家」(学生・教師・普通の子ども等)たちの中には、自閉症児とある種の「対話」を成立させたり発展させたりできる人がいて、病院内で見ていた以上に、多くの反応をひき出したり、一般的な興味を持たせたりした。
・その(初期の)段階で、ティンバーゲン夫妻の「論文」(1972年)は、助けになった。
・学校では、何人かの子どもが喜んで自閉症の子どもと接し、手を引いたり話しかけたりし、手でやり方を教えたりしながら、さまざまな活動にひき込んでくれた。その子たちは終始自閉症児に対して親切で身体接触をたくさん行い、子どもと向き合うよりも横に並ぶような位置をとり、とても熱心に取り組んでくれた。
・このような場面では、自閉症児が離れた所から他の人のすることを観察することによって多くのことを学びうることも明らかであった。(体育競技、遊びのやり方等)
・あるいはいろいろな活動の中に誘われる(やらされる)ことを通して、自閉症児はさまざまな活動(積み木、フィンガーペインティング、描画等)に導入されていく。
・一般的な治療方針(方策)は、子どもに対する優しさ、共感、非介入的行動と、時にはより激しく、介入的ですらある教示的干渉との組み合わせであった。
・一貫して子どもの「深層の要求」を感じとり、人への信頼を育て、精神的発達を促すよう努力した。その結果、自閉症児は例外なく、人々や周りの世界と情緒的なつながりをもち始めた。
【自閉症児と対話できる人を育てることもできる】
・ある学校で、自閉的な状態から抜け出した子どもが、自分のクラスの小さな男の子たちを叩き始め、別のクラスに行って自分のしたことを先生に話し、次々と他の子どもを叩き、教室全体を混乱に陥れたとき、教師はそれを止めなかった。(その子の攻撃性をつのらせたくない。その子を束縛していいか。しかし、他の子がケガをさせられる、他の子も荒れ始める、というおそれもある、という迷いが生じた)
・私は呼ばれて、「自閉症児の子どもには同情だけでなく、必要な時にはしつけも必要である」ことを力説した。1か月後、先生たちは、この一見矛盾する助言を実現しており、秩序が回復し、その子も進歩を続けていた。
・自閉症の子どもたちは、安定した情緒的に豊かな環境に住むことができる場合には、地域社会の一員であることが有益であり、状態が驚くほど改善する。
【家族が自閉症児治療の中心になりうる】
・子どもたちの追跡研究の結果、家族に強い豊かな、多様な「情緒的交流」が育っていた子どもたちだけが、その後もさらに進歩し、その他の子どもたちは悪化していることがわかった。後者の子どもたちは、内的な不和・摩擦・分裂をともなう家族と暮らしていたことが判明した。
・成功例1:母親が妊娠中風疹にかかり、聾で生まれた。3歳半の時は口をきかず、失禁があり、さまざまな常同行動を示していたが、母親が「正話法」によるリハビリテーションを始め、子どもとの間に強い絆を育てたところ、さらに驚くべき進歩を示した。現在11歳で、学校には4年生として通学し、成績もよく情緒および社会的適応も良好である。
・成功例2:3歳半の時、強くひきこもっており一貫して視線を避け、2~3語オウム返しに言うだけだった。母親が家を去り、父と妹と祖父母が残ったが、家庭状況は今までよりずっと「調和的」になり、家族の間に「温かい関係」ができてきた。この子は保育園に通い、6歳までに言語や認知的・情緒的・社会的行動は「ごく普通」になった。現在9歳半で4年生になり、成績もよく今もまったく正常である。
・しかしながら、他のケースでは、家庭の中での葛藤、コミュニケーションの困難さ、家族の不和などで、進歩が妨げられたり、逆行したり、破局的な悪化を示すことが少なくない。
・そこで私は、自閉症児に対して「家族をより直接的に関与させる」ことをねらった治療を行うことにした。以下は、その事例報告(の一部)である。
【事例1 アントニオの場合】(初診6歳半)
・若い夫婦のひとりっ子。
・人に対してひきこもり、三人称かオウム返し、意味のわからないような話し方、時々視線をそらしていた。雷鳴、ケガをした時には一時的な激しい不安。複雑な管状の図形を描くことができたが、人間は描かなかった.
・初めは普通に育っていたが、2歳頃から自閉的傾向を示し始め、その後悪化した。
・両親には結婚当初から摩擦と不和があった。
・「もっと子どもの相手になるように」という助言に従って、父親は積み木遊び、読み書きの学習の手助けをした。父親と息子の間に強い絆ができていった。
・母親は、夫との葛藤に妨げられ、また家事の都合、罪悪感、夫よりもよくない親だと感じていたことなどのために、絆をつくることがうまくできなかった。
・両親とくり返し話し、両親の悩みについて話し合ったところ、母親の罪意識を解くのに役立ち、まもなく母親は息子との絆づくりに積極的な役割をとり始めた。家族のつながりもよくなり、子どもの想像的・芸術的能力が励まされた。
・父親は担任教師とうまが合い、何か月か毎日2時間アントニオの学校に付いて行き、ひとりで全部やれるようになるまで付き添った。
・1年後、アントニオは普通に話し、読み書きもでき、両親や他の大人ともうまく接することができ、友だちとの関係がややはにかみやであった点を除けば、あらゆる面で正常になっていた。
・治療終了後3年目で10歳になった今、社会的能力は著しく向上し、同年の普通の子とまったく同じようにふるまい、小学校5年生で成績もよい。


*このケースによって、自閉症児は両親その他の非専門家を治療に参加させることによって治療できること、これは家庭と地域社会に調和が保たれている時に最もうまくいく、家庭内に分裂や軋轢があると回復が妨げられたり悪化をひき起こすという確信を強めた。
・その確信は、1979年、ティンバーゲン教授夫妻からウェルチ博士の研究についてうかがい、その論文を読み、直接お目にかかって話し合い、一緒に仕事をする機会をもったことにより、いっそう強められ明確なものになった。
・この接触によって、治療方策の第三段階が生まれた。すなわち、段階的に次の三つの治療方法を加える結果になった。①対面相互反応をより多く取り入れること。(それまでは横に並んだ位置の方が好ましいと考えていた)、②母親に単に「抱く」ことを含め、それ以上に、普通の母親が本能的文化的に母性行動の一部として行っているような行動を積極的にとるようにさせること、③母親がさまざまの方法で子どもの成長を促すよう刺激することを勧め、暖かく、愛情深い接触を伴うようにさせること。この方法は、自閉症の子どもの回復にも母親にもたいへん重要であることがわかったが、同時にまた「抱擁」という単なる機械的作業に陥り、母親が単調な受け身的な非刺激的行動をとるようになる危険ももっていることがわかった。母子双方について相互的な温かい愛情深い行動を達成させなければいけない。
・次の事例は、すべてこの第三段階、1981年4月までの1年間に治療したものである。


【事例2 ジョージの場合】(初診6歳)
・レーバー氏病という先天的な病気にかかっており、周辺視野の視力はあっても中心視力が欠損していた。
・正常に生まれ、11か月の時歩き始め、ことばを話し始めた。
・しかし2年目に、話すこと、自発的歩行が止まった。
・6歳の初診時、大部分の時間をひとりで座るか寝ころんですごし、手をヒラヒラさせる動きをくり返したえまなく続けていた。ことばは一言も発せず、話しかけに反応しなかった。視線をそらし、介助がなければ二、三歩以上は歩けなかった。(両親、姉、兄、父方の祖父母と一緒に暮らしていた)
・治療は「母親による抱きしめ」から始めた。母親はこれを一貫して長時間行ったが、最初の3か月間は何の進歩もなかった。
・外来クリニックから「家庭訪問治療」に切り換えた。母親の日課は、午前中は家事、午後はドライブに終始していたので、「新しいおもちゃを与えること」「生活様式を変えてみること」(子どもに対してもっと厳格になること)を助言した。
・そのすぐあとに変化が起こった。母親がジョージを床屋に連れて行き、いつものように激しい抵抗が始まった時、母親は頭を手でしっかり抑え、顔を突き合わせて抱きかかえ、静かにちゃんとしているように怒った調子で話した。突然子どもはおとなしくなった。母親は家でもいくつかの厳格な命令をした。すると今まで見たことのないような成果が得られた。
・「抱きしめ」の時、子どもがあまり何も言わないので、子どもを腕にかかえて向かい合わせに抱き、大きな声で、自分を「マミー」と呼ぶように要求した。それから、子どもを下におろして押さえつけ、子どもが呼び声をたてているのに、数分にわたって要求をくり返した。すると突然子どもがすすり泣きながら「マミー、マミー」と言った。そこで母親は再び腕にかかえ、今度は非常に優しく冗談を言ったり、あやしたりしながら話しかけた。すると子どもは声を出して笑い始め、母親の言っていることばを何語かまねて言った。
母親は、自分ひとりでここまでやれたことを誇りに思う、と語った。(それまで、母親としての自信がなく、義理の両親に抑えられているように思ってきたという)
・母親は、午後いっぱいを子どもと過ごすことに決心した。
・その後の4か月間、母親はジョージとの対面接触を続けたが、その方法をいろいろ変えた。抱くことはしばらくして止めたが、身体接触を多くもつことは続けた。衣服の着脱をひとりですることを要求し始め、積み木を積みあげること、その他の活動でも子どもの手を取って手伝うこともやり始めた。
・母親が親としての能力を回復してから4か月後、ジョージは50語を発することができ、短い適切な文章で話し、食事、衣服の着脱、歩き回る、走り回る、ボール遊びができるようになり、両親や家族、先生とも温かい関係を保っている。多くの常同行動もなくなった。
【事例3 サイモンの場合】(初診5歳半)
・問題の多い家庭のひとりっ子であった。(父親は「精神病質」、妻に対して攻撃的、批判的、商店の店員としては有能。母親は消極的で従順、父方の祖父母、父親の妹から「知恵遅れ」と言われていた。サイモンは、母方の祖母、父方の叔母と一緒に暮らしていた)
・初診時、終始視線をそらしており、ひどく多動。手で物をつかむことができなかった。ことばは意味不明な単語の「ごちゃまぜ」で一部オウム返しが入っていた。
・治療に最初の期間(1年半)は、家族全体や保育園をも含めた定期的治療を行ったが、成功しなかった。
・7歳になっても「ほんのわずかしか」よくなっていなかった。
・そこで毎週、作業療法をすることにし母親も参加・協力した。
・数週後、一家は他の待ちへ引っ越したが、母親とサイモンだけは残り、引き続き作業療法と通学を続けた。
・一方では、母親に「毎日できるだけ長時間子どもを抱っこしているように」と勧めた。
・母親は非常に明るくなり、「100パーセントこの子を世話し、心ゆくまで手をかけてやれるという感じがする」と言った。
・毎日かかさず子どもを腕に抱き、物をつかむ、ひとりで食べる、絵を描くなどの能力の発達を促す工夫をした。
・その頃から、父親も治療に参加するようになった。
・6か月後、(一家が戻ってきた時には)状況は一変していた。母親は元気満々でサイモンに関する事柄については完全な決定権をもっていた。父親は、母親や息子の味方として慎み深い普通の父親としてふるまい、精神病的な行動は跡形もなく消えていた。
・こうして1年後には、サイモンはオウム返しもなく正しい文章で流暢に話すことができ、まっすぐ人の目を見たり、からだに触れたりし、多動ではなく、人形の形を描いたり、色の名を言ったりもし、急速かつ連続的な進歩を示している。
【事例4 ジョセフの場合】(初診4歳)
・他の人から距離を隔てること、三人称で話すこと、時々オウム返しがあることなど、軽い自閉的様相を示していたが、視線をそらすことはなく、時々直接質問することもあった。積み木を重ねて塔をつくることはできたが、鉛筆を握ることは決してしなかった。
・7歳、8歳の(知的で活動的な)姉がいたが、ジョセフとはあまりかかわらなかった。
・母親には、ジョセフを向かい合わせに腕に抱き、目を見ながら、毎日少なくとも1~2時間「慰撫」するように話し、父親にはプロセスごっこなどいろいろな遊びをするように話した。
・両親とも協力的で、1か月後に子どもに会った時には、自閉的様相は急速に消失していた。たいていは人に直接話しかけ、ひきこもりも減り、他の子どもともよく遊んでいた。・その後の数か月間もこの改善は続き、治療は認知能力の遅れの克服を助けることのほうに重点がおかれ始めた。
・初診から1年たった今、大人とも子どもとも正常にかかわり、自閉的様相はまったく見られず、家などを相当くわしく描いたりする状態で、同年の普通の子どもの能力レベルに徐々に追いついている。
【事例5 オリビアの場合】(初診3歳)
・2歳までの発達は一見正常であったが、母親が働き過ぎになった頃から自閉的傾向が現れてきた。朝8時から夕方6時まで保育園に預けられた。家の引っ越しがあって、なついていた親類との接触が失われた。保育園の先生も突然変わったりした。
・初診時、極端に人を避け、悲しそうな表情をし、自分のこぶしを打ちつけ、ほとんどいつも二つのこぶしを重ねており、視線をそらし、話しかけに反応せず、発声は意味のわからない音のつながりであった。
・母親に、①入浴は一緒にすること、②並んで座ってなでたり優しく話しかけたりすること、③他の家族も同じようにし、あまり直接的でないやりとりをするように、などの実際的指示を与えた。「かくれんぼ」「お手々パチパチ」などの簡単なゲームをしたり、温かい笑顔で接するように促した。
・両親は、街を離れて田舎に戻り、母方の両親(農家)と同居する決心をした。
・オリビアは、動物と喜んで遊んだ。オリビアは自分が見られていないと感ずるとよく物をいじるような様子が見られるようになったので、両親の少し後で「食事」をするようにさせたところ、手づかみであったがひとりで食べられるようになった。母親に、オリビアと一緒にベッドに行き、話しかけたり撫でてやったりすることを勧めた。
・1か月後、オリビアはみるからに明るい、よく笑う子になった。階段の昇り降りもでき、ゴチャゴチャした喃語の中にいくつかの明瞭な単語も聞こえる時があった。しかし、こぶしを叩くことは続いていた。
・当時、彼女の周りで治療的にいちばん役に立っていたのは祖父であった。彼は「おどける」ことが上手で、彼女は祖父を呼んだり、顔を叩いたりして「じゃれ合う」遊びを喜んだ。
・この時期にウェルチ式治療のことを知り、この方法を加えた。
・最初の2か月は、今まで以上の進歩は見られなかった。
・母親が1か月の休暇中、オリビアを海岸に連れて行き、祖父と「離れ離れ」になったことで、彼女は「退行」した。その後、もとの状態にもどるまで6か月かかった。
・両親はひどく気落ちし、二度と回復しないのではと思うようになってしまった。
・そこで、母親に3か月仕事をやめ、オリビアと一緒に過ごすこと(抱く、目を合わせる、話しかけをくり返す、撫でる、あやす)を勧め、物に触らせたり、握らせたり、手を握っていてやったり、からだにくっつけておいたりするように助言した。するとオリビアは、急速に進歩した。
・母親が仕事をやめて3か月後、オリビアは自分のこぶしを叩くのをまったく止め、30語を正しく使い、短い文章を話し、ひとりで食べることができ、顔の表情が豊かになり、たいていは明るく笑っている。視線をそらすことはなく、話しかけに答え、両親や親類や他人ともさまざまの豊かな方法でかかわり、自閉的な行動は少しも示していない。
【結論】
・1981年4月現在、これまで治療にかかわった事例の(治療終了後3年間の)追跡を行っているが、ほとんどのケースが(今も)正常な状態であり、家族や他の人との情緒的関係も良好で、正常な発達を遂げている。結局11例中9例で、効果があった。当初の家族による治療に、ウェルチ療法を加えて組み合わせたことが、たいへん有効であった。
・効果がなかった2ケースは、①両親と治療者(ザッペラ医師)との間の接触不十分(遠距離)、②家庭内の混乱・摩擦状態という要素がむすびついていると思われる。
《指針》
⑴自閉症児の家族は、あまり遠くないところに住む治療者・治療グループからの助言・監督を必要としている。クリニックや家庭での頻繁な接触を通して、両親・学校・教師が適切な指導法を開発していくのを援助することが必要である。
*やさしくすること、抱いてやること、低い声で話しかけること、視線を合わせることを避けることなども、時によって、強行「突破」、その他の断固たる指導や、向かい合わせの対面や強固な抱きしめなどに変える必要がでてくる。乱暴な遊びや、ふざけっこなどの非音声的やりとりは、子どもの言語的やりとりを発達させるのに役立つ。動物とつきあうチャンスを与えることも、人とのむすびつきをつける準備として役立つことがある。
⑵美しい物にふれさせ、それを他の人が見て賞賛したり歓喜したりするありさまにふれさせると、美しさや「すてき」なことに対する子どもの自然な喜びを高めることができる。
こういったうれしい体験やふざけあいなどを他の人と共にすることは、人との情緒的な発達を助ける。
⑶両親にも教師にも、一時的退行や進歩のなさなどについての絶望感を克服させるためには、くり返し精神的支援と励ましを与えることが必要である。
⑷家族内の調和的雰囲気は最も重要であり、治療者はそういう混沌状態や態度を発見して静めるうえで重要な役割をもつ。時には残酷とも思われるやり方で自分たちの短所に直面させなければならないこともあるが、同時に希望を持ち続けられるように援助しなければならない。治療者が家庭内の調和を保つことに成功すれば、両親に「超一級の親になる」という困難な課題に対して相互に助け合うようにさせることができる。治療者が折にふれて両親に、自分自身の配偶者や子どもの問題について経験した難しい問題について話すことができれば助けになることがある。こういうことも治療者チームのメンバー同士が互いにそういう経験を交換しあえるようだと、よりやりやすくなる。
*この治療法はまだ今後とも発展の過程にあるものだが、ここに述べたケースは自閉症児とその両親がいかにすれば指導によって正常な幸福な生活にもどりうるかをよく示している。


《感想》
 以上が、ミッシェル・ザッペラ博士の論文である。彼の「治療」(方法)の特徴は、①まず自閉症児が生活している「地域社会」のあり方に注目し、そこにいる「非専門家」(学校の教師や子どもたち、学生)の力を活用すること、②自閉症児が存在基盤としている「家庭」のあり方を観察し、主として「家族関係」を治療の対象とすること、③さらに進んで、「家族関係」の中でも、特に「母子関係」を治療すること、その中に「ウェルチ療法」(抱きしめ法)を導入すること、である。その方法は、「自閉症の子どもと、日常生活をともにする人々との『相互交渉』を促進する治療」という点で一貫している。つまり、自閉症児を「単独で」治療するのではなく、両親、家族、地域の人々(教師、クラスメート)と「一緒に」治療し、その「相互交渉」がスムーズにいくように改善するのである。そのためには病院を出て「野外研究」をしなければならない。事実、報告を読むと、博士の仕事の大半が、両親、家族、学校、教師、クラスメートに対して「どのようにその子と向き合えばよいか」を説明・説得することに終始していることがわかる。具体的には、①横に並んで一緒に行動すること、②前に位置して行動を観察させること、③正面から向かい合って「関わる」こと、時には親しみをこめて優しく温かく、時には毅然として厳格に、といった「関わり方」を臨機応援に使い分けなければならない。そのことによって初めて、周囲の人々が自閉症児と関わる「自信」(誇り)が生まれ、それが自閉症児に「回復」と「安定」をもたらす、ということであろう。博士はまた、「治療者が折にふれて両親に、自分自身の配偶者や子どもの問題について経験した難しい問題について話すことができれば助けになることがある」とも述べている。それは、治療者もまた両親と「同じ立場」にたっており、自分自身も「まな板にのって」(同じ土俵の中で)問題の解決を図ろうとする、誠実さの現れである、と私は感じた。とりわけ、「家族内の調和的雰囲気は最も重要であり、治療者はそういう混沌状態や態度を発見して静めるうえで重要な役割をもつ。時には残酷とも思われるやり方で自分たちの短所に直面させなければならないこともあるが、同時に希望を持ち続けられるように援助しなければならない」という博士の「使命感」(信念)に強い感銘を受けた次第である。(2013.12.27)