梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・12

二 概念
 言語の概念は、音声によって喚起される心的内容である。概念というのは、概念されたものの意味である。
 私は、言語によって表現される事物、表象、概念は、言語の素材であり、言語を成立させる条件にはなるが、言語の内部的な構成要素となるべきものではないという見地から、概念を言語の外に置いた。(総論第五項・素材)
 それならば、言語の内容的なものとして何が残るか。《何も残らない》
 言語は、ある物を背負って運ぶ伝達者として意味を持っているのではなく、たとえていえば、為替のようなものである。金銭は為替に伴われて持ち運ばれるものではなく、相手方に金銭が支払われることが要求されるに過ぎない。言語によって表現される素材は、為替における金銭と同様に、概念であり、表象であり、事物であるに違いないが、言語はこれらの内容から成立しているのではなく、これらを素材として、それに対する主体的把握の表現から成立している。
 事物をまず表現の根源的な条件とするならば、表現が成立するためには、主体はこれを表象として心的内容に持ち込む必要がある。この表象されたものは、心的であるとはいっても、依然として主体に対しては、素材としての関係にあるが、表象作用そのものは、言語の一つの段階である。次に素材は概念として認識されるが、概念的思考過程によって概念されたものは、これもまた依然として素材であるが、この変形された素材を造る思考過程すなわち概念作用も言語の一つの段階である。このようにして成立した概念は、発音行為に移行されて、はじめて言語として表出されることとなるのである。
 言語によってある事物や概念が理解されるのは、為替によって金銭が支払われるのと同じ趣であって、為替は金銭が支払われるまでの手続きを示すに外ならないのである。為替が時に金銭の代用として売買に使用されると同様に、言語が概念の代用のように考えられることがあるが、それは常識的観念としてのみ許されるに過ぎない。(各論第四章・意味論の項でこの問題を論じる)
【感想】
 概念とは、事物と事物の間にある「共通点」である。事物は本来ただ一つしか存在しないが、共通点によって「一括り」にされる。例えば、「人」、千差万別の各個人が一括りにされて「人」と呼ばれる。さらに、「人」は、「猿」「犬」「猫」などと一括りにされて「哺乳類」、さらに「動物」、「生物」などとも呼ばれる。そのように考えることを「概念作用」というのだろう。また、人間はある事物を見て、その形を認識する。その認識されたもの表象であり、その事物によって心が動かされた場合、心の動きを心象という。
 言語構成観では、音声と概念が結合して言語が構成されると考えられているが、概念は音声によって喚起される心的内容であり、言語の素材に過ぎないと著者は述べている。
 言語の内容的なものは何も無く、為替のようなものであるという譬えが、たいそう面白かった。一般的には、「犬」という言葉には、イヌという内容(意味)が含まれていると考えられがちだが、著者は明確に否定している。そのことは後述されるということなので、期待を込めて読み進めたい。(2017.9.12)