梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「阿部一族」(監督・熊谷久虎・1938年)

 ユーチューブで映画「阿部一族」(監督・熊谷久虎・1938年)を観た。タイトルの前に「国民精神総動員 帝国政府」という字幕が一瞬映し出される。原作は森鷗外、九州肥後藩で起きた、一族滅亡の物語である。監督・熊谷久虎も九州出身、女優・原節子の義兄として知られているが、この映画を制作後(1941年)、国粋主義思想団体を結成し教祖的存在になる。一方、出演は、1931年に歌舞伎大部屋(下級)俳優が創設した(民主的な)「前進座」総動員、というわけで、その取り合わせが、たいそう興味深かった。もっとも、当時の社会が「大政翼賛体制」へと突き進んでいく時勢であったとすれば不思議ではない。冒頭のキャッチ・フレーズがそのことを雄弁に物語っている。
 筋書きは単純、先君・肥後守細川忠利の逝去に当たり、18名の殉死が許されたが、阿部一族の当主・阿部弥一右衛門(市川笑太郎)は許されなかった。そのことを嘲笑う城内の空気感じて、彼は追い腹を切る。藩主の細川光尚(生方明)は「余への面当てか」と激怒したが、殉死扱いとしてお咎めはなかった。にもかかわらず、弥一右衛門の長男・権兵衛は先君の一周忌法要で、父の位牌がないことを知るや、焼香の後いきなり自分の髻を切り落とした。かねてより阿部一族の武勲に面白くない大目付の林外記(山崎進蔵、後の河野秋武)は「何たる不埒」と光尚に進言、権兵衛は縛り首に処せられる。合わせて、「阿部一族に不穏な動きあり」という噂を流す。かくて、次男・弥五兵衛(中村翫右衛門)、三男・一太夫(市川進之助)、四男・五太夫(山崎進二郎)、五男・七之丞(市川扇升)ら兄弟とその家族、一族郎党が、籠城して討ち死にする。阿部家の隣は、柄本又七郞(河原崎長十郎)の屋敷、両家は親しく交流していたが、討ち入りの際には、「情は情、義は義」と言い、一番槍で弥五兵衛と対峙したのであった、という物語である。
 この映画の眼目(見どころ)は、ひとえに「死に様」の美学であろうか。冒頭の二人の殉死、そして弥一右衛門、追い腹の場面は真に迫っていた。
 殉死の一人目は内藤長十郞(市川喜菊之助)、酒好きで失敗を重ねたが、先君に咎められることなく可愛がられ、務めを全うした由、新婚の妻(平塚ふみ子)、母(伊藤智子)、弟(伊藤薫)を後に残して、欣然と東光院に赴く。長十郞享年17歳。二人目は、仲間の五助(中村進五郎)、先君の愛犬の世話を仰せつけられたか、その犬とともに高淋寺に赴く。木の根元に腰を下ろして五助が言う。「オレが死んでしもうたらお前は明日から野良犬じゃ。もし、野良犬でも死にとうなかったら、この握り飯を食え。もし、死にたければ食うな」と言って差し出す。犬は、握り飯を一瞥すると五助の顔を見た。「そうか、お前も一緒に死んでくれるか、ヨカヨカ」と言って犬に頬ずり、涙に暮れた。握り飯に落ち葉が降りかかる。その直後「ワン」という声とともに「松野様。よろしくお頼み申します」、という五助の声が聞こえた。五助享年38歳。
 弥一右衛門追い腹の場面、ある雨の降りしきる晩、弥一右衛門は息子5人、一族郎党をを集めて機嫌がよい。庭先に来た仲間・太助(市川延司、後の加東大介)に「ええか、この刀をやる。刀は武士の魂じゃ、これを見たらワシじゃと思え」と愛刀を授ける。息子たちに向かって「ワシは命よりも名を惜しむ。名門のためなら追い腹切って、犬死にでもよい。ワシのことを瓢箪に油塗って切るという者もあるが、ワシは瓢箪に油ば塗って《腹を》切る」と言い放つ。瓢箪に入った酒をまず長男の権兵衛に注ぎ、「ワシにも注いでくれ」。次々と、酒を酌み交わしながら「死なぬはずのワシが死んだら、みんながおぬしたちのことを侮るかもしれん。その時はわしの子に生まれたことを不運だと思ってくれ、しょうがつことなか、ええか、兄弟仲良くせえよ。みんな心を合わせて武士らしく振る舞えよ、アハハハハ」」と笑い飛ばし、終わりに十八番の舞「清経」を披露する。とろどころ「みるめをかりの夜乃空。西に傾く月を見ればいざや我も連れんと。南無阿弥陀佛弥陀如来、迎へさせ給へと、ただ一聲を最期にて、船よりかっぱと落汐(おちじお)の、底の水屑(みくづ)と沈み行く、憂き身の果ぞ悲しき」などと詠うのが聞こえた。
 さらに、この場面は「阿部一族」討ち死にの、大詰めでも再現される。弥五兵衛が父の残した瓢箪で弟たちと酒を酌み交わし、「清経」を舞う。
 武士道とは死ぬことと見つけたり、主君のために死ぬことが武士の本分であり、主君が死ねば殉死する、その精神こそが「国民精神総動員」(キャンペーン)の本質であることは間違いない。かくて、日本国民はまっしぐらに軍国主義、戦争への道を歩んだのである。 あの「前進座」までもがそれに加担していたという「事実」を知る上で、貴重な歴史的産物であると、私は思った。そして今、再び「戦争の足音が聞こえる」世の中になっているが、断じて同じ過ちを繰り返すまい。映画の最後には「犬死一番」という文字も見えたが、現代では、犬死(戦死)こそが最も愚かな「死に様」であることを肝に銘じたい。
 他に、この映画には多くの女性、子どもが登場する。例えば、前述した殉死者・内藤長十郞の新妻、そして母、さらには阿部家の仲間・太助の恋人で、柄本家の女中(堤真佐子)、柄本又七郞の妻(山岸しづ江)、阿部権兵衛の妻(一ノ瀬ゆう子)、一太夫の妻(原緋紗子)、五太夫の妻(岩田富貴子)といった面々だが、彼女らの存在感は希薄、ただ男たちの「義」に従属するだけ、子どもたちもまた「遊び呆ける」姿を見せるだけで、軍国下にある婦女子の苦悩、愛憎、悲哀の描出は不発に終わったと思う。それもまた、当時の社会を反映した、悲しい証しかもしれない。
(2017.6.6)