梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「按摩と女」(監督・清水宏・1938年)

    監督・清水宏、戦前傑作の逸品である。山の温泉場(おそらく塩原か?)に向かう按摩の徳一(徳大寺伸)と福市(日守新一)が四方山話をしながら歩いている。青葉の頃になったので、海の温泉場から山の湯治場に一年ぶりでやって来たのだ。「こうしていると、青葉の景色が見えるようだ」「今日は目明きを何人追い越した?」「17人だ」「おかげで、馬の尻や犬に何度もぶつかった」「近頃の目明きは頼りにならない」などと語り合いながら、「だから、俺たちは勘を働かせなくちゃいけない」と徳一が言う。「あっちから、子どもがやって来る。何人いると思う?」、福市が勘を働かせて「8人だな」と言えば、徳一は「いや、8人半だ。赤ん坊が負ぶさっている」「赤ん坊?ハハハ、赤ん坊には気がつかなかったな」。やがて、子どもたちが二人とすれ違う。たしかに、間違いなく7人と赤ん坊を負ぶった1人が通り過ぎた。確認して歩き出そうとすると、徳一が「ちょっと待った」と福一を制止する。前方に大きな馬糞があったのだ。二人は巧妙にその場を通り脱ける。「徳さん、もう少しゆっくり歩こうよ、疲れてしまった」「日のあるうちに宿につきたいからね」「俺たちには関係ない、いつも夜道ばかりじゃないか」「それはそうだけど、さっき俺たちを追い抜いていった学生たちを追い越してやりたいんだよ」「そりゃあ、無理だよ」「何故?」「何故ったって、無理なものは無理だよ」「無理が通れば道理が引っ込む。俺は無理を通すんだ!」と急ぎ足になった途端、徳はが大きな石に躓き転倒する。その時、後方からトテ馬車が近づいて来た。あわてて道の両脇に馬車を避け、見送る。「いい女が乗っていたねえ、東京の女だよ。東京の匂いがしたよ」。たしかに、その馬車には一人の女・三沢美千穂(高峰三枝子)、そして東京の男・大村真太郎(佐分利進)、甥の研一(爆弾小僧)さらにもう一人、謎の男(赤城正太郎)の4人が乗っていた。馭者の話、「あの按摩たちはここの湯治場の名物なんですよ。毎年、暖かくなると南の海の温泉場からやって来るんです。そのたびに何人追い抜いたといい気持ちになっているうですよ。寒くなるとまた南の温泉場に帰って行くんです」。
 その日の夜、さっそく徳一と福市にお呼びがかかった。街の小橋を渡りながら「今日は福さん、どこだい」「俺は観音屋だ」「俺は鯨屋だ」と言って別れる。徳一は鯨屋を訪れ、主人(坂本武)に「今年もよろしくお願いいたします」と、手土産を渡して挨拶、「海の温泉場の景気はどうだい」「さっぱりです」「どこも同じだなあ」と語り合うところに、女中のお菊(春日京子)が二階から降りてきて、「四番のお客様と、学生さんのところよろしく」と告げる。四番のお客様とは、馬車に乗っていた東京の女・美千穂、学生とは、ここに来るまでに追い抜いて行った連中(近衛敏明、磯野秋雄、廣瀬徹、水原弘志)であった。徳一は美千穂の肩を揉みながら「奥様は東京の方ですか」「まあ奥様だなんて」失礼しました、お嬢様でしたか」。美千穂は笑いをこらえるが多くを語らない。「だいぶ、この筋が凝っていらっしゃいますねえ。何か考えごと、心配事がおありになるのでは」「どんなことか、おわかり?」「そこまでは・・・」。次は、学生たちの部屋。「按摩さん、今日はずいぶん速歩で追いかけて来るんで、俺たちは恐くなって逃げ出したんだよ」「そうでしたか。それは残念でした!」「どうして?」「いえ、とにかく残念でした」などと言いながら、学生4人の足を徹底的に揉みまくる。捻り鉢巻きで片肌脱ぎの懸命な姿が、たいそう「絵になっていた」。一方、福市の客は、ハイキングの女学生(槇芙佐子、三浦光子、中井戸雅子、関かほる、平野鮎子)と、大村真太郎であった。女学生は、蒲団の上ではしゃぎながら「按摩さん、今日追い抜かれたんで、足がこんなに痛くなってしまったわ。按摩賃、負けなさいよ」などと福市をやり込める。「近頃の女学生は大胆になったわ」と、美千穂が徳一に語ったことが裏書きされる場面であった。大村の部屋では、真太郎を揉んでいる福市の鼻を、研一が紙縒りをつくり、黙ってくすぐる。そのたびにアブを追い払うような仕種をみせる福市の姿も絶品、永久保存に値する名場面であった、と私は思う。(現代では、障害者の尊厳を傷つける行為としてカットされるべき一コマであるにしても・・・、ただし映画の中ではそのままでは終わらない)
 翌朝、学生たちは峠越えのハイキングに出発したが、スタート早々、昨日の「揉み返し」が来て歩けない。やむなく宿屋に引き返す。その様子を見て、女学生たちが爽やかに追い抜いて行った。徳一たちが按摩宿でたむろしているとお菊が迎えに来た。「徳さん、東京のお客さんから名指しよ」。徳一はお菊に「内緒だよ」と言って、伊豆からの土産物・椿油をプレゼント、福市ら按摩仲間(油井宏信、飯島善太郎、大杉恒雄)が「ナイショダヨ、ナイショ、ナイショ」と冷やかすが、徳一は一向に動じない。徳一が鯨屋に向かう途中、たしかに美千穂に遭遇したはずだが、なぜか美千穂は立ち去った。念のため鯨屋に赴く。案の定、美千穂は不在、「戻るまで待ちましょう」と主人の肩を揉み始める。主人は「今日は朝から大変だよ。学生さんたちが帰ってきて風呂に入っている間に、金銭すべてを盗られてしまった。その時、宿に居たのは東京のお客様はずだったが、まさか・・・」と言う所に、美千穂が研一を連れて戻って来た。河原で魚釣りをしている研一に声をかけ、釣れた魚で昼食を摂ろうと約束をして来たらしい。徳一が美千穂の部屋に向かうと、前は学生の部屋。「おや、きのうの学生さん。峠越えは?」「それどころじゃないよ、足が痛くて歩けない。その上、空き巣に入られてすってんてんだ」「それは、御災難でした。いずれまた」とケロッとした様子で、美千穂の部屋へ・・・。しかし、美千穂は「さっき気づかれ逃げ出したんで汗かいちゃった、一風呂浴びてくるわ、按摩さんも入らない?」「えっ、一緒にですか」「まあ、イヤよ、一緒になんて」。フラレた徳一がしょんぼりしていると、傍に居た研一が団扇を近づけていたずらをしようとする。気配を感じた徳一が団扇を叩き落とすと、研一が泣き出した。今度は、徳一が福市の仇を取ったのである。その場面も、たいそう可笑しく、私の笑いは止まらなかった。
 鯨屋の主人は学生たちの滞在費と帰りの汽車賃を弁償、一件落着になりそうだったのだが・・・。
 その後、話は、①研一を通して、観音屋での美千穂と真太郎の出会い、③真太郎の延泊決意、④美千穂が観音屋に出向き真太郎、研一と夕食を共にする、⑤按摩部屋に観音屋から迎えが来る。徳一は観音屋だと聞いて仕事を福市に譲る、④しかし仲間から、美千穂は今晩は観音屋に居るという話を聞いて、あわてて福市を追いかける、⑤その途中、小橋で涼んでいる学生たちとぶつかり、大喧嘩。⑥翌朝、福市から、昨日観音屋にも空き巣が入って大騒ぎ、自分も調べられたと聞く。⑦河原では真太郎と美千穂の「身の上話」、⑧その夜、小橋で真太郎と美千穂の「交情話」、⑨徳一と研一の出会いと交流。⑤徳一と美千穂の交流、という展開を見せるが、詳細は割愛する。
 やがて、真太郎と研一は東京へ帰って行った。一人残った美千穂は、雨の中、河原を散歩する。その日の夜、小橋の所で、徳一は「他の宿屋でも空き巣が続発している。警察が滞在客をしらみつぶしに調べるそうだ」とう話を福市から聞かされる。空き巣の犯人は美千穂に違いない、そう盲信した徳一は慌てて鯨屋の美千穂の部屋に駆け込む。「早く、早く逃げて下さい。しらみつぶしに探しています」「えっ!探している?」「手が回っています、こうしちゃあいられません」、美千穂にも衝撃が走った。二人は裸足のまま鯨屋の裏口から脱け出し、路地の暗がりに身を隠す。「ここでしばらく待って居てください。すぐに荷物を持って参ります」。美千穂が「按摩さん!」と行くのを止めようとすると「来ちゃあいけません。私は何もかも知っていたんです。目明きの目をごまかせても私の目をごまかすことはできません。私はとても辛かったんです。早く逃げてください。私の目の届かない遠いところへ」「・・・・」「鯨屋さんで学生さんたちのお金がなくなった時、他でも盗難事件があったときにも、私があなたを信じようとして苦しみました」。その言葉を聞いて、美千穂の肩の力が脱けていく。「按摩さん、あんた何かとんでもない間違いをしてるんじゃない」「いえ、私の目に狂いはありません。あなたは考え事をしたり、心配したり、物音に怯えていたじゃありませんか」「バカバカしくて話にもならないわ。でも、それほどまでに私の身を心配してくれていたんだから、何もかもお話ししましょう」。
 美千穂は東京の「囲われ者」(妾)、旦那のお世話になるのがイヤで逃げてきたのである。奥様やお嬢様に申し訳なくて逃げてきたのである。しかし、旦那は必ず探しに来るだろう。だから、馬車のラッパの音や人の足音にも怯えていたのである。「按摩さん、私を逃がしてくれようとしたあなたに何の恨みもありません。あなたの目は見え過ぎていたんです。これからも、獣のような旦那の目の届かない所へ逃げて逃げて、逃げ回りますわ」徳一は、「お客様!」と言って跪き、頭を垂れる他はなかった。
 大詰めは、雨の中、馬車に乗り込む美千穂の姿、続いて警官が一人の男を曳いて乗り込んで来る。美千穂が来た時にも乗っていた、あの謎の男であった。走り出す馬車を見送るお菊、番頭、そしてもちろん徳一、福市の姿もある。最後、美千穂はお菊に向かって「坊やから手紙が来たら、早く大人になって立派な人になるようにってねと返事、出しといてね」と言い残し、去って行った。思わず馬車を追いかけて駆け出すす徳一、その目には今、ハッキリと美千穂の面影が映っていたに違いない。
 この映画の演出、展開、映像には寸分の隙もない傑作である。見どころは満載だが、まず一番は、按摩・徳一、福市コンビの景色であろう。道理よりも無理を通す覇気、それでいて女にはめっぽう惚れっぽい徳一の心意気と、いつも受け身で醒めている福市の安定感が、絶妙の呼吸で場面を引き立てる。何かを感じると、杖を振り上げて構える福市の姿勢がたまらなく魅力的である。徳一も学生4人と渡り合い、自分の負傷と同等に相手を傷つける実力はさすが、研一のいたずらにも一瞬で対応し「おじさんは、何だってできるんだよ」と、一本橋をするすると渡ってみせる姿は光っていた。この映画で見せた、徳大寺伸、日守新一の所作は、戦後、勝新太郎に引き継がれ、あの「座頭市」を生み出したことは間違いないだろう。二番目は、女・三沢美智穂の風情であろうか。日陰者でありながらどこか清純、徳一から「お嬢様ですか」と言われ苦笑する。高峰三枝子は当時20歳になる直前、でも研一からは「おばちゃん」と呼ばれ、慕われても不自然でない風格を備えている。大村役の佐分利信との「逢瀬」(交情場面)でも、互角に渡り合い、ふと「もう一晩泊まろうか」という気持ちにさせる魅力が輝いていた。按摩仲間、学生連中にも「不思議な女だ」と興味を抱かせる。最後まで徳一を「按摩さん」と呼ぶ姿も、毅然として清々しかった。三番目は、大村の甥、研一を演じた爆弾小僧(横山準)の「やんちゃ振り」である。福市へのいたずらが成功したので徳一にも仕掛け、逆に驚かされた途端に泣き出す。風呂に潜って泳ぎ始める、大村と美千穂に放っておかれると「つまんねえ」と言って、その場を去る。両親と死別、独身の叔父に育てられる淋しさも十分に伝わって来た。四番目は、街中の小川に架けられた小さな橋である。その橋はドラマの起承転結に必ず登場する。人物がそこにさしかかると、必ず何かが起きるのだ。例えば按摩二人の仕事始め、例えば徳一と学生の喧嘩、例えば大村と美千穂の「逢瀬」、そこに現れる徳一の姿などなど、いわば、人生の舞台、分岐点として、人々の心象を代弁する役割を持っている。そうした監督・清水宏の演出(仕掛け)は心憎いばかり・・・、見どころは他にも多く、枚挙に暇がないほどだが、長くなるので割愛する。
 戦前邦画、珠玉の名品であったと、私は思う。   
(2017.6.8)