梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・高校

 昭和35年4月、私は東京郊外の公立高校に進学した。広い敷地には、木造校舎、食堂、図書館、体育館、プール等が立ち並び、校門から校舎玄関までは銀杏並木が続いていた。校則は緩く、下駄(朴歯)履きが許されるなど「自由」な雰囲気であったが、授業の内容は大学受験「一辺倒」で、学期末には成績優秀者の氏名が掲示される。私の学習意欲は激減し、授業に対する関心は消失した。高校は大学の予備校ではない。また、勉学は競い合うものでもない。私は図書館に通い文学書を濫読した。文芸部に所属し、文集・詩集を編んだ。成績はつねに「最下位」を争っていたが、おかげで多彩な友人・先輩たちと交流を深めることができた。山岳部、ラグビー部、サッカー部・・・、面々の懐かしい顔が浮かんでくる。しかし今、彼らのほとんどは物故者となり、巡り合うことはできない。(2015.4.27) 


映画「浮草物語」(監督・小津安二郎・1934年)

 戦前の「大衆演劇」を描いた邦画に「浮草物語」(監督小津安二郎・1934年)がある。ユーチューブで観賞できるが、サイレント版であり、全く沈黙の世界である。しかし、場面の随所にはセリフの字幕が挿入されており、不自由はしない。
 登場するのは市川喜八(坂本武)一座、信州(?)の田舎町に九年ぶりにやってきた。この町には喜八の隠し子の信吉(三井秀男)が、居酒屋を営む母・かあやん(飯田蝶子)と共に住んでいる。到着早々、喜八は現在の女房・おたか(八雲理恵子)に「土地の御贔屓筋の挨拶回りだ」と偽って居酒屋へ・・・、久しぶりに再会する喜八とかあやん、ニッコリと微笑み合って、「もうそろそろ来る頃だろうと思っていたよ」「信吉は大きくなったか」「ああ、農学校を卒業して今は専修科に通っているよ」「女手ひとつで随分苦労をしたろうな」「なーに、生きがいだから、ちっとも苦にはならないよ・・・、一本つけようか」・・・。昔、浮き名を流した中年男女の、互いをいたわり合う会話が清々しい。信吉には、親が旅役者ではまずかろうと、「お父さんは役場に勤めていたが、死んでしまった」と告げてある。「そのままにしておこう」と二人が確認し合ううちに、信吉が帰ってきた。かあやんが「信吉おかえり。芝居のおじさんが来てるよ!」。信吉もニッコリ笑って喜八を迎えた。「ずいぶん大きくなったなあ」。かあやんが「来年は検査だよ」というと喜八は信吉の身体をまぶしそうに眺めて「ウン、甲種だな」。「おじさん!、鮎釣りにいかないか」「ヨシ、行こう」、二人は近くの河原に赴いた。釣り糸を流しながら会話する。「おじさん、今度は長く居られるんだろう」「ああ、お客が入れば一年でも居られるさ」「楽屋に遊びに行ってもいいかな」「あんなところは、お前の来る所じゃねえ、人種が違うんだ」。
 その夜の興行は大入り満員、演目は「慶安太平記」であった。喜八の丸橋忠弥がほろ酔い気分で登場、ふらつきながら見栄を切ったが、犬がなかなか出てこない。袖に向かって「オイ、犬、犬はどうした!」と小声で叫んだ、出番の子役・富坊(突貫小僧)、あわててぬいぐるみを被り、客席から登場して忠弥に突進・・・、その様子が何とも可愛らしく、観客の大喝采が聞こえるようであった。しかし、突然降り出した驟雨のため、小屋の雨漏りが甚だしく、楽屋も客席も右往左往して、大騒動となってしまった。
 次の日も、次の日も、次の日も雨は止まない。芝居は休演で、座員は無聊を託っているが、喜八は連日の居酒屋通い、一同は「それにしても親方はのんきだなあ」という言葉に古参の座員・とっつあん(谷麗光)が口を滑らした。「そりゃあ、この土地に来たら仕方ねえよ」。それを聞きとがめたおたかが問い詰める。「お前さん、妙なことをお言いだねえ」。金まで掴まされて、とっつあんは、やむなく真相を白状、おたかの知るところとなった。おたかの気持ちは収まらず、妹分のおとき(坪内美子)を連れて居酒屋に押しかける。「おかみさん、一本つけておくんない」。二階では喜八と信吉がトウモロコシを囓りながら将棋に興じていたが、かあやんが昇ってきた。「お迎えだよ」。驚いた喜八が下に降りると、おたかとおときが酒を酌み交わしている。思わず「何しに来やがった!」とおたかを店からつまみ出し、痴話喧嘩が始まった。雨の中、「てめえなんかが出しゃばる幕か、オレがオレの倅に会いに行くのが何が悪い」「そんな口がきける義理かい。高崎の御難のことを忘れたか。あんまり舐めたマネ、おしでないよ!」」といったやりとりが、何とも真に迫っていて、男女の色模様が千変万化する景色に圧倒された。とどのつまり「おめえとの縁も今日っきりだ、二度とあの家の敷居をまたぐと承知しねえぞ。オレの倅とお前なんぞとは人種が違うんだ」という捨てセリフでその場は終わったが、喜八とおたかの亀裂は決定的となった。おたかは、おときに金を渡して信吉を誘惑させるが、おときは信吉に夢中の有様、若い二人は本気で逢瀬を楽しむ始末に・・・。
 ようやく雨が上がって、座員一同、河原で衣装の洗濯にとりかかったが、一人おときの姿が見えない。喜八はその日の夜、信吉に会おうと居酒屋を訪れたが、「この頃、毎晩出て行くんだよ」というかあやんの話。やむなく小屋に戻ったが、おときを送ってきた信吉の姿を目撃、おときを問い詰めると「お姉さんに頼まれて誘惑した、でも今では私の方が夢中なの」、驚いて「おたかを呼べ!」・・・、おたかは少しも悪びれずに「お前さん、何か私に用かい」「てめえ、オレの倅をどうしようてんだ」「どうもしないさ、息子さんも旅役者を情婦にするなんて、あんたそっくりということさ。これであんたとアタシは五分と五分・・・、せいぜい悔しがるがいい!」」と言い放った。そしておときも行方をくらました。喜八、居酒屋に駆けつけたが、案の定、信吉とおときは駆け落ち状態に・・・。喜八、全身の力が脱けて、「かあやん、こいつはエライことになったぜ」と言うなり座り込む。「学があっても蛙の子は蛙、女には手を出すのも早えや」と嘆息するばかり。すっかり気落ちして一座の解散を決意してしまった、翌日には衣装を売り払い、一同の旅賃を捻出・・・、古着屋が富坊の犬のぬいぐるみを、つまんで棄てる情景はおかしくもあり、侘びしくもあり、印象に残る場面であった。
 独り身になった喜八、風呂敷包み一つで居酒屋にやって来た。「一座は解散したよ、また旅に出るよ」というのを、かあやんが必死で押しとどめ「当分、ここで暮らせばいいじゃないか、信吉だってわかってくれるさ。親子三人で楽しく暮らそうよ」「何から何まですまねえな」と喜八もその気になったのだが・・・、行方不明の信吉が帰ってきた。おときも一緒だ。喜八、「すみません」と謝るおときに近づき、「どこへいっていやがった」と打擲し始めた。信吉「おじさん、謝っているのに撲たなくたっていいじゃないか」と止めに入ったが、「手前も手前だ、おっかさんが心配しているのがわからねえのか」と平手打ち、信吉、激昂して喜八を突き飛ばした。今度は、かあやんが黙っていない。「お前、この人を誰だと思ってるんだ。お前の本当のお父さんなんだよ」。信吉「お父さんは、村役場に勤めていて、とうに死んだはずじゃないか。本当のお父さんなら、20年も僕たちを放っておくわけがない」「お父さんはお前が堅気になってもらいたくて、本当のことを言わなかったんだよ。お前の学資はみんなお父さんが欠かさず送ってくれていたのに・・・」。信吉たまらず二階に駆け上り泣き崩れた。親子名のりが、とんだ修羅場となる名場面の連続で、私の涙は止まらなかった。喜八、すぐに風呂敷包みを手にすると、「かあやん、やっぱりオレは旅に出るよ」、それを聞いたおとき「親方!私も連れてって。お世話になった親方にこのまま不義理ではお別れできません。生まれ変わって親方のために働きます」、喜八、その言葉を聞いて「かあやん、今の言葉を聞いたか、可愛いこというじゃねえか。気立てのやさしいいい娘なんだ。ここで面倒見てやってくんねえか」・・・肯くおかやん。喜八、安堵して「さっきは殴ったりして悪かったな。信吉を立派にしてやってくれ」とおときに謝る。まだ必死に止めるかあやんに「今度は信吉の親父といっても不足の無い大高島(注・喜八の屋号は高島屋)になって戻ってくらあ、その時は引き幕でも一つ贈ってくんな」と言い残し、居酒屋を立ち去った。おときがあわてて信吉を呼びに行く。2階から降りてきた信吉、「おじさんは?}と尋ねるが、かあやんは答えない。再度「おじさんは」問い直すとようやく「おとうさんかい?」と確かめてから、「また旅に出て行ったよ」、後を追おうとする信吉にかあやんが言う。「止めなくたっていいんだよ、お前さえ偉くなってくれればいいんだよ、おとうさんは、いつだって、こうやって出て行くんだから・・・」その場に立ち尽くして嗚咽する信吉。画面は沈黙だが、私には役者ひとりひとりの肉声がはっきりと聞こえるのである。やがて停車場にやってきた喜八、窓口で上諏訪までの切符を求める。ふと見ると、待合室にはおたきが座っていた。見過ごしてタバコを吸おうとしたがマッチが見当たらない。探していると、いつのまにやらおたきが近づきマッチを差し出す。喜八、黙って受け取りながら一服すると、「お前さん、どこまで行くの?」「上諏訪までだ、」お前はどこだ?」「まだどこって、当てもないのさ」「・・・どうだい、もう一旗一緒に揚げて見る気はねえか」それを聞いておたかの心も決まった。キッとして立ち上がると窓口へ行き「上諏訪1枚!」
 車中で、酒を酌み交わし駅弁に舌鼓をうつ、何とも小粋な場面で閉幕となった。

この作品には三組の男女、喜八とかあやん、信吉とおとき、そして喜八とおたき、が登場する。三つ巴の愛と憎しみが綯い交ぜになった人間模様(愛の不条理)を、文字通りサイレントという沈黙の手法で描出する、小津安二郎の手腕はお見事、さすが「オズの魔法使い」である。筋外には、のどかな山村の風景、芝居の舞台風景、富坊と猫の貯金箱、それを狙うとっつあんらの大人たち、雨上がりの河原で座員一同が洗濯する様子など、戦前の貴重な映像が添えられて、見どころ満載の作品に仕上がっていた。「うたかた」にも似た旅役者の人生が、浮草のように儚く侘びしいものであることを心底から納得した次第である。 
 小津監督は、戦後(1959年)「浮草」というタイトルでリメイクしている。喜八は嵐駒十郞(中村 鴈治郎)、おたかはすみ子(京マチ子)、かあやんはお芳(杉村春子)、信吉は清(川口浩)、おときは加代(若尾文子)と役名・俳優を変え、三井秀男も、三井弘次と改名し、今度は一座の座員役で登場している。もちろんトーキー、カラー映画の豪華版になったが、その出来映えや如何に、やはり戦前は戦前、戦後は戦後、その違いがくっきりと現れて、甲乙はつけがたい。二つの作品に出演している三井弘次ならば何と答えるだろうか・・・。(2016.8.13)


私の戦後70年・テレビ

 昭和35年以降、日本の家庭にはテレビが爆発的に普及、老いも若きもその魅力に取り憑かれた。とりわけカラーテレビが出現することによって日本人の「色彩感覚」は一変したと思う。私の父は、多くの子どもたちがその画面を食い入るように見つめている様子を見て「これで日本はダメになる」と呟いたが、事実、日本人の「想像力」は確実に衰退し、「百聞は一見に如かず」といった風潮が蔓延っている。「活字文化」(書物)から「音声文化」(ラジオ・テープ・CD)を経て「映像文化」(画像・DVD)へと辿る道筋の中で、私たちが失ったものも多い。「見れば解る」という「決めてかかり」は危険である。それは「氷山の一角」であり、事象の本質ではない(かもしれない)。「集団的自衛権」の行使が容認され、日本は再び戦争への道を歩もうとしているが、そこには安易な「ゲーム感覚」が窺われる。いかなる戦争も「犯罪」であり得られるものは何もないという「想像力」を育てることができるかどうか、そのことが今、私たちに問われているのである。(2015.4.26)