梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「悲恋流れ星」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成24年2月公演・大阪梅南座〉
芝居の外題は「悲恋流れ星」。生まれつき顔半分に疵のあるヤクザ・弁太郎(座長・三代目鹿島順一)の悲恋物語である。もともと「若い女に相手にされるはずもない」と諦めていた弁太郎が、ひょんなことから、盲目の娘・お花(春夏悠生)を助け、同居生活を始めることになった。お花の目は治療すれば治るとのこと、弁太郎はお花の目を何とか治してやりたいと思い、土木作業に従事する。そんな優しさにお花は惹かれ、「兄さん、顔が見たいの」と弁太郎に懇願、「今は、まだ無理だ。目が治ったらな」「今、すぐ見たいの。私は手で触れば見える。兄さん、顔を触らせて」、「そんなこと言ったって・・・」と弁太郎が困惑しているところに、弟分(赤胴誠)がやって来た。「ちょうどいい、おめえ、あの娘に顔を触らせてやってくれ。ただし、娘には絶対触るな、声も出すな(唖になれ)」と言い含めて、お花のもとに連れていく。弟分、何が何だかわからぬままに、お花に顔を触らせた。お花「やっぱり私の思ったとおり、兄さんの顔はキレイ!心のキレイな人は顔もキレイだとおっ母さんが言っていた」。その場は何とか繕ったが、弟分もお花に惹かれた様子・・・。以後、弟分は「唖のおじさん」になりすまして、お花に近づき始めたか・・・。気がつけば、自分もお花に惹かれている。こともあろうに弟分と「恋のさや当て」になろうとは・・・。やがて名医(春日舞子)の治療が効をを奏し、お花はめでたく開眼したのだが、その時は弁太郎と弟分が「対決」の真っ最中・・・。そこへ、かねてからお花をつけ狙っていた、仇役・まむしの大五郎(甲斐文太)、用心棒(花道あきら)も登場、「こっちを片付ける方が先だ」と大五郎を退治したが、腕は用心棒の方が上、あえなく弁太郎は深手を負ってしまった。弟分の助力で、何とか用心棒を仕留めたところに、お花が駆け込んでくる。「兄さん、私の目が開いたの!」欣然として、弟分の懐に飛び込んだ。それを見た弁太郎、瞬時に「唖のおじさん」に変身する。お花、倒れ込んだ弁太郎の顔を見て驚いた。「あの、おじさんがこんな顔だったなんて!」。舞台は大詰め、弁太郎(心と傷の痛みをこらえながら)、お花と弟分の幸せを「手真似」で祈る。文字通り「断末魔」、こらえきれずに声が出てしまった。「二人とも、幸せになれよ」、その声を聞いたお花の表情は(兄さんは、あなただったの!?・・・と)一変、うなだれたまま慟哭する弟分に抱かれて、弁太郎は絶命する、舞台は、一瞬「凍りついた」ような景色を残して閉幕となった。三代目鹿島順一、赤胴誠、春夏悠生ら、若手陣の「呼吸」がピタリと合って、見事な出来映えであった、と私は思う。この芝居の眼目は「愛別離苦」、弁太郎曰く、「人間は誰を好きになってもいいんだよな。愛することは自由だよな」、その通りだが、まさに「愛したときから苦しみがはじまる」のだ。お花の目を治したい、でも、お花の目が開いて自分を見たとき、今まで通り「お嫁さんになりたい」と言ってくれるだろうか。まして、飲み分けの兄弟分は恋敵、焦燥と嫉妬、悔恨の入り交じった心象風景を、三代目鹿島順一(と弟弟子の赤胴誠は)いとも鮮やかに描出する。それを観て、「悲恋流れ星」の流れ星とは、昇天した弁太郎の「魂」に他ならないことを、私は心底から納得したのであった。舞踊ショーで魅せた、三代目鹿島順一の「忠義ざくら」、甲斐文太の歌声で舞う幼紅葉の「細雪」は、いずれも出色、珠玉の名品を存分に堪能できたことも望外の幸せ、今日もまた、大きな感動を頂いて帰路に就いた次第である。
(2012.2.10)

大衆演劇・芝居「里恋峠」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年5月公演・九十九里太陽の里〉                                      芝居の外題は「里恋峠」。その内容は「演劇グラフ」(2007年2月号)の〈巻頭特集〉で詳しく紹介されている。それによると「あらすじ」は以下の通りである。〈賭場荒らし見つけた更科三之助(三代目鹿島虎順〉は、その男(蛇々丸)をこらしめようとする。そこに川向こう一家親分・万五郎(花道あきら)が現れる。実は、その賭場荒らしは万五郎の子分だったのだ。三之助は万五郎たち(梅之枝健、蛇々丸、赤銅誠)に一人で立ち向かうがすぐにねじ伏せられてしまう。この危機に、(更科一家・親分)三衛門たち(親分・鹿島順一、姉御・春日舞子、代貸し・春大吉)たちが現れ、三之助は助けられるが、早まった行為に怒った実父であり更科一家の親分の三衛門から勘当、旅に出ることに。その後、まもなく三衛門は病に倒れ、一家も落ち目になっていった。旅を終えた三之助が、更科一家に帰ってくると、家には瀕死の三衛門が・・・。事情を聴くと、三之助のいない間に、万五郎が三之助の借金のカタにと、お里(生田春美)を連れて行ったと言う。どうすることもできなかった三衛門は、お里だけにつらい思いをさせるわけにはいかないと腹を切っていたのだ。お里を取り戻すため、三之助は万五郎のところへ向かうのだが・・・。〉筋書は定番、何と言うこともない「単純な仇討ち、間男成敗の物語」。主役は三之助(虎順)に違いないのだが、見せ場は「落ち目」になった三衛門の「病身」の風情にあった。いわゆる「ヨイヨイ」で、身のこなしが「思うに任せない」様子が何とも「あわれ」で、通常なら「泣かせる」場面だが、景色は「真逆」。カタをつけにきた万五郎とのやりとり、(三之助が書いたと言われる証文を手にして、文書の裏を見ながら)「いけねえ、いけねえ。もう目も見えなくなって来やがった」「・・・?。何やってんだ。それは裏じゃねえか」「・・・そうか、裏か」といって表に返し「・・・?。ダメだ。字も読めなくなってしまった。オレノ知っている字が一つもねえ・・」「・・・?バカ、それじゃあ逆さまだ」「なんだ・・・。逆さまか」が、何ともおかしい。加えて、「落ち目」三衛門に見切りをつけ、万五郎と「いい仲」になろうとする姉御(春日舞子)に思い切り蹴飛ばされ・・・。(ひっくり返りながら)「今日は、これくらいですんだ。まだ、いい方だ」といって笑わせる。自刃の後、三之助の帰宅を見届けて、「大衆演劇って便利なもんだ、こんな時には必ず倅が帰ってくることになっているんだ!」、極め付きは臨終間際、「お里を連れ戻し、オレの仇を討ってくれ」と言いながら「事切れた」か、と思った瞬間、息を吹き返し「あっ、そうだ、忘れてた。もう一つ言わなければならないことがあったんだ」で、観客は大笑い。「妹を助け出すことができたなら、里恋峠の向こう更科の地で、鋤・鍬もって《綺麗に》暮らせよ」と進言。「今度こそ、本当に死にます」と断りながらの臨終は、「お見事」。
 九州の大川龍昇・竜之助にせよ、関東の龍千明にせよ、およそ名優というものは「悲劇を悲劇のまま終わらせない」、さげすまれ、いじめられ、哀れな様相の中でも、必ず「笑わせる」。なぜなら、その「笑い」こそが、弱者からの「共感」「連帯」の証であり、明日に向かって生きようとする「元気の源」になるからである。
 舞踊ショー、蛇々丸の「安宅の松風」は天下一品。弁慶、義経、富樫の風情を「三者三様」、瞬時の「所作」「表情(目線)」で描き分ける「伎倆」は「名人芸」。座長・鹿島順一の「至芸」を忠実に継承しつつ、さらなる精進を重ねれば「国宝級」の舞姿が実現するに違いない、と私は思う。
(2009.5.20).

大衆演劇・芝居「紺屋高尾」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年3月公演・小岩湯宴ランド〉
 昼の部、芝居の外題は「紺屋高尾」、舞踊ショーは「女形大会」、夜の部、芝居の外題は「忠治御用旅」、舞踊ショーは「人生劇場」、いずれも特選狂言と銘打っていた。観客は「大入り」、以前「どこまでもつか?」とほざいていた客も顔を見せていたが、「友也(紫鳳)だって、これくらいは集められる。ここに出入りできないなんて、組合のやり方がおかしい」などと「八つ当たり」する始末。騒然とした雰囲気の中だったが、かえって座員の気持ちは引き締まり、舞台は今まで以上の「出来映え」であった。
「紺屋高尾」の夜鷹・鼻欠けおかつ(蛇々丸)は「絶品」で、三条すすむと「肩を並べている」。特に、セリフの出番がないときの、何気ない「所作」が魅力的で、客の視線を独占してしまう。この役は、「鼻欠け」という奇異感を超えた「あわれさ」「可愛らしさ」を漂わせることができるかどうか、が見所だが、十分にその魅力を堪能できる舞台であった。「女形大会」、座長の話では、めったにやらない(やろうと思ってもできない)演目とのこと、化粧・着付けを支援する、専門の「裏方」がいないためだ。今日は、春日舞子が「裏方」に徹したのだろう。普段見られない、蛇々丸、梅乃枝健の「女形」を観られたことは幸運であった。蛇々丸の「舞姿」は格調高く、「地味」に徹していたことが素晴らしい。「妖艶さ」を追求しないのは、「男優としてのプライドが許さない」(客に媚びを売らない)というモットーからか・・・。梅乃枝健の「女形」は、春日舞子と見紛うほど、「さすが」「お見事」の一語に尽きる。柏(昨年11月)、川越(2月)、小岩(3月)と通い続けて、ようやく二人の「女形」を目にすることができ、大いに満足した。
 夜の部、歌謡ショーで唄った座長・鹿島順一の「瞼の母」は、「天下一品」。彼の「歌唱」の中でも、抜群の「出来栄え」であった。番場の忠太郎は、ヤクザとしてはまだ「若輩」、どこかに「たよりなさ」「甘え」を引きずっている風情が不可欠だが、その「青さ」をもののみごとに描出する、座長の「実力」は半端ではない。「こんなヤクザに誰がしたんでぃ・・・」という心情が、言葉面だけでなく「全身」を通して伝わってくる。他日、どこかで聞いた座長の話。「私の歌をCDにしないか、というお話がありましたが、私は歌手ではありません。役者風情の歌など余興(時間つなぎ)にすぎません。おそれおおいことだとお断りしました」。その「謙虚さ」こそが、彼の「実力」を支えていることは間違いないだろう。
とはいえ、鹿島順一の「芝居」「舞踊」「歌唱」が、その日その日の「舞台」だけで、仕掛け花火のように消失してしまうことは、何とも残念なことではある。
(2008.3.20)