梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・神宮球場

 小学校時代の男児の遊びといえば野球、焼け跡の原っぱで、時間を忘れて興じたものである。春・秋には、父に連れられて信濃町の神宮球場に通った。当時の東京六大学野球はプロ野球と肩を並べるほどの人気があった。外野席の芝生に座って観戦することが多かったが、私は極度の近視のため、ボールの行方を追うことができない。応援席のざわめきや選手のユニホームばかりを楽しんでいた。点が入ると学生席は総立ちになって「波の応援」が始まる。中でも立教大学の応援歌「セントポール・サンシャイン」が好きだった。投手では小島、内野手では重台、外野手では篠原、大沢といった名前が浮かんでくる。ある試合でのこと、センターへの大飛球を追いかけた篠原選手はフェンスに激突、担架で運ばれていった。ますます立教大学のファンになり、私の野球帽にも「R」というイニシャルを貼り付けた。しかし、その7年後に入学した大学は「R」ではなかった。(2015.4.16)