梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・37

《第9章 自閉症とわれわれ》
【われわれ自身の謎】
《要約》
・本章では、この本でとりあげてきた諸問題を整理しながら、「われわれ」の側の振る舞い方、コミュニケーションの仕方、内部世界の特徴について考えてみたい。それは、自閉症者の場合と同じように「一風変わった」働きをするものなのかもしれない。
【自閉症が教えること】
・「自閉症」の本質とは、またそれと比較したときの「われわれ」の本質とは、どのようなものだったのだろうか。両者の位置をできるだけ遠くから比較するために、ここでは、人間の集団のことを動物行動学的に「群れ」として眺めてみることにする。
・人の言語や行動は、人の群れの活動の様式に強く制約されながら育っていくようである。健常な子どもは、その愛着的な感情にもとづいて人の群れに引き寄せられながら、次第次第に、人間の目的をもった行動の様式を身につけることができた。ただし、その大部分は、人の群れの動きに従い、人々の動きを見よう見真似で自分のものにする中で獲得されたものではないだろうか。
・幼い子どもが用いるプログラムは不完全なものである。泣き声を要求表現として意味づけたり、なぐりがきを絵へと高めてやったりしながらプログラムの形を整えるのは、人という群れの中の大人の役割である。だから人間は、群れの中で行動しない限り、その発達に非常に大きなダメージを受けることになる。
・自閉症児の場合は、人の子どもを群れの動きに従わせる本能的なメカニズムの解発機構に問題が生じたと考えられる。彼は、母の腕の中から離れ、自分の足で動けるようになった頃に、群れの動きから外れてしまったのである。母の腕という強制力を失った後までも、群れの中にとどめておく力が彼の中になかった。
・一般の子どもは、様々な行動プランを独自につくらなくても、自分の行動を群れの動きに合わせていれば、いつのまにか群れの一員としての行動が具わってくる。彼がそのようにして身につけたプランを自覚するようになり、続いて独自のプランの創造にこだわるようになるのは、「第一反抗期」と呼ばれる三歳頃であると考えられる。
・群れから外れて育った自閉症児が、言語や行動のプログラムをつくり出そうとするときには、健常児の場合のような好条件での大人の援助や見本はない。彼はいきなり、私たちの社会の流儀に従って、自分でプログラムをつくることを要求されるのである。
《感想》
・ここまででは、まだ〈「われわれ」の側の振る舞い方、コミュニケーションの仕方、内部世界の特徴について〉は述べられてはいない。しかし〈「自閉症」の本質とは、またそれと比較したときの「われわれ」の本質とは、どのようなものだったのだろうか〉という問題には、「動物行動学」的観点から述べられているようである。つまり、「健常児は群れの中で、その動きに従いながら、行動や言語のプログラムを身につけていくが、《自閉症児の場合は、人の子どもを群れの動きに従わせる本能的なメカニズムの解発機構に問題が生じた》ために、《群れの動きから外れてしまった》ということであろう。しかし、「群れの動きに従わせる本能的なメカニズムの解発機構」という意味が私にはわからなかった。
「母の腕という強制力を失った後までも、群れの中にとどめておく力が彼の中になかった」とも述べられているが、「群れの中にとどめておく力」とはどのようなものだろうか。
・自閉症児が《群れの動きから外れてしまった》ということはよくわかる。しかし、その原因が自閉症児自身の「中にある」と断定する根拠は何だろうか。著者は「幼い子どもが用いるプログラムは不完全なものである。泣き声を要求表現として意味づけたり、なぐりがきを絵へと高めてやったりしながらプログラムの形を整えるのは、人という群れの中の大人の役割である。だから人間は、群れの中で行動しない限り、その発達に非常に大きなダメージを受けることになる」とも述べ、子どもと関わる「大人の役割」に言及しているが、もし大人の側がその役割を果たさなかったとしたらどうなるのだろうか。自閉症児が「群れの動きから外れてしまう」のは、その群れの「あり方」に「問題がない」とは言えない。一方的に「群れの中にとどめておく力が彼(自閉症児)の中になかった」と決めつけることはできない、と私は思う。
・著者が「健常な子どもは、その愛着的な感情にもとづいて人の群れに引き寄せられながら、次第次第に、人間の目的をもった行動の様式を身につけることができた。ただし、その大部分は、人の群れの動きに従い、人々の動きを見よう見真似で自分のものにする中で獲得されたものではないだろうか」と述べている部分は、その通り、納得できる。だとすれば、自閉症児の場合、その「愛着的な感情」が不足しているために、「群れの動きから外れてしまう」と考えることが自然であり、その「愛着的な感情」は、自分一人だけでは育てられないこともまた自明ではないだろうか。(2016.2.24)