梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・36

【パソコン教材】
《要約》
・パソコンによって制御される教材の基本的な働きは、IF・THENの構造に尽きる。学習者は、「IF右のボタンを押せば、THEN画面の中の車がエンジンの音と共に動き出す」といった仕組みを学びながら、この機械とのつきあい方を理解していくことになる。
・このわかりやすいルールの世界は、自閉症児のなわばりの新しい領域になるに違いない。また、この教材を動かしながら、学習者と指導者は、新しいやりとりの領域を開発できるかもしれないと、私は考えた。
・実際、ふだんは机に向かうことが少ないような多くの自閉症児が、パソコン教材を前にすると、長時間それに取り組み、その間は情緒的にも安定している様子が見られたのである。
【突然わかるようになる】
・私が作った教材では、自閉症児はディスプレイを見ながら、その内容に合った絵カードや文字カードの付いたスィッチ板を押す。最初のうち、彼らはスイッチをでたらめに押し続けるのだが、ある時突然、正答が続き出す。だから、学習曲線によって各試行ごとの正答率の変化を追っていくと、非常に低いところから、ある時点を境に、突然100パーセントの正答率が続き始める。また学習の態度も、そこを境にして、突然充実してくる。けれどもその段階が訪れない限りは、彼らには進歩が見られず、パニック反応を示すこともあった。
・彼らは、わかるようになったプログラムに対しては、飽きることなく、集中力をもって何度でもつきあおうとする様子が見られた。
・自閉症児たちが見せるこのような学習の特徴は、私たちの場合と大いに異なっている。私たちは、自分にとっての不確定領域に大きな関心を示しやすい。既知の事柄の繰り返しには、非常に飽きやすい性質をもっている。自閉症者では、既知の世界と未知の世界が明瞭に区別され、前者の領域の中だけで生きようとする彼らの特徴をあらわにすることになったということができるだろう。
【発達のバイパスづくり】
・パソコン教材が自閉症児の教育に役立つと考えられるもう一つの理由は、それが再現性をもつという点である。私たちが経験する出来事は、たいてい一回きりで再現性をもたない。私たちが話す言葉も、その語調や音色は一回一回微妙に異なる。しかし、パソコンが呈示する画像や音の世界は、いつも同じである。常に同じ環境を求める自閉症児にとって、そこが魅力となるのではないだろうか。
・文字で表された情報は再現性をもつ。また手や腕を用いて表すサイン言語も、視覚的な方法でゆっくり何度も呈示できる性質をもっているために、音声言語と比べると自閉症児が学びやすいコミュニケーション手段となっている。自閉症児たちがたどるこれらの学習の過程は、一般の子どもが学び、発達していく経路とは異なるものである。しかし、自閉症という障害ゆえに通過しがたい、基幹道路の特定のポイントを迂回して進むバイパスの役割を果たしているのではないかと考えられる。
・パソコン教材による指導を通して学んだ知識やルールが、やがて彼らが基幹道路に戻っていくためのバイパスの役割を果たす日がくるかもしれないと、私は期待している。
【昔ながらの仕事のサイクル】
・農耕作業、草とり、柵づくり、苗・肥料・水・木材の運搬など、昔ながらの仕事のスタイルは、①プロセスがみえやすい、②反復性がある、③結果が形となって現れる、という三つの条件が整っているので有効である。(養護学校での取り組み例)
・現在、自閉症者の施設の中には、ぶどう畑、しいたけ栽培など、広大な自然の中で、仕事や行動のサイクルを、そのごく基本のところから獲得させようと試みているところが多数ある。そこで繰り返される生活は、現代人が送る毎日よりもずっとシンプルな構造をもつ分だけ、自閉症者にはわかりやすいものとなっていると考えられるのである。
《感想》
・ここでは、パソコン教材が自閉症児の指導に「有効的」であることが述べられている。それは、主として目と手を使った「視覚ー運動回路」の学習であり、耳と口を使った「聴覚ー音声回路」の学習ではない。私自身の経験でも、自閉症児は「いきなりパソコンに向かい、画面をタッチしたり、ボタンを押したり、し始める」といった光景は珍しくなかった。たしかに、集中して学習に取り組むことができるようになる。しかし、「ただそれだけのこと」であり、学習のレパートリー(学習場面への適応)は増えたかもしれないが、「自閉症」という本質的な問題には、大きな変化(改善)は見られなかったような気がする。
・筆者は、それが「発達のバイパスの役割を果たすかもしれない」と期待しているが、
それだけで、彼らが基幹道路に戻ってくることは難しい。なぜなら、パソコンは「人間ではない」からである。子どもが発達するための基幹道路は「人間から学ぶ」という一点に尽きるのであり、いくら機械と親しくなっても、パソコンは「喜んではくれない」。また、筆者は「この教材を動かしながら、学習者と指導者は、新しいやりとりの領域を開発できるかもしれない」とも述べているが、その《学習者と指導者》の《やりとり》こそが最も「重要視」されなければならないのではないだろうか。
・現代社会では、パソコンは広く人口に膾炙し「必要不可欠」なアイテムとなっている。とりわけ、情報の収集・整理・活用においては、目を見張るような進歩を遂げているが、一方、「人間らしさ」「情感の共有」「阿吽の呼吸」といったアナログの世界からは遠ざかりつつあるようだ。その世界こそ自閉症児・者が、最も「苦手」とする空間・時間であることを見落としてはならない。
・「昔ながらの仕事のサイクル」は、自閉症児のみならず、すべての子どもが健全に発達するための基幹道路に他ならない、と私は思った。(2016.2.22)