梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1939年)再読・20

【言語の階層構造】
《要約》
・絵カードを使っておこなった研究の結果から言えることは、知能障害児も健常幼児も、大ざっぱなレベルでは0、文の表す内容を正しくつかんでいるらしいことである。これに対して自閉症児は名詞、動詞、助詞など、多くの単語を使うことはできても、それらが組み合わされてつくられる文全体の構造への配慮が乏しいように思われる。つまり、個々のレンガは見ていても、それらによって組み立てられていく家の構造には目を向けていないかのようである。個々のレンガにあたる発音や文字の習得はすぐれているケースが多い。
・自閉症児には、このように、全体でなく、部分からものを捉えていく傾向が随所に見受けられるようである。たとえば、(ジグゾーパズルでは)絵や写真の全体の構図を手がかりとしてチップを結びつけていくのではなく、個々のチップの形だけを見て、ピッタリするもの同士を次々に結合していく。彼らのつくっていくジグゾーパズルは、全体にこだわらないので普通の人よりもかえって速くできることが多い。
・けれども、言葉の場合は、このような組み立て方は方向を誤らせてしまうのである。言葉は、単に音や単語を連ねていくだけでなく、もっと見通しをもって、文やさらには会話の方向まで見定めて展開していかなければならないものだからである。言語にも上位のプロセスと下位のプロセスがあり、階層構造を成している。
◆「音の階層」⇔「単語の階層」⇔「文の階層」⇔「会話の階層」
・私たちが言語を使うときは、最下層の音素を発声しながらも、同時進行的に、それらがより上層の単語や文、さらには会話をどのように構成していくか、ミリ・セカンド単位の素早いチェックを行っているはずなのである。
・最上層に位置する「会話」は、複数の人が共同でおこなう言語活動の場合で、個人の中でそれがおこなわれると思考や作文の文章となる。読んだり話したりする物語は、会話や思考や文章をも包み込むさらに上層の大きな流れである。
・自閉症の人たちは、言語の階層構造の上のほうにはほとんど注意を向けずに言葉を使っているように見える。会話らしい会話を続けることのできる自閉症者はきわめて少ない。
・健常幼児や知能障害児の用いる言語は正確ではない。しかし、ぼんやりと全体の流れをつかんでいる。
・言語の階層を上層へと上っていく認知の働きを「ボトム・アップのプロセス」と言う。音を連ね、単語に、文にと結合いていく働きはこれに相当する。しかし、そのとき、同時に会話の流れや文としての意味など、上からの視点でも点検をおこなっているわけで、その過程を「トップ・ダウンのプロセス」と言う。人の子どもは、ごく早いうちから視線や泣き声や表情で大人との「会話」を始めていたわけだから、このトップ・ダウンのプロセスのほうが基本であり、それが次第に言葉による「会話」へと発展したと考えられる。
・発達の初期にこのような「会話」を育てることができなかった自閉症児は、トップ・ダウンの働きにもとづいて言葉を育てることができなかった。そこにこそ、彼らの言語発達のもっとも大きな問題がある。だから、自閉症児の言語指導では、発音や単語を教えるよりは、日常場面での様々な機会を利用したやりとりから出発すべきであるという主張がなされるようになってきている。つまり、言語発達の出発点に戻り、最も遅れた部分に手をかけようという考え方である。これはもっともな意見だが、相当な時間を要する指導法である。そこで私は、一方で、会話もできない自閉症児が音を聞き分けたり、仮名文字や漢字を覚えてしまうという現象を指導に積極的に採り入れていくべきだと考えている。つまり、ボトム・アップの過程にもとづく指導法も加えていくべきだと思う。
・自閉症児には人々が自分のまわりにで構築している言葉の巨大な建造物の全体的な姿は目に入っていない。しかし、彼らが建造物をつくるレンガともいうべき一つ一つの音や文字を識別し、身につけ始めたのは、この世界を少しでも理解しようとする彼らなりの努力の表れといえるのではないだろうか。過ぎ去った時間は取り返せない以上、彼らが見つけたレンガの組み立て方を、先輩である私たちがていねいに教えていく、ということも必要なのだ。だから、トップ・ダウンとボトム・アップの両面から、彼らの言語世界を少しずつ構築していくのが言語指導の正道なのではないかと考えている。
《感想》
・ここで、著者は「自閉症児は名詞、動詞、助詞など、多くの単語を使うことはできても、それらが組み合わされてつくられる文全体の構造への配慮が乏しいように思われる。つまり、個々のレンガは見ていても、それらによって組み立てられていく家の構造には目を向けていないかのようである。個々のレンガにあたる発音や文字の習得はすぐれているケースが多い」と述べ、さらにそのことをジグゾーパズルの組み立て方を例にして説明しているが、私は肯けない。「言葉の表現活動」において、私たちは初めは誰でも《自閉症児と同じように》、「単語」を《羅列》することからスタートする。その「単語」が「句」や「文」に構成されていくためには、「文法」が正しく理解されていなければならない。その「文法」は、周囲の人たちの「話」を聞き、「記憶」することによって蓄積されていく。初めから、大脳の言語野にプログラミングされているものではない。アメリカ人の子どもが英語を話せるようになるのは、周囲の人が英語を話しているからである。アメリカ人の大脳に、生得的に英語のプログラムが備わっているわけではない。もし、日本に在住し、日本語の環境の中で育てば、日本語で話しはじめることは当然であろう。「喃語」「ジャーゴン」は《万国共通》だが、「発語」は言語環境に左右されるのである。
・「単語」を組み合わせて「文」を構成するためには、「文法」を習得しなければならない。その「文法」は、「聞く」「記憶する」ことによって蓄積されるが、その場面、場面で行われる相手との「会話」(こころの交流)によって、より「確かな」ものになっていく。私たちは、乳幼児期《誰でも》「不完全」もしくは「誤った」言葉を使っているのであり、それが周囲(環境)との交流(会話)によって、徐々に「修正」され、「文全体の構造」を配慮できるようになる、という「事実」を見落としてはならない。ジグゾーパズルの「試行錯誤」は、その子ひとりの「単独作業」(しかも、言語学習とは無縁な「視覚運動」回路の学習)だが、言語の獲得は、周囲の大人との「共同作業」が不可欠なのである。。
・自閉症児が「語音」や「単語」を並べるだけで「文」を構成できないのはなぜか。それは、私たちの「英語(会話)能力」が乏しいことと「同じ」である。私たちは、まずアルファベットの「音」と「文字」を学習する。次に単語のスペルと発音を憶える。次に「文の構成」(文法)を「読む」ことによって理解する。まさに著者のいう「ボトム・アップ」のプロセスで英語学習を行ってきたはずである。しかし、それだけでは、「作文」したり「会話」することはできない。自閉症児も言語をそのように学習したのである。
・言語を正しく理解し表現するためには、まず「聞く」ことが必要であり、かつ「音声」で相手と「やりとり」(こころの交流)をすることが不可欠である。自閉症児に欠けているものは、そうした活動の「経験」であり、もし彼自身の中にその要因があるとすれば、「聞く活動」「相手とやりとりする」場面からの《回避》反応に他ならない、と私は思う。
・著者は、自閉症児の「言語指導」について、〈発音や単語を教えるよりは、日常場面での様々な機会を利用したやりとりから出発すべきであるという主張がなされるようになってきている。つまり、言語発達の出発点に戻り、最も遅れた部分に手をかけようという考え方である。これはもっともな意見だが、相当な時間を要する指導法である。そこで私は、一方で、会話もできない自閉症児が音を聞き分けたり、仮名文字や漢字を覚えてしまうという現象を指導に積極的に採り入れていくべきだと考えている。つまり、ボトム・アップの過程にもとづく指導法も加えていくべきだと思う〉と述べているが、その「ボトム・アップの過程にもとづく指導法」こそが、自閉症児の「言語発達」「会話能力」を滞らせることに気づいていない。また、もっともな意見による指導法が「相当な時間を要する」というが「相当な時間」とは《どれくらい》の時間だろうか。自閉症児・者にとって、言語を獲得・学習する時間は、その人生が終わるまで、保障されているはずである。(2015.12.20)