梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「教える」ということ

 「教える」とは、①知らせる(道を教える、名前を教える等)ことです。②思いを伝える(親の教え、師の教え等)ことです。③できるようにする(技を教える)ことです。④わからせる(問題の解き方を教える)ことです。そのことを成功させるために、最も大切なことは、「相手の実態(現在の実力)を的確に把握すること」です。さらに「相手の実態」の中で、最も注目すべきことは、「意欲」だと思います。「知りたい」「学びたい」「できるようになりたい」「わかりたい」という気持ちが強ければ強いほど、「教える」ことは成功するでしょう。では、どのようにして「意欲」を高めればよいでしょうか。「意欲」の源泉は「喜び」です。「できた!」「わかった!」「面白い!」という快感です。しかし、それを「教える」ことは容易ではありません。快感は、あくまで相手が「感じること」、人によって千差万別だからです。思うに、「教える」ということは、「おいしい料理を振る舞う」ことに似ています。最近の飲食店では「喜んで!」という言葉が飛び交っていますが、まさにその通り、教える側の「喜び」が、相手の「喜び」を喚起するのだ、と私は思います。昔から「這えば立て、立てば歩めの親心」と言われていますが、その時の親の表情は一様に微笑んでいます。その微笑みが、子どもの「意欲」をかき立てていることは間違いありません。ということで、「教える」ということの真髄は、上記②の「思い(喜び)を伝える」ことにあるのではないか、というお話です。おそまつさまでした。(2011.12.16)