梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

バスの中で

    ある土曜日の午後、松戸駅から市川駅行きのバスに乗ると、五人の小学生が乗り込んで来て、私の前の座席にすわりました。〈騒がしくなりそうだな・・・。〉乗客の誰もがそう思ったに違いありません。小学生たちと隣り合わせになってしまった老紳士は、そっと他の座席に移りました。バスが走り出すと、小学生たちはてんでに窓の外を見ながら話し始めました。男の子が二人、女の子が三人、これから社会科のグループ調査にでも行くのでしょうか、五・六年生にみえました。春雨橋を渡った時、一人の女の子が叫びました。「あっ、坂川だ。汚いなあ」すると、もう一人の子が言いました。「みんな江戸川に流れて行くんだね」四人はうなづきました。〈どうも様子が違う・・・〉私はそう思い始めました。そう言えば、誰かの声が大きくなりそうになると、右端の男の子が指を口に当てて「シーッ」と制止するのです。次の停留所でお婆さんが乗ってきました。五人は顔を寄せ合って何事か相談すると、一人の男の子がさっと立って、お婆さんに席を譲り、他の四人は体をくっつけ合うようにして座席をつめ合いました。私はびっくりしました。四人は体と体がぴったりとくっついていても平気でいられるのです。〈何て仲が良いんだろう・・・〉先の老紳士が小学生たちをじっと見つめるようになりました。〈どこの学校の子どもたちだろう・・・?〉私は、女の子が胸に付けている名札を見ました。しかし、どの名札も『赤い羽根』の陰に隠れてよく見えませんでした。五人は上矢切で降りました。バスの中には、何ともいえないさわやかな空気が、しばらくの間残っていました。
(昭和63年11月29日)