梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

新聞記事「皇室ウィークリー」の見出しに窺われるジャーナリストの《品性》

 インターネットの「msn産経ニュース」(皇室ウイークリー)に、「宮中晩餐会で陛下がお言葉を中断」という見出しの記事が載っている。これを見た読者は、おそらく半数以上が「何があったのか?もしや陛下(の体調など)に異変が・・・」と思ったに違いない。しかし、その内容は以下の通りであった。〈ところで、宮中晩餐会の冒頭では、陛下が国際親善のあいさつのお言葉を述べ始めてから、中断される一幕があった。宮内庁によると、国王が、お言葉をマレー語に翻訳した文面が置いてあることに気づかなかったためという。お言葉を日本語で述べていた陛下は、国王がただそれを聞いているだけなのに気づき、お言葉を中断。自らテーブルの上で探し、近くに置いてあった翻訳の文面を示された。陛下のお心遣いがうかがわれるシーンだった〉。だとすれば、件の見出しは、いたずらに読者の関心を煽ろうとする、低俗な言辞ではないだろうか。暗に陛下の異変(不幸)を匂わせて興味をそそろうとする、記者・編集者の魂胆(悪い冗談)が見え見えで、「他人の不幸」をネタに稼いでいる文筆業者の軽はずみな実態が「うかがわれるシーンだった」。もし、私が件の見出しを作るとしたら、《宮中晩餐会でうかがわれた陛下の(温かな)心遣い》とでもするだろう。そのことで、読者の関心が半減したとしても、記事の品格は保たれなければならない。この件に限らず、昨今、巷(新聞・テレビ・ネット等々)にあふれるキャッチフレーズには、ただただ「衝撃的」「扇情的」な(だけの)代物が「わがもの顔」で横行している。日本文化の一翼を担う(第四の権力者)マスコミ・ジャーナリストの「実力」(知性)が、いかに「乏しい」かを露わにしているのである。その(低俗な)文化は、確実に次世代へと受け継がれ、低迷・衰退の一途を辿るに違いない。やんぬるかな・・・。(2012.10.6)