梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

三者の「言い分」

 クリスマス・イブの夕方、駅前のスーパーは買物客でごったがえしていた。10箇所ほどあるレジ・カウンターにも長蛇の列ができていた。その他に自動精算機を備えた場所がある。6台が設置され、客は自ら商品のバーコードを機器に呈示して会計処理を行う。そこにも、多くの客が殺到していた。床には矢印が描かれており、客はその方向に一列に並んで順番を待つ。先頭には停止線があり、6台のどれかに空きができるまでその場で待機しなければならない、ということである。八十歳代とおぼしき男性が、籠に入れた商品を持って1台の前に進んだが、操作方法がわからないとみえ、担当の店員を呼んだ。店員は次々と商品のバーコードを機器にかざし、「現金をお入れ下さい」と言った。他の台が空いたので、七十歳代とおぼしき男性Aがその前に進む。Aは左手が不自由のようだったが、三つほどの商品を機器にかざし、財布を取り出した。その時である。六十歳代とおぼしき男性Bが停止線を越えて、Aの背後に張りついた。Aはあわてて現金を挿入、空の籠を定位置に収めると同時に、Bは自分の籠をAの横に差し出した。Aは思わずBを振り返り「あわてなさんな」とたしなめた。Bは「グズグズすんな」と応じた。たちまち、AとBの口論が始まった。「停止線で待つのが礼儀だ」「混んでいるんだ。時間がかかるなら他のレジに行けばいい」。後に並んでいる客があきれて見守っている。たまらず担当の店員が仲に割って入った。「お客様、皆さんがお待ちになっております。お話は他の場所でお願いします!」
 全国津々浦々どこにでも見られる、ありふれた光景だが、A、B、そして店員、いずれの「言い分」に共感できるだろうか。(2016.12.24)