梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「春木の女」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(平成20年3月公演・小岩湯宴ランド)
 芝居の外題は、昼の部「春木の女」、夜の部「仲乗り新三」。いずれも特選狂言、特に「春木の女」は「鹿島順一劇団十八番の内」と銘打っている。さもありなん、この芝居は、これまで私が観た大衆演劇の中でも「最高傑作」といっていい舞台であった。
春木の浜の漁師夫妻(夫・梅乃枝健、妻とら・鹿島順一)には二人の娘がいた。姉(お崎・春日舞子)、妹(お妙・三代目虎順)である。お崎は利発、男勝りな気性で働き者だが、お妙は育ち遅れが目立ち、歩き始めたのが四歳、言葉遣いもまだたどたどしい。はじめは寛容だった村人たちも、今では後ろ指を指したり、白い眼でひそひそ話をするようになっていた。妻・とらは、そんなお妙が不憫でならず「猫かわいがり」、反対にお崎には冷たく「当たり散らす」。しかし、お崎は「じっと堪え」、とらの言い出す無理難題に黙々と従う毎日であった。舞台は一景、ある時、浜で村の若者たち(春大吉、金太郎、赤胴誠、春夏ゆうき、生田春美)が祭り太鼓の稽古をしていると、そこに京都の人形問屋(京や・大手)の次男坊(清三郎・蛇々丸)が「魚釣り」にやってきた。兄(慎太郎・花道あきら)から「暖簾分け」をする時期になり、嫁取りの見合いをさせられ、その煩わしさから逃げてきたのだ。いささかノイローゼ気味で、言葉にも力が入らない。そのなよなよした風情で「釣り場所」を若者(春大吉)に尋ねる「やりとり」が絶品であった。清三郎が退場、そこへお妙が登場、「おとう」(父・梅乃枝健)を迎えに来たのだ。しかし父は先刻、風向きを読んで、「これから時化になる。海へ近寄るのは危ないぞ」と若者たちに警告、帰宅していた。若者たち、「おとうか、おとうならあっちにいるぜ」と言って、お妙を騙す。通り過ぎようとするお妙の前に立ちふさがった。お妙「そこ、のけ」と言うと「裸になったら通したるわ」とからかう。「裸になったら寒い」「寒くないから脱げ」と押し問答しているところに、姉・お崎登場、「あんたたち、何してるねん。お妙のこといじめたらどついたる」とたしなめる。「いや、あんたが、おとら婆さんにこき使われて可哀想と思ったから、ちょっと、からかってみただけや」と弁解するところに、とら登場。「なんや、お前たち、また寄ってたかって、お妙をいじめていたんやな」、すかさずお妙が訴える。「あんな、おかやん、おねやんがうちの頭どつくねん」「なんやて、お崎がぶった?こら、お崎、なんてことするんや!」、「いえ、私は・・・」と絶句するお崎。あっけにとられる若者たち。とら「はよ、貝採りに浜へ行かんかい」と睨みつける。「今日、海は時化る。浜になんか近寄らんほうがええって、あんたんとこのおとやんが言ってたぜ」と抗する若者に、「フン、そんなことぬかしおったか、あの宿六が。意気地がないから、いつまでたっても貧乏暮らしをせなあかん」。直後に猫なで声で「お妙や、こんなアホな連中の中にいると、こっちまでアホになってしまう。はよ帰ろう」と、お妙と共に退場。その途端、浜の方から大きな声、「おおい、誰やら海に落ちたぞ・・・。手を貸してくれ・・・」一同、びっくり。尻込みする若者たちを叱咤して、お崎は浜に駆けだした。やがて、先ほどの清三郎、若者たちに背負われて登場。釣りの最中、波にさらわれたが、命だけはとりとめた。息を吹き返して「ここは地獄か、極楽か?」見上げると、そこにはお崎がすっくと立っていた。「わてを助けてくれたんは、あんたはんでっか?」、「みんなで一緒に助けたんや」、いつのまにか、舞台は清三郎とお崎の二人きり。会話を交わす内に、清三郎の心は決まった。「あんたはんは、素晴らしいお人や。わての女房になってもらえへんやろか」「あほらしい、身分が違います」全く取り合わないお崎、それでも清三郎はあきらめない、約束の証に自分の「守り札」を無理矢理、手渡して退場した。「守り札」をしげしげと見つめるお崎、しかし「こんなもの持ってたら、またおかやんに何言われるかわからへん、ややこしゅうならんうちに・・・」と言いながら、背負い籠に投げ入れたが、実は道の上、知ってか知らずか、さわやかに退場した。一部始終を見ていた風情のとらとお妙、再登場。お妙が拾い上げた「守り札」を手にして破顔一笑のとら、「しめしめ、どうやら、お妙に幸せが舞い込んできたようだ・・・」とつぶやく。そして「お妙や、これは大事なものだから、大切になおして(しまって)おきなはれ」
 舞台は二景、三月後(夏祭り当日)のことである。祭りだというのに、お崎は相変わらず「働きづめ」、とらから言われた用事を全部済ましたつもりだったが、油の買い物を忘れていた。とらにどやしつけられて、そそくさと退場する。そこへ、来客。「押し売り」だろうと無愛想に応対していたとら、京都の大店・京やの長男・慎太郎だとわかると態度が一変した。「これは、これは、京都で一、二を争う大店の旦那はんでっか、ようこそおいで下さいました」「はい、慎太郎と申します」「ああ、あの石原さんでっか」「いえ、石原ちがいます、京やでおます」あいさつが終わり、「今から三月前、京都から来た若者が海に落ちて溺れていたところを助けてくれた娘さんを探しているのですが、御存知ないでしょうか?」「ええ、ええ、よーく知っていますよ。それは、私の娘で『お妙!』と申します」、違う違う、お妙ではないという素振りの夫を「床を叩いて」制する。驚いた慎太郎に向かって「いえね、フナムシがはい上がって来たんですよ」。慎太郎、下座の夫に注目し、「あちらのお方はどなたはんでいらっしゃいますか」とら「ああ、あれでっか。あれはわての、連れ合いです」「へええ・・・。では、この家の御主人でっか?」「ええ、まあ、よそではそういうことになりましょうな。でも家は女尊男卑ですから、私がが主人です」あきれる慎太郎。でも気を取り直して「そうでしたか、実はその若者とは私の弟。今日はその御礼に伺ったわけです。それに、もう一つ、お願いがあるのですが・・・」。待ってましたという表情のとら。「弟がその娘さんに一目惚れして、嫁にほしい」というのです。「はいはい、大店の暖簾わけしたお嫁さんになれるなんて、願ってもないこと、よろしくおたの申します」「そうですか、それはよかった。では、その娘さんに会わせていただけますでしょうか」一瞬、躊躇するとら、しかし意を決してお妙を呼び寄せる。「さあ、粗相のないように御挨拶しなさい」。何も知らずに平伏している慎太郎の背後に立ったまま挨拶するお妙。「コンニチワ」という大きな声に、慎太郎は顔を上げ、様子を一目見て仰天した。「えっ?・・・・・・」思わず出た言葉「これ、人間でっか?」とら、少なからず衝撃を受けたが、平然と「まあ、あんたさんも冗談がきつい。人形屋さんでいつも人形ばかり見ているから、『人間でっか』などというお褒めの言葉がでたんでしょう」と言い放つ。慎太郎、「わかりました。疑うわけではありませんが、弟は約束の証に『守り札』を渡したと言っております。それを見せていただけますでしょうか」「ええ、ええ、いいですとも。これお妙、あの大事なものを見せてさしあげなさい」お妙、大切にしまっておいた「守り札」を取り出し、慎太郎に手渡す。なるほど、本物に間違いない。動揺をかくせない慎太郎「たしかに、弟の『守り札』です。御主人、疑うわけではありませんが、ここに弟を呼んで確かめてもよろしいでしょうか」またも、躊躇するおとら、しかし、またも平然と「ええ、ええ、かまいませんとも。でも会ったのは三月前、その時とは少しばっかり、様子が変わっているかもしれませんよ」大急ぎで弟を呼びに行く慎太郎。なよなよと登場する清三郎に向かって「おい、清三郎、おまえだいじょうぶか?よりによってあんな・・・」「どういうことでっか。美しい娘さんだったでしょ?」「おまえ、一度、眼医者に行った方がいい」「なにを言っているのやら・・・」要領を得ぬまま二人は家内へ、清三郎いよいよ対面の場となった。憧れの人を前に、緊張のためか、感激のためか、相手の顔をよく見ようともせず、お妙を抱き寄せる。しかし、「・・・?」様子が違う。あらためてお妙の顔を直視して、驚き飛び退いた。「違う!違う!」あの時の娘とは似ても似つかぬ顔、形。 
そこへ、お崎が買い物から帰ってきた。一目見て、清三郎が狂喜する。「兄さん、私を助けてくれたのは、この娘さんです!」畜生!もう少しでうまくいったのに!と悔しがるとら。「あいつは家の使用人。私の娘ではありません」何が起きているのか、とんと解せぬ様子のお崎。子細をのみこめた慎太郎、今度は高飛車に出た。「わかりました。この家の人たちは、みんなで私たちを騙そうとしています。助けていただいた御礼はいたします。でも、嫁取りの話はなかったことにして下さい。これで失礼いたします」清三郎をせき立てるように立ち去った。がっくりするとら、それでも夫とお崎に当たり散らす。「間の悪いときに帰ってきやがって!せっかくお妙が『幸せ』をつかめるというのに、お前たちは邪魔ばかりしくさる。もうお崎の顔なんか、見とうもない!どうせ、岬で拾ってきた子やないか!あんた!拾ってきた場所に捨てて来なはれ!」その言葉に夫は激高した。「何だと!もう許さん!お前は決して言ってはならぬことをほざいたな。お崎が『捨て子』だなんて!それを言わないことは、オレとお前の固い約束ではなかったんか!」いつのまにか、お妙の姿はなく、夫婦とお崎、三人の愁嘆場(修羅場)となった。
 とらに殴りかかろうとする父親を必死に止めるお崎。「おとうちゃん、おかあちゃんを殴るのだけは止めて。わたしはおかあちゃんをうらんでいない。これまで大きくしてくれて心からありがたいと思っている。もし、おとうちゃんがおかあちゃんをなぐったら、世間の人はどう思う?私がおかあちゃんをうらんで、おとうちゃんに殴らせていることになるじゃないの。だから、お願いだからおかあちゃんを殴ることだけは止めてちょうだい!」と懇願する。じっと、聞いているとら。思わずお崎の顔を見ようとするが、再び背を向ける。あきれた夫、「これだけ言ってもわからない。見下げ果てた奴だ。お崎、おとうちゃんは決心したぞ。おまえと一緒にこの家を出て行く。さあ、二人で出ていこうなあ」表情は晴れ晴れとしていた。最後にお崎「おかあちゃん、私たち家を出て行くけど、身体を大事に長生きしてね。お妙にお婿さんもらって『幸せ』になってね。これまで、本当にありがとう」と、別れの言葉。とら、石のように黙って動かない。
 そこへ、慎太郎、清三郎の兄弟、再登場。「途中まで帰りかけましたが、清三郎がぜひあの娘さんに会いたいというので戻ってきました。今、聞いていれば、娘さんを捨てるとのこと、どうでっしゃろ、その娘さん、京やで拾わせてもろうてもよろしゅうおまっしゃろか」父「いいですとも、いいですとも。京やさんい拾ってもらえるんやったら・・・。よろしゅうおたの申します」「では、おとうさんも一緒に拾いましょ」 
 そのやりとりを聞いていたおとら、ついに口を開いた。その長ゼリフは一話の「人情噺」。
要するに、夫婦は子宝に恵まれず寂しい思いをしていたが、ある日、夫が岬に捨てられていた女児を拾ってきた。夫婦は天からの授かり物としてわが子のように育てた。発育も人並み以上で、申し分ない。五年経ったとき、思いもよらず実子が宿った。喜びも倍増、姉妹仲良く、健やかな成長を期待したが、なぜか妹は育ちそびれ、私は不幸のどん底に。こんな妹がいるかぎり、姉は幸せになれない。この家と縁を切って「家出でも、してくれれば」と思い、わざと冷たく意地悪な仕打ちを重ねてきたが、姉はますます尽くしてくれる。妹は妹で発育が滞る。そんな繰り返しの中で、私の心には「鬼」が棲みついてしまった。ああ、恐ろしい!でも、でも今気がつきました。妹のことばかり考えたのは、私の間違い、姉が幸せになれないのに、妹だけ幸せになれるわけがないということがわかったのです。
そして慎太郎に言う。「貧乏暮らしはしていても、我が家はもと網元。我が家の娘として京やさんに嫁がせたいと思います」
 姉に言う。「これまでのこと、許しておくれ。決してお前が憎かったわけじゃあないんだよ」
夫に言う。「ごめんなさい。これからは男尊女卑、あなたのために仕えます」
かくて大団円となるはずだったが、突如、舞台に表れたのは「花嫁衣装」を身につけたお妙の艶姿(?)、一同「ずっこけたまま」大笑いのうちに閉幕となった。
 この「ずっこけ」が、「春木の女」の眼目(主題)であることは間違いない。お妙は、何のために登場したのだろうか。自分の「嫁入り」を確信しているのか、姉の「嫁入り」を寿いでいるのか、それは観客の判断に任せるという「演出」であろう。いずれにせよ、「育ちそびれた」人も「かけがえのない」一員であり、その人と共に、どのように生き、どのように「幸せ」を追求すればよいか、という私たちの課題が、「義理」(理論)ではなく「人情」(愛)の視点から問いかけられていることはたしかである。観客の多くが涙を流していたが、その涙で、どのような心が洗われたのだろうか。
(2008.3.20)

77回目の誕生日

 今日は77回目の誕生日だ。体調が「相変わらず」すぐれないので、印西にある胃腸内科クリニックに行った。「吐き気が治まりません」と訴えると、医師は「夕食後の薬(スルピリドカプセル)を1回増やして(朝食後にも服用して)、様子を見ましょう」と言った。体重は52キロ台を維持しており、先月行った「75歳以上の健康診査」の結果でも、「血圧」「血清脂質」「肝機能」「腎機能・血清尿酸」「糖尿病」「尿検査」「貧血」「心電図検査」に異状は見られなかった。2年前に行った「胃カメラ」「大腸内視鏡検査」では、「逆流性食道炎」「大腸ポリープ」と診断され、ポリープは切除した。「吐き気」は「逆流性食道炎」に因るものと思われる。そこで、この1年余り、「アコファイド」「スルピリドカプセル」「ネキシウムカプセル」「六君子湯」といった薬物治療をしてきたが、まだ治まる気配はない。
 大切なことは、「完治」を目指すことではなく、ほどほどに「折り合いをつける」ことだと思う。いくら考えても、わからないことはわからない。なるようにしかならないのである。昔、『考えない練習』(小池龍之介著)という本を読んだが、今、まさに必要なことは、あれこれと《考えない》ことではないだろうか。
 今さら、明日の希望があるわけではない。いつ終局をむかえてもおかしくないほど、歳を重ねたのだから、あとはすべてをなりゆきに身をまかせ、「ケセラセラ」と生きて行こう。
(2021.10.25)

大衆演劇「鹿島順一劇団」の《魅力》

 「鹿島順一劇団」の《魅力》とは何だろうか。ひと言で言えば、「レンゲソウ」の魅力とでも言えようか。俗に「やはり野に置け蓮華草」と言われるように、「大衆演劇」の《本分》をわきまえている、その《奥ゆかしさ》がたまらない魅力なのである。ある劇場での一コマ、舞台がはねてからの客席での会話。客「素晴らしかった。あなたほどの実力があれば、テレビに出られるでしょ?」座長・三代目鹿島順一(当時は三代目虎順・17歳)「いえ、ボクたちは大衆演劇の役者ですから、テレビには出ません。安い料金で、一人でも多くのお客様に観ていただくのがモットーです。そのために『全身全霊』で頑張ります」。おっしゃる通り。「大衆演劇」の本質は、まず第一に「廉価な入場料」なのである。私が初めて「大衆演劇」を見聞したのは、今から30余年前(昭和47年)、東京・千住の「寿劇場」であったが、当時の入場料は100円前後、それで「前狂言」「歌謡ショー」「切狂言」「舞踊ショー」の魅力を3時間余り、十二分に堪能できたのだから。客筋といえば、地域の老人がほとんどで、客席はまばら、中には寝転がって(音曲を聴いているだけの)老爺・老婆連中も見受けられたほどである。今では、大劇場が常打ち(?)となった、あの「梅澤武生劇団」ですら、当時は、そのような「侘びしい舞台」で場数を踏んでいたのであったが・・・、爾来幾星霜、大きな変遷を遂げたとはいえ、「廉価な入場料」は斯界の伝統として脈々と受け継がれている。平成22年6月、三代目虎順は、三代目鹿島順一を襲名、18歳で座長となったが、その披露公演(大阪・浪花クラブ)でも「廉価な入場料金」(通常料金・1300円)は変わらなかった。まさに「見上げた根性」である。劇団の責任者・甲斐文太(前座長・二代目鹿島順一)が座長時代の口上で、よく口にしていた言葉、「うちの劇団は『地味』です。そのうえ貧乏ひま無し、劇団名は、別に『劇団火の車』とも申します」。文字通り「襤褸は着てても心の錦」、どんな花よりも綺麗な舞台を作り続けているのである。私は、平成19年11月以来、足かけ4年に亘って、この劇団の舞台を見聞してきたが、「日にち毎日」の観客数は(平均すると)20人~30人程度であろうか、お世辞にも「人気劇団」とは言えない。だがしかし、である。「鹿島順一劇団」の面々は、観客数の多寡など歯牙にも掛けない。つねに「全身全霊」で舞台を務める、その姿は感動的であり、また、たまらない《魅力》なのである。三代目鹿島順一が虎順時代に口上でいわく、「今日は20人ものお客様に観ていただきました。ありがたいことでございます」。大衆演劇の「大衆」(観客)は、なぜか「客の入り具合」で、劇団の良し悪しを評価しているようだが、私は違う。落ち着いた、静かな雰囲気の中で、ゆっくりと舞台の景色を堪能できる方が、どれだけ楽しいか。あえて「大入りにしない」こと、それも劇団の「実力」(懐の深さ)のうちだと確信している。さて、肝腎の「舞台模様」だが、「鹿島順一劇団」の芝居は、天下一品である。俗に「十八番」というが、「浜松情話」「春木の女」「噂の女」「大岡政談・命の架け橋」「男の盃・三浦屋孫次郎の最後」「雪の信濃路・忠治御用旅」、「仇討ち絵巻・女装男子」「長ドス仁義」「大江戸裏話・三人芝居」「新月桂川」「月とすっぽん」「心模様」「会津の小鉄」「マリア観音」「悲恋夫婦橋」「越中山中母恋鴉」「里恋峠」「源太時雨」(以上十八番)、その他に「悲恋流れ星」「アヒルの子」「幻八九三」「孝心五月雨笠」「木曽節三度笠」「花の喧嘩状」「上州百両首・月夜の一文銭」「明治六年」「恋の辻占」「仲乗り新三」「浮世人情比べ」「人生花舞台」「関取千両幟」・・・等々といった「名舞台」が「目白押し」である。しかも、その芝居の、配役(「主役」「脇役」「ちょい役」「その他大勢」)は、変幻自在に入れ替わる。「主役はあくまで座長」といったこだわりとは無縁、それぞれの「個性」にあわせて「適材適所」に役者が配される。そのことによって、役者一人一人は、舞台の中で(たとえ、「その他大勢」「ちょい役」であっても)「なくてはならない存在」に変化(へんげ)してしまう。結果、役者の「個性」に磨きがかけられ、彼らの魅力は倍増する。筋書は単純、何の変哲もない定番の芝居であっても、「鹿島順一劇団」の舞台は、つねに輝いている。たとえば「噂の女」、たとえば「越中山中母恋鴉」、たとえば「春木の女」、たとえば「悲恋流れ星」等々、私は、他の劇団の舞台を見聞しているが、その出来栄えは「一味も二味も違っていた」のである。その違いとは、役者の光り具合、また役者相互の「呼吸」(間)の素晴らしさではないか、と私は思う。「鹿島順一劇団」の舞台には、隙がない。役者一人一人が寸分違わぬ「呼吸」によって、演技を展開する。その「呼吸」こそが、技の巧拙を払拭してしまうのだ。拙い技は、拙いなりに「個性」として魅力を発揮するのである。責任者・甲斐文太は、座長時代、口上でいわく「役者は、未経験者(素人)の方が伸びます。色に染まっていると、かえって育てにくいものです」おっしゃる通り、その劇団の芝居は、その劇団の「呼吸」(チームワーク)で作り上げるものだからである。事実、春日舞子、梅之枝健の初舞台は19歳、花道あきらは20歳すぎ、春夏悠生は18歳?、赤胴誠、壬剣天音は15歳、幼紅葉は13歳であり、いずれも出自は「役者の家系」ではなかった(未経験者・素人)に違いない。にもかかわらず、寸分違わぬ呼吸で演技を展開できるのは、まさに責任者・甲斐文太の指導力(演出力)の賜物であろう。事実、この3年間に遂げた、赤胴誠、春夏悠生、幼紅葉ら、若手・新人の「変化(へんげ)」(成長)振りには、目を見張るものがあった。そんなわけで、「鹿島順一劇団」の《魅力》の真髄は、まず、何を措いても「芝居の素晴らしさ」にある、と私は思う。さらに言えば、役者のチームワークに加えて、「音響効果」(効果音・BGMの選曲)も、お見事、その一つ一つを詳説することはできないが、「春木の女」の浜辺に流れる大漁節?、「仲乗り新三」の木曽節、「月とすっぽん」の会津磐梯山、「仇討ち絵巻・女装男子」の弁天小僧菊之助・・・等々、その音曲を耳にしただけで、舞台模様が彷彿とするのである。芝居にせよ、舞踊・歌謡ショーにせよ、「音響」の美しさは一つの「決め手」であろう。化粧、衣装は「視覚」の美、音響、音曲は「聴覚」の美、いずれも舞台に「不可欠」な「小道具」だが、ややもすると「聴覚」の美は軽視されがち、とりわけ歌謡・舞踊ショーでの「音響」は、なぜか(多くの劇団で)、マックス・ボリュームで耳をつんざくほどの騒々しさが目立つ。「鹿島順一劇団」の「音響」は(劇場にもよるが)おおむね「ほどよく」調整されている。その中で展開される、組舞踊、個人舞踊、歌唱の数々は、まさに《至芸の宝庫》といった有様で、たいそう魅力的である。組舞踊では、伝統的な「筏流し」、座長(面踊り)中心の「お祭りマンボ」を初め、ラストショーの「忠臣蔵」(歌・甲斐文太)「人生劇場」「花の幡随院」「珍島物語」、個人舞踊では、三代目鹿島順一の「忠義ざくら」「蟹工船」(歌・甲斐文太)「大利根無情」、甲斐文太の「弥太郎笠」「冬牡丹」「安宅の松風」「浪花しぐれ『桂春団治』」「ど阿呆浪花華」「河内おとこ節」、春日舞子の「ああいい女」(歌・甲斐文太)「深川」「芸道一代」、花道あきらの「ある女の詩」・・・等々、珠玉の「名品」が綺羅星の如く居並んでいる。加えて、責任者・甲斐文太の歌唱は、プロ歌手以上の《魅力》を発揮する。レパートリーは広く、「すきま風」「冬牡丹」「男の人生」「明日の詩」、「北の蛍」「恋あざみ」「よさこい慕情」「大阪レイン」「無法松の一生」「蟹工船」「瞼の母」「カスマプゲ」「釜山港へ帰れ」「ああいい女」「刃傷松の廊下」「酒よ」「雪国」「男はつらいよ」・・・等々、数え上げればきりがないが、その歌声の一つ一つは、しっかりと私の心中に刻み込まれて、消えることがないのである。なるほど、舞踊にせよ歌唱にせよ、ショーとしての「派手さ」はない。今様の「洋舞」も少ない。しかし、その(一見、侘しげな)「地味さ」の中に、じわじわと沁みこんでくる、伝統的な大衆芸能のエキス(魅力)が隠されていることは間違いない。
さて、(結びに)「鹿島順一劇団」、極め付きの《魅力》とは何だろうか。これまで述べてきた、芝居の「名舞台」、舞踊・歌謡ショー、「至芸」の数々はすべて「幻(まぼろし)」、「仕掛け花火に似た命」、「みんな儚い水の泡沫」で終わる、という《魅力》である。多くの劇団が、舞台模様(歌声)を、CD、VHS、DVDなどに記録・保存・販売しようとしている中で、責任者・甲斐文太は、そのことには全く「無頓着」、周囲からの勧めにも一切応じない(?)かに見える。結果、「鹿島順一劇団」の舞台は、直接、劇場に赴いて鑑賞するほかはない。見事だと思う。あっぱれだと思う。なぜなら、芝居も、舞踊も、歌唱も、本来、すべてが「観客」との「呼吸」で仕上げられる、その場限りの(共同)「作品」に他ならず、それを記録・保存することなどできよう筈がないからである。CD、VHS、DVDに残された音声、映像などは、その「抜け殻」「絞りかす」に過ぎない、といった、文字通りの「滅びの美学」、それこそが「鹿島順一劇団」、極め付きの《魅力》ではないだろうか、と私は思う。(2011.7.4)