梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症からのメッセージ」(熊谷高幸・講談社新書・1993年)再読・6

【生後1年間の謎】
《要約》
・人間は、脳の設計思想から。また「生後1年間に及ぶ無力な状態」から、自閉症になる「可能性」をもっている。
・ヒトの胎児は、大きな脳をもった自分自身を胎内に収めるために、他のすべての器官の発達を最小限に抑えなければならなかった。体のバランスとそれに伴う活動の水準が他の哺乳類の新生子なみになるのに、一年間を要する。だから、私たちが親となってわが子と対面するとき、目の前で息づく神秘的な存在は、見えないカプセルの中で二度目の胎内生活を送っているのだ。
・ヒトの子どもは、もともと大きかった脳の容積を、さらに増大させていく。将来の人類の脳の働きの精度を格段に高めるためである。しかし、この特別な機能アップの方法は、非常に危険な方法であった。どんな機械を作る場合でも、試運転の過程が入ってくる。それによって全体の仕組みがうまくかみ合っているかどうかを確かめるのである。しかし、人間の脳の場合、生後まもなくの脳と身体の未熟な状態がこの試運転の過程を困難にしているのである。
・生まれてまもない人間の子どもの場合、現実からの充分なフィードバックを経ることなく、将来の膨大な情報処理に備えて脳の各部分は増大し続ける。このため、外部との接触による点検を受けない非実践的な脳が生まれてくる可能性がひそんでいるのである。
・自閉症でない子どもの場合は、このような制約のもとにあっても、わずかな手足の動きや泣き声などによって周囲の人に働きかけ、外部の世界と自分の位置を確かめ始める。それは、彼らの脳がこの時期から人々への働きかけを徐々に始めるように仕組まれているからに違いない。それは、彼らの社会的な行動の出発点である。ヒトや高等哺乳類の社会的行動は、大脳辺縁系の機能と強く関係すると言われている。
・自閉症児の場合は、社会的な行動やもっと基礎的なところでそれと関連している欲望や感情の発生源(大脳辺縁系・視床下部・脳幹)に機能的な障害をもっている可能性がある。
・生物としてのヒトの特有な生い立ちが、この「自閉症化」のプロセスに拍車をかけてしまったと言えるのではないだろうか。
《感想》
・「生後1年間に及ぶ無力な状態」から、自閉症になる「可能性」をもっている、という熊谷高幸氏の指摘には同意できる。また、「生まれてまもない人間の子どもの場合、現実からの充分なフィードバックを経ることなく、将来の膨大な情報処理に備えて脳の各部分は増大し続ける。このため、外部との接触による点検を受けない非実践的な脳が生まれてくる可能性がひそんでいるのである」という指摘にも、十分、肯ける。《外部との接触による点検を受けない非実践的な脳》が、自閉症児の様々な行動特徴を生みだしているのだろう、と私も思う。とりわけ「外部との接触による点検を受けない」とは、具体的にどういうことかを明らかにすることが重要ではないだろうか。自閉症ではない子どもの場合は「手足の動きや泣き声などによって周囲の人に働きかけ、外部の世界と自分の位置を確かめ始める」が、「自閉症児の場合は社会的な行動やもっと基礎的なところでそれと関連している欲望や感情の発生源(大脳辺縁系・視床下部・脳幹)に機能的な障害をもっている可能性がある」とも述べているが、はたしてそうか。私の独断と偏見によれば、以上の二つの場合に加えて「手足の動きや泣き声などによって周囲の人に働きかけても、外部の世界がそれに応じなかったため、自分の位置が確かめられない」場合もあるのではないだろうか。サルなどの動物実験によって、人為的に「母子を分離」すれば、その子どもが「自閉症」と酷似した行動を示すことが証明されている。もし、「社会的な行動やもっと基礎的なところでそれと関連している欲望や感情の発生源(大脳辺縁系・視床下部・脳幹)に機能的な障害をもっている可能性」、すなわち米国の生理学者ポール・マクリーンのいう「爬虫類脳」「古哺乳類脳」に障害が生じている可能性を疑うなら、サルが自閉的な行動特徴を示すに至った「外部の世界」との共通点を追求する方が有効的ではないだろうか。
 私の知る自閉症児は、0歳時から唱歌、童謡、童話に「親しまされ」、喃語やジャーゴンに対して「正確な日本語」で「応じられた」。その結果、「外部の世界と自分の位置を確かめ」ことができずに、「仰げば尊し」「年の初め」「ジングルベル」などを巧みに歌い、絵本の全文や、駅構内のアナウンス、バスの音声案内をススラスラと暗誦しているが、4歳になった今も、同年齢の子どもと「会話を交わす」ことがほとんどできない。まさに「外部との接触による点検を受けない非実践的な脳」の持ち主に成長してしまった、ということである。(2015.11.9)