梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

霊場・恐山温泉

 JR東日本「大人の休日倶楽部会員パス」(12,000円)を利用して東北方面への「紀行」開始。、午後3時、恐山温泉着。案内書によれば〈恐山は、今からおよそ千二百年の昔、慈覚大師円仁さまによって開かれた霊場〉で、本尊は円仁の彫刻による「地蔵菩薩一体」ということである。大町桂月は〈恐山 心と見ゆる湖を 固める峰も 蓮華なりけり〉と詠んだが、〈火山ガスの噴出する岩肌の一帯は地獄に、そして湖(宇曽利湖)をとりまく白砂の浜は極楽になぞらえられ、人々は千年の長きにわたって、「人が死ねばお山に行く」という素朴な信仰と祈りを伝えてきた〉そうだ。この地に足を一歩踏み入れて、まず感じることは「この世とは思えない」景色と風情であろう。ねずみ色の岩肌に積み上げられた無数の小石、その隙間に林立する赤、黄、ピンクの風車、無彩色と原色のコントラストが、えもいわれぬ「不気味感」を醸し出す。突然、風車が回り出したりすると、霊の存在を確信せざるを得ないような、ただならぬ「妖気」を感じることになる。「その場にいたたまれない」「一刻も早く逃げ出したい」「二度とここには来たくない」と思う人が多いようだが、それは健康・健全で「生きること」を目指している証拠、「死にどころ」を求めて紀行を続けている私にとっては、まさに「至上の楽園」、「ここで死ねれば本望」という感想をもった。「境内」には温泉場が4カ所ある。「薬師の湯」「冷抜の湯」「古滝の湯」「花染の湯」と名付けられている。いずれの「湯殿」も、一見、「掘っ立て小屋」のようにみすぼらしい。ところが、戸口をあけて入室すると、景色は「一変」する。組木細工のような屋根裏の構造、湯槽を取り巻く板張りの床、その微妙な「傾斜」が、湯気、湿気から「湯殿」を守っているのだと思う。まさに「匠の技」、国宝級の温泉といっても過言ではないだろう。と言うのも、温泉の命とも思われる「泉質」が、これまた「天下一品」。三分間入湯しただけで、どんなマッサージよりも体全身を「溶きほぐされる」という代物だからである。長野奥蓼科温泉(「渋辰野館」)、秋田玉川温泉、群馬法師温泉(「長壽館」)などが国宝級の温泉に該当すると思われるが、それらはすべて「この世の」世界での話、これから「生きよう」とする人たちにとって価値のあるものであろう。一方、恐山温泉は、話が違う。ここは「この世」と「あの世」の分岐点、いわば「三途の川」の「渡り口」なのだから。「死にどころ」を求めてやって来た私にとっては、まさに適材適所、喜び勇んで「あの世」へ旅立てる、そのエネルギーをもらうためには恰好の「温泉」であったような気がする。心の中で快哉を叫びながら下山した次第である。(2008.9.4)