梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

浅虫温泉・津軽三味線

 恐山から下北、野辺地を経由して青森。市内を散策。浅虫温泉へ。夜8時から「津軽三味線」の演奏を聴く。奏者は、津軽三味線鳴海会会主・鳴海昭仁。プロフィールによれば、昭和47年11歳で横笛「青森ねぶた囃子」をはじめる。翌年「県下祭り囃子競技会」において特別賞受賞を機に津軽三味線、和太鼓も手掛ける。昭和50年「県下祭り囃子競技会」通算10年の優勝。また、この年を皮切りに「国の重要無形文化財指定 青森県登山囃子競技会 各地競演大会」において16会の優勝。昭和51年~津軽三味線・横笛・和太鼓等の和楽器を主流とした各地の公演を始める」とある。これまでに津軽三味線全国競技会理事、青森県太鼓連盟理事(監事)等を歴任、斯道の第一人者として活躍しているとのこと。なるほど、三味線の「第一声」(はじめの一音)を聴いて、そのことを納得した。音の響き(音色)が全く違う。恐山の「温泉」のように、体の芯にまで「澄み切って」、しかも「温かく」伝わってくる響きなのである。私はこれまでに、津軽三味線全国大会優勝者の演奏を「間近に」聴いたことがあり(弘前市内の飲食店で「津軽三下がり」「津軽あいや節」「りんご節」「津軽じょんから節」)、その時も、いたく感動したが、今日の演奏もその再現、いやそれ以上であったような気がする。周囲の話によれば、通常の三味線は三十万円程度、しかし、弘前の奏者は百万円、今回の鳴海氏は二百万円の三味線を使っているということであった。なるほど、二百万円の楽器に、日本一の技、それを無料で堪能できるなんて、浅虫温泉は「天国」である。
(2008.9.5)