梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

中年「若夫婦」の《稀有な孤高死》

 東京新聞朝刊29面に「横浜の団地 夫婦孤立死 57歳妻病死後、61歳夫餓死」という見出しの記事が載っている。その内容は以下の通りであった。〈横浜市○○区○○5の県営団地の一室で18日、この部屋に住む夫婦の遺体が見つかっていたことが22日、神奈川県警○○署への取材で分かった。司法解剖の結果、妻(57)が5月上旬に消化管の出血により病死し、夫(61)は6月上旬に餓死したことが判明。夫婦は二人暮らしで、署は周囲に気付かれず、孤立死した可能性があるとみて調べている。署によると18日午後2時50分ごろ、団地を管理する県土地建物保全協会の男性職員(31)が「数週間、洗濯物が干したままになっている」と110番。署員が駆け付けると、夫は和室に横になり、妻も別の和室で布団の上にあおむけになり、死亡していた。部屋には鍵が掛かっており、通帳や印鑑、封筒入りの15万円があった。冷蔵庫に食料はなかった。夫婦は生活保護は受けていなかったが、○○区などによると、夫は昨年11月ごろ、脳梗塞で入院。退院後も右手にまひが残り、横浜市は介護認定で軽度の支援が必要な「要支援2」と認定。妻は今年1月、地元の介護支援施設にトイレに付ける手すりの貸し出しを申し込んだが、正式契約はしなかった。署によると、神奈川県内に住む長女(31)は昨年3月の東日本大震災後、妻と一度電話で話しただけで、夫とは十年ほど会っていないという〉。私見(私の独断と妄想・偏見)によれば、この中年「若夫婦」の死に様は、高齢化社会の「鑑」であり、お見事!と言う他はない。病身の夫は、最愛の妻に先立たれ、「途方に暮れることなく」、後を追うこと(自死)を「決意」したはずである。しかも、その方法は「断食」という、極めて「過酷な」修行を選択、ほぼ1か月の難行を経て、思いを遂げたのであった。社会通念からすれば、葬祭義務放棄、長女との断絶、地域社会からの孤立、といった問題がなかったとは言えない。だからこそ、巷間の野次馬連中(新聞報道)にプライバシーを侵される羽目になってしまったのだが、この夫が責められるべき点など「何もない」と、私は確信する。場所は、県営住宅という「公共機関」、事後処理を担当したのも地方公務員(警察官及び県土地建物保全協会職員)だったとすれば、周囲への迷惑は「最小限」にとどまったのではないだろうか。いずれにせよ、この世に生きている限り死ぬことは必定・・・、生死に関わらず「周囲への迷惑」は避けられない。この中年「若夫婦」の事例を《稀有な孤高死》と讃えられる度量が、今、巷間に求められているのではあるまいか。(2012.6.23)