梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「老いる」ということ・Ⅱ

 いつもは午前中に外出をするが、なぜか気が乗らず、その分だけパソコンに向かう時間が延びたためであろう、腰に激痛が走り、立ち振る舞いが不自由になった。症状は「ギックリ腰の一歩手前」で、歩くこともままならない。重たい物を持ち上げたわけではない。パソコンの文字が小さいので前屈みになる姿勢が続いただけである。ただちにコルセットを着用したが、今度は締めつけられた部分が鬱血して「老人性皮膚掻痒症」を発症する始末、まさに「泣きっ面に蜂」といった有様だ。
 眼がやられ、腰がやられ、皮膚がやられ、「痛し痒し」の時間が一週間続いた。痛くて眠れない、痒くて眠れない、やがて食欲も減り体力が衰える。栄養価の高い物を摂れば、下痢症状が現れる。蓋し、《老いる》とはそういうことなのである。しかし、ジタバタしてもはじまらない。まだその程度で済んでいることを是とするべきであろう、この「負のスパイラル」はさらに強化され、数年後には寝たきり、息をしているだけ、という事態に陥ることは必定なのだから・・・。仏法の「生老病死」は真理である。「色即是空」もまた然り、いまは静かに諦めて臨終の時を待つ他はない。(2016.7.9)