梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

続・横綱の「汚名返上」

 私は昨日、以下のように書いた。
〈はたして、最初に引退を申し出る横綱は誰か。その人物こそ「汚名返上」という品格を備えた、本来の横綱に値する力士だということになる〉。
 そして今日、横綱・日馬富士は引退を届け出たという。賢明な判断だと思う。引退で、すべてが「水に流された」(免罪された)わけではないにしても、横綱に求められる品格の一端(潔さ)は示されたからである。以後は、刑事・民事事件の被告人という立場におかれ、贖罪の道が待っているかもしれない。しかし、その「潔さ」が「次の一歩」(第二の人生)へのスタートを狂わせることはないだろう。
 さて、日馬富士に続く横綱は誰か。白鵬も鶴竜もいわば同罪である。今の地位に甘んじようとする限り、決して汚名を返上することはできない。前人未踏の成績を誇っても、前代未聞の不祥事(土俵上での物言い、優勝インタビュー後の万歳三唱、他等々・・・)は消すことができないのである。横綱・稀勢の里も「体力の限界」だ。すでに有終の美は飾られているのである。
 横綱全員が「潔く」引退することによって、国技・大相撲の将来は大きく開ける。相撲道の真髄は「勝負」ではなく「懸命」である。相手を敬い、全力で闘うことを一義としなければならない。それを実現している下位力士は枚挙にいとまがないではないか。最年長の安美錦をはじめ、嘉風、豪風、玉鷲、千代の国、栃ノ心・・・、若手の宇良、阿武咲、貴景勝、北勝富士・・・.などなど、「懸命」に精進する力士こそが角界の財産なのだ。その現状を見れば、「勝負」にこだわる横綱連中の時代は、すでに終わっている。白鵬自身も述べているように、「膿」は出し切った方がよいのである。
(2017.11.29)