梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

トランプ大統領の《弔意》

 東京新聞11月6日付け夕刊(1面)に、「米教会で銃乱射26人死亡」という見出しの記事が載った。内容を要約すると以下の通りである。
 〈5日午前、米南部テキサス州の教会で日曜礼拝中に入ってきた男が銃を乱射し26人が死亡、20人が負傷した。男は車で逃走したが、車内で死亡しているのが見つかった。死因は不明。容疑者は空軍に勤務していたが、除隊処分になった。日本滞在中のトランプ大統領は6日「恐ろしい銃撃だ」と事件を非難、「この邪悪な行為は犠牲者と家族が神聖な祈りの場にいる時に起きた」と述べ、犠牲者への弔意を示した。米メディアによると、トランプ氏のアジア歴訪の予定に変更はないという。〉さらに7日付け朝刊の続報(2面)では、容疑者について「2010年から空軍に勤務していたが、妻子への暴行で軍法会議にかけられ、14年に懲戒除隊処分になっていた」とも記されている。米国では一カ月余り前にも西部ネバダ州ラスベガスのコンサート会場で乱射事件があり、58人が死亡、500人以上が負傷している。いずれも、トランプ大統領にとっては「錯乱状態に陥った男の精神衛生の問題」に過ぎず、《珍しい出来事》(喫緊の懸案事項)ではないのかもしれない。その証拠に、彼は6日夜、安倍首相夫妻の夕食会で迎賓館に赴き「前菜、伊勢エビのサラダ、佐賀牛のステーキ、五目御飯、デザート」に舌鼓を打っている。もし、トランプ大統領が犠牲者への弔意を感じていれば、そのような振る舞いを演じられるはずがない。夕食会が安倍首相の私費で賄われることは当然だが、招く方も招く方、招かれる方も招かれる方、所詮は「同じ穴の狢」であるといったところが、私の率直な感想である。要するに、口先では弔意を示しても、犠牲者の心情に寄り添う気持ちなどさらさら感じられない。「前回は58人、今回は26人、驚くに当たらない」といったところが本心ではないだろうか。トランプ大統領は天皇との懇談で、天皇が「両国はかつて戦争をした歴史がありますが、その後の友好関係、米国からの支援により、今日の日本があるのだと思います」と述べたのに対し「全てうまくいっています。現在の日米関係はかつてなく良好です」と答えた由、だが「現在の日米関係」イコール「安倍首相とトランプ大統領の(私的)関係」では断じてない。70余年に亘る両国民の友好的交流の結果が、現在の関係をもたらしているのである。またテキサス州の乱射事件について、天皇が「大統領は心を痛めておられるものと察します」と気遣ったのに対し「どこでも起こり得る事件です」と応じた(同・7日朝刊・28面)そうだが、その「格差」が現在の日米関係を象徴しているように思われた。   
 いずれにせよ、自国民の悲劇よりもアジア歴訪を優先する政治姿勢は、国益を守ると言いながら、実は私利私欲を優先する安倍首相の政治姿勢と完全に一致している点が、たいそう興味深い。(2017.11.7)