梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

オリンピックとパラリンピック

(日本の社会では)障害児をもつ母親の表情は、一様に暗い。その表情を見るたびに、私の気持ちも暗くなる。なぜなら、それは、日本の社会全体がが「病んでいる」証しに他ならないからである。障害児は社会の役に立たない、「厄介者」である、障害など「無い」方がいいに決まっている、障害者が居ることでその集団は迷惑する、障害者は隔離すべきである、障害者は「断種」すべきである、等々・・・。そうした見解、価値観で大半が占められている社会、その中でわが子を育てなければならない、だからこそ障害児をもつ母親の表情は、一様に暗いのである。「病んでいる」社会とは、弱肉強食の社会である。強者だけが生き残り、弱者は切り捨てられる社会である。だが、強い、弱いなどという基準は、所詮は「相対的」なもの、強者の栄光は、すぐにでも取って替わられる代物でしかない。そんな折、ロンドンではオリンピックに続いてパラリンピックが開かれた。陸上競技の会場は超満員、各選手の「正々堂々とした」(懸命な)闘いに、感動の嵐が巻き起こる。トラック、フィールド、スタンドに集結した人々の表情は、一様に明るい。その表情を見るたびに、私の涙は止まらない。なぜなら、そこにこそ人間本来の、あるべき社会が映し出されているからである。イギリスでは、オリンピックもパラリンピックも、その価値を「区別」しない。パラリンピックの閉会を待って、双方のメダリストが(一堂に会して)凱旋パレードするとのことである。しかるに日本は、といえば、オリンピックが閉会するや、(パラリンピックの開会以前に)、さっさとパレードを終えてしまったではないか。日本の社会では、オリンピックとパラリンピックのメダリストは「器(役者)が違う」とでも思っているのであろう。悲しくも、心貧しい「現実」である。 
(2012.9.23)