梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「新月桂川」(鹿島順一劇団)

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成23年6月公演・大井川娯楽センター〉
芝居の外題は「新月桂川」。私はこの芝居を、ほぼ2年前(平成21年7月)、ここ大井川娯楽センターの舞台で見聞している。以下はその時の感想である。〈芝居の外題は「新月桂川」。敵役・まむしの権太、権次(二役)を好演している春大吉が、「配偶者の出産」のため、今日は、花道あきらが代演したが、これまた「ひと味違う」キャラクターで、出来映えは「お見事」、例によって「新作」を見聞できたような満足感に浸ることができたのである。前回(11年前)来た時、三代目虎順は6歳(小学校1年生)、まだ舞台には立っていなかったという。したがって、今回は、桂川一家の若い衆・銀次役で「初お目見え」(初登場)となったが、「全身全霊で臨む」のが彼の信条、その舞台姿は、親分(蛇々丸)のお嬢さん(春夏悠生)を思う直向きさ、どこまでも兄貴分・千鳥の安太郎(鹿島順一)を慕う純粋さにおいて、座長(父・鹿島順一)と十二分に「肩を並べ」、時には「追い超す」ほどの迫力があった、と私は思う。願わくば、安太郎が「惚れて惚れて惚れぬいた」お嬢さんの風情が、「今一歩」、「振った女」より「振られた男」の色香が優るようでは、「絵」にならないではないか。次善とはいえ、鳥追い女(春日舞子)との「旅立ち」が、殊の外「決まっていた」ことがせめてもの「救い」だったと言えようか。春夏悠生、今後の奮起・精進に期待したい〉。当時は、主役・千鳥の安太郎に二代目鹿島順一(現・甲斐文太)、その弟分・銀次に三代目虎順(現・三代目鹿島順一)、桂川一家親分に蛇々丸という配役であったが、今回は千鳥の安太郎が座長・三代目鹿島順一、銀次が赤胴誠、桂川の親分が甲斐文太と「様変わり」し、敵役の蝮の権太、権次は花道あきら、親分の娘・おみよは春夏悠生、安太郎を慕う鳥追い女・お里は春日舞子という配役は「当時のまま」であった。なるほど、話の筋からいえば、安太郎と銀次の「(義)兄弟コンビ」は今回の方が真っ当である。親分の娘に焦がれる「青春」の息吹きが双方に感じられて、一段と清々しい景色であった。義理と人情の板ばさみで、複雑に揺れ動く安太郎の心情を、三代目鹿島順一は「所作」と「表情」だけできめ細かに、また初々しく演じ切ることができた。お嬢さんと銀次が「できていた」ことを知らされてから、ふっと力が抜けていく(「振られた男」の)無力感」の風情が鮮やかに描出されていた、と私は思う。。加えて、春夏悠生の「変化(へんげ)振り」も見事であった。2年前に私が期待した「奮起・精進」はしっかりと実行され、安太郎が「惚れて惚れて惚れぬいた」お嬢さんの風情、文字通り通り「鬼も十八番茶も出花」といった景色が、その表情、所作の中に表われる。2年前の舞台とは「似ても似つかない」「見違えるほどの」成長振りで、私の涙が止まらなかった。また、安太郎と銀次が帰ってきたことを知らせに来るだけの「ほんのちょい役」、百姓に扮した滝裕二も立派、その懸命な姿に、客から(引っ込みで)大きな拍手がわきあがるほどで、大筋には無縁な役柄こそが、舞台の模様を引き締めるという、何よりのの証であった。親分役・甲斐文太と鳥追い女役・春日舞子は、いうまでもなく劇団の「二本柱」、その気合、姿に申し分はないのだが、それに応える若手陣との「差」は大きく、芝居全体の出来栄えとしては、まだ2年前の舞台に及ばない。やはり安太郎は甲斐文太、追いかけるのは春日舞子でなければならない。親分の娘から「げじげじ虫より」嫌われるのは、甲斐文太の安太郎でなければならない。なぜか。(甲斐文太の)安太郎には人を殺めても「平然」としていられる、アウトロー的な(崩れた)空気が、おのずと漂う。その風情こそが、(まだ「小便くさい」)娘・おみよから嫌われる所以であり、また「酸いも甘いもかみわけた」「すれっからし」の鳥追い女からは「惚れられる源になっているのだから・・・。それ(アウトロー的な崩れた空気)を三代目鹿島順一が今後どのように描出するか、そこらあたりが、これからの課題といえようか。さて、今日の舞踊ショー、これまで以上に「気合」が乗っていた。特に目についたのは、「殿方よお戯れはなし」の春夏悠生、幼紅葉、「御意見無用の人生だ」の滝裕二、その表情、所作、振り・・・等など、無駄がなく流れ、歌の想いが凝縮された見事な作品に仕上がっていた、と私は思う。加えて、いつもながらのことだが、甲斐文太の「河内おとこ節」(歌・中村美律子)、春日舞子の「芸道一代」(歌・美空ひばり)は、斯界・個人舞踊の「お手本」といえよう。、歌を聴くだけなら「なんぼのもん?」と思われる歌謡曲を、「踊り」を添えることによって珠玉の「名品」に豹変させてしまう。まさに「踊り」が「歌」を超えているのである。その景色・風情は「筆舌に尽くしがたく」、(ましてDVN、VHSなどその記録物が皆無とあれば)現地に赴いて、じっくりと鑑賞する他はないのだが、今日もまたその「至芸」を堪能できたことは、望外の幸せであった。感謝。
(2011.6.15)