「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・16
c 属性表現の二つの形式・・動詞と形容詞の関係 【要約】 形容詞の活用形は、 ● 正しい(基本の形) 正し(語幹) く・あろ(未然形) く(連用形) い(終止形) い(連体形) けれ(仮定形) ○(命令形) のようなかたちをとり、動詞のように五十音図と関係を持つもにではない。 ● 花が咲く。(... 続きをみる
2018年のブログ記事
2018年(ムラゴンブログ全体)「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・16
c 属性表現の二つの形式・・動詞と形容詞の関係 【要約】 形容詞の活用形は、 ● 正しい(基本の形) 正し(語幹) く・あろ(未然形) く(連用形) い(終止形) い(連体形) けれ(仮定形) ○(命令形) のようなかたちをとり、動詞のように五十音図と関係を持つもにではない。 ● 花が咲く。(... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・15
b 形式動詞あるいは抽象動詞 【要約】 対象となっている属性について具体的に知らないとき、簡単にしか表現できなかったり簡単な表現で足りる場合には、形式動詞あるいは抽象動詞とよばれる種類の動詞が使われる。 ● どこに(ある)のか。どう(する)つもりか。どうして(いる)か。どう(なる)だろう。こう(... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・14
3 動詞と形容詞、その交互関係 a 活用ということについて 【要約】 動詞といわれる種類の語は、使い方によって語尾のはたちが変化する。これを活用と呼ぶ。 ●「書く」(基本の形) 「書」(語幹)・「書か」「書こ」(未然形)・「書き」(連用形)・「書く」(終止形)・「書く」(連体形)・「書け」(仮定... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・13
b ほかの語の一人称への転用 【要約】 落語「そこつ長屋」の熊さんは、八さんから「オイ、しっかりしろ。お前はいま浅草で行き倒れになっていたぞ」と言われ、あわてて現場にかけつけた。その死骸を見て、「ああ、たしかにおれだ。熊さんは泣きながら死骸を抱き上げ「この死骸はおれに違いないが、抱いているおれは... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・12
2 代名詞の認識構造 a 話し手の観念的な分裂 「あなた」「かれ」、「あれ」「これ」など、代名詞と称する一連の語がある。名詞に代わって使われるのだから、名詞と同じ意味を持っているかというと、決してそうではない。とりあげている対象は同じであっても、そのとりあげかたがちがっている。とりあげかたのちが... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・11
b 形式名詞あるいは抽象名詞 【要約】 普通の名詞は、話し手が対象の具体的なありかたをとらえた上での表現だが、対象を具体的なありかたとしてとらえられない場合、簡単にしか表現できない場合、簡単に表現して足りる場合には、抽象的に表現することがある。 どちらの場合にも、とりあげた対象は具体的に存在す... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・10
第二章 日本語の文法構造・・その一、客体的表現にはどんな語が使われているか 1 名詞のいろいろ 【要約】 a 対象のありかたとそのとらえかた 言語の構造を考えるとき、話し手が対象とする、現実の世界がどんな構造になっているかをときほぐしていまなければならない。 現実の世界では、いろいろな構成分子... 続きをみる
大相撲「日馬富士事件」の核心はどこにあるか。さまざまな論議が取りざたされているが、ただ一点、明らかにされていないことがある。それは問題の発端となった「出来事」についである。「日刊スポーツ」それをは以下のように伝えている。〈9月下旬の錦糸町のバーで、酒に酔った貴ノ岩はモンゴル出身の若い衆を説教して... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・9
3 時枝誠記氏の「言語過程説」 これまでの言語学では、言語を一つの道具として理解していた。頭の中に道具があって、これを使って思想を伝達すると考えた。この道具は、概念と聴覚映像とがかたく結びついて構成された精神的な実体と説明され、「言語」または「言語の材料」と呼ばれている。時枝氏はこの言語構成観あ... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・8
第二部 日本語はどういう言語か 第一章 日本語はどう研究されてきたか 1 明治までの日本語の研究 【要約】 古代の日本人の言語観では、私たちの言語表現が霊力を持っていて、表現された内容が現実化するものと考えた。これを「言霊」と呼んでいる。 明治以前に行われた日本語の研究を、現在の言語学者が無視... 続きをみる
日本相撲協会の親方・貴乃花が理事を解任された。横綱・白鵬は昨年の九州場所千秋楽、優勝インタビューで「膿を出し切ったほうがよい」と述べたが、これで一件落着となれば、まさに白鵬の思うつぼ、膿とは親方・貴乃花に他ならなかった、ということが証明されたわけである。しかし、この結末は誰が考えてもおかしい。暴... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・7
2 時枝誠記氏の「風呂敷型統一形式」と「零記号」 すべて認識は、認識の対象と認識する人間(主体)の存在を必要とする。お化けや天使は現実には存在しないが、これを認識する人間は自分の頭の中に空想の対象を想定しているのだから、この意味で対象が存在していることになる。対象をとらえた認識と、それに伴ってう... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・6
第三章 言語の特徴・・その二、客体的表現と主体的表現が分離していること 1 客体的表現をする語と主体的表現をする語がある 【要約】 いま、一切の語を、語形や機能などではなく、対象→認識→表現という過程においてしらべてみると、二つの種類に分けられることがわかる。 一、客体的表現 二、主体的表現 ... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・5
5 音韻およびリズムについて 言語学では、音声と音韻を区別している。個々の音声の個性を引きこれは去った共通の面がある点をとりあげて、これを音韻と呼ぶならわしになっている。これは、表現の二重化の自覚である。音声そのものが言語としての表現ではなく、音韻と呼ばれる面が言語表現であることの自覚である。音... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・4
3 辞書というものの性格 【要約】 《辞書の中に言葉がある》という解釈は正しいだろうか。 「辞書に登録された語彙は、具体的な語の抽象によって成立したものであって、宛も博物学の書に載せられた桜の花の挿画の様なものであって、具体的個物の見本に過ぎないのである。辞書は具体的言語に関する科学的操作の結果... 続きをみる
「日本語はどういう言語か」(三浦つとむ著・季節社・1971年)通読・3
2 言語表現の二重性 【要約】 言語の音声や文字の特徴はどこに求められるか。 (文字の)感性的なかたちの変化は、そのかたちが一定の種類に属するかぎりにおいて、その範囲を出ないかぎりにおいては自由だが、たとえ小さな変化であっても、そのかたちが他の種類に転化するような場合には許されない。(〇肉筆→活... 続きをみる
「門松は冥土の旅の一里塚(めでたくもありめでたくもなし)」と詠んだのは一休禅師と伝えられているが、前句の心境が痛いほどわかる齢となった。74回目の正月を迎え、めざす標が見当たらない。世捨て人を気取っても煩悩の波は次から次へと押し寄せる。先達の多くは鬼籍に入り、頼れる人もいないとすれば、せめて古典... 続きをみる