梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・自家中毒

 五月の中旬だったろうか、夜の10時過ぎ、父の知人が柏餅を土産に訪れた。寝ていた私を起こしていわく「コー坊、美味しいものがあるぞ」。当時の甘い物といえばサツマイモかサッカリン、あん入りの菓子は珍しかった。私はありがたく頂戴し床についたのだが、翌日から体調に異変が生じた。頭が締めつけられる。米兵のGI帽を被っているような感じだったが、まもなく下痢・高熱が収まらず危篤状態に陥った。近くの医者が往診、周囲の人が、暴れる私の両手、両足を押さえてリンゲルを注射する。意識が混濁する中、私はうわごとを呟いた。「象牙のキバが生えてます・・・」、それを聞いた叔母が「イケナイ、ノーにいってしまった」と泣き出した。「ノー」とは何のことだろうと、祖母がいつも歌う「ノーエ節」を思い浮かべていた。「三島ジョロシュはノーエ・・・」。以後、私の体力が勝ったか、危機を脱することができた。ブドウ糖注射が、おもゆ、葛湯、リンゴのすり下ろし、おかゆへと変わり、快復の一途をたどったが、あんこだけは小学校入学まで口にすることはできなかった。(2015.3.23)