梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・異国の丘

 真夏のある日、床の間のある八畳間で、祖母はラジオのスイッチを入れた。雑音に混じって途切れ途切れに聞こえてきたのは、「異国の丘」のメロディーだった。「今日も暮れゆく異国の丘に 友よ辛かろ切なかろ 我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日も来る 春が来る」まだ五歳だった私に、歌詞の意味など解らない。ただ、愁いを帯び、どこか悔恨の気持ちを秘めた男たちの歌声だけが、私の胸裏に刻印されたことは確かだった。「イコクノオカって何?」と問いかける私に、祖母は弱々しく笑って、床の間の掛け軸を指差した。そこには、槍の先のように鋭くそびえ立つ絶壁(水墨山水画)が描かれていた。「ふうーん・・・」と言って見つめる私を祖母がどう感じたか。すでに、私の母は、昭和二十年、異国・満州で他界していたのである。「異国の丘」は、敗戦で異国に抑留された兵士たちの「祖国帰還」をテーマにしているが、私には、竹山逸郎・中村耕造の歌声が、散華した友への鎮魂、生還する自分自身への悔恨、懺悔を伝えようとしているように思える。幼い日の真夏、はじめて耳にした大人の流行歌「異国の丘」が、実は、極寒の地における「春を待つ歌」であることは後年知ったことだが、古稀を過ぎた現在、あの掛け軸の山水画、そして「戦争」のことが頭から離れないのである。(2015.3.25)