梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

自衛隊の《戦闘訓練》

 「東京新聞」6月15日付け朝刊(1面)に「自衛官候補発砲 2人死亡1人ケガ 18歳容疑者、叱責の直後 岐阜・射撃訓練中」という見出しの記事が載った。記事(の一部)には〈男と撃たれた三人はいずれも守山駐屯地(名古屋市〉所属で、亡くなったのは二十五歳と五十二歳の隊員。男は、教官だった五十二歳の隊員に犯行直前に叱られ、その教官を狙って発砲したという。〉〈男は今年四月、守山駐屯地の第三十五普通科連隊に入隊。この日の訓練は新隊員教育の一環だった。死傷した三人は、男を指導する立場にあった。六月末で訓練を終えて正式に隊員となるため、今回が最後の実弾訓練だった。〉などと記されている。
 要するに、入隊したばかりの、18歳自衛官候補の男が、射撃訓練中に実弾で、指導教官と先輩隊員を射殺、1人を負傷させたということである。その原因は教官が男を「叱責」したからだとあるが、どのような叱責をしたのだろうか。もし「訓練を受ける態度がなってない。もっと気持ちを込めろ」あるいは「やる気があるのか」といった類いの叱責であったなら、男は《本当にやる気で》教官を標的にしたのかもしれない。
 いずれにせよ、射撃訓練は(ゲームではなく)《実際に相手を殺すために》行うものだろう。だから、男の行為は、ある意味で「訓練の成果」と言えなくもない。そんな馬鹿な、と思う人がいるかもしれないが、もともと「射撃訓練」自体が、専守防衛に専念する自衛隊員にとって「無用」で「愚かな」代物なのである。そんな訓練をしなければ、今回の事件は起こらなかったはずではないか。
 自衛隊の責務は「国民の生命、安全」を守ることであり、《武力行使》や《殺戮行為》とは無縁であるべきなのだ。
 犠牲となった2人の尊い命を無駄にしてはいけない。今回の事件を教訓として、自衛隊はただちに「無用」で「愚かな」《戦闘訓練》を中止すべきだと、私は思う。
(2023.6.15)