梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

脱テレビ宣言・検証・《珠玉のコマーシャル》

 テレビ番組、とりわけコマーシャルには醜悪な画像が満ちあふれている。コマーシャルの値段は1本15秒で15万円(×視聴率)といわれている。仮に視聴率10%番組のコマーシャルは1秒あたり1000円という計算になる。そこでそれを支払うスポンサー(並びに制作担当者たち)は、その15秒間に可能な限り多くの情報を盛り込もうとする。関心をひくための音響のみならず、画像も点滅、早送りなどなど様々な技術を駆使して、ただひたすら「見せること」「聞かせる」ことに腐心しているようだ。視聴者は、それらの情報を「浴びる」ことによって、本来の感性を蝕まれていくことについては、すでに述べた。(「テレビの大罪・コマーシャル参照」) 
 そんな折り、従来のコマーシャルとは一線を画す、珠玉のコマーシャルが存在する。大和証券の「プレイング・フォー・チェンジ」(音楽は世界をひとつにする)である。文字通り、世界各地の路上で、一つの曲を、一人一人のミュージシャンが歌い、奏でる場面を繋ぐだけの画像に過ぎない。商品の紹介、宣伝などは一切ない。そのシンプルな内容に私は惹かれるのである。コマーシャルの本道は、良質な番組を提供することである。おのれの存在(自己主張)はあくまで控え、ひたすら(人類の)文化の向上に徹する姿勢こそが、今、スポンサーに求められているのではないだろうか。(2017.8.6)