梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「劇団千章」(座長・市川良二)

【劇団千章】(座長・市川良二)〈平成24年9月公演・小岩湯宴ランド〉
この劇団には、かつて六代目・市川千太郎が居た。市川智二郞も居た。白龍も居た。しかし、諸般の事情(詳細は全く不明)により、彼らの姿はすでに無く、代わりに、沢村新之介が居る。(これまた何故か、特別出演の)中村英次郎(元「劇団翔龍」)が居る。梅乃井秀男(元「劇団花凜」)も居る。劇団の模様は、文字通り「有為転変」、まさに「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて留まるところ無し」(方丈記)といった風情そのものなのである。これまでの座長・市川千太郎に代わって、兄の市川良二が座長を務めているものの、それは「無理」というものである。良二の「持ち味」は、あくまで千太郎の相手役、その「脇役」に徹してこそ、「いぶし銀」のような輝きを発揮することができたのに・・・、といったあたりが常連・贔屓筋の評判ではないだろうか。さて、芝居の外題は昼の部「瞼の母」、夜の部「質屋の娘」。どちらも大衆演劇の「定番」、とりわけ「瞼の母」の主役・番場の忠太郎は「立ち役」の魅力が勝負所、千太郎よりも良二の方が「適役」ではないだろうか・・・、などと思いつつ幕開けを待った。配役は、忠太郎に市川良二、その母・おはまに市川千章、妹・おとせに市川誠、おはまに無心に来た夜鷹に梅乃井秀男、素盲の金五郎に中村英次郎といった陣容で、まず申し分はないのだが、相互の「呼吸」が今一歩、まだ練り上げられた景色として「結実化」するまでには時間がかかるだろう。芸達者なそれぞれが、それぞれに芝居をしている感は否めない。それもそのはず、今月公演の演目は「日替わり」で1日2本、およそ60本の芝居を「演じ通す」のだから。すべてが「ぶっつけ本番」、その懸命さには頭を垂れる他はない。夜の部「質屋の娘」、主役はもとより美貌の娘・おふく、○○期の病気がもとで「魯鈍気味」、その「あどけない」(無垢な)風情を、どのように描出するか。彼女を育む父親・中村英次郎の景色は絶品、市川良二の「女形」も悪くはなかったが、千太郎には及ばなかった。良二は良二、千太郎は千太郎、それぞれの「かけがえ」は代えることができないのである。というわけで、「劇団千章」は、かつての「市川千太郎劇団」ではない。六代続いた伝統の行方はいずこへ・・・、一抹の寂しさを噛みしめつつ帰路の就いたのであった。
(2012.9.5)