梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「学生ロマンス若き日」(監督・小津安二郎・1929年)

 ユーチューブで映画「学生ロマンス若き日」(監督・小津安二郎・1929年)を観た。 昭和初期における大学生の人間模様が詳細に描かれていてたいそう面白かった。   
 舞台の始まりは「都の西北」、大学に近い下宿屋である。二階の障子窓には「二階かしま」という貼り紙、一人の学生がそこを訪れるとすでに先入者がいた。渡辺(結城一郎)という学生である。彼は何かと調子よい、なるほど「C調」という人物はこの時代から居たのだ。貼り紙の目的はガールハント(今で言うナンパ)、シャンな娘の到来を待っている。最初の学生は「男」だから駄目、二番目は娘だったが「不細工」だから駄目、ようやく三番目に頃合いの娘・千恵子(松井潤子)がやって来た。下宿屋の坊主(小藤田正一)が「今度はシャンだよ」と紹介するところを見ると、そこの内儀(高松栄子)も渡辺の企みを許容しているらしい。渡辺、千恵子に「この部屋は眺めもいいですよ。私は今日立ち退きます」などと言い、千恵子も気に入った。翌日、荷物を運び込む段になったが、渡辺はまだ居座っている。「昨日は日が悪かったので、今から立ち退きます。あなたが雇った荷車で私の荷物を運び出しましょう」などと調子がいい。出がけには額縁の絵を1枚プレゼントして立ち去った。自分の荷物を車屋に引かせて、渡辺は行き先を模索する。不動産屋を訪れたが適当な物件がない。持ち合わせの金銭もなかったか、とうとう学友・山本(齋藤達雄)の下宿に転がり込んだ。山本、驚いて拒絶しても「どこ吹く風」、まんまと同居人になってしまう。山本はどこまでも温和しく不器用、でも一人のガールフレンドが居た。彼女こそ渡辺の部屋に転入した千恵子だったとは・・・。かくて、渡辺と山本は千恵子をめぐって張り合うことになる。どうみてもC調・渡辺の方が分がいい。大学の冬休み、千恵子と山本は赤倉温泉にスキーを楽しみに行く約束になっていたが、渡辺もちゃっかりと割り込んでくる。「忘れ物をしました」などと言って千恵子の部屋を訪れ、山本のために編んでいたスキー用の靴下をゲット、山本に見せる。山本は「どこかで見たような靴下だ」と思うだけで真相には気づかない。そのコントラストが当時の「学生気質」を鮮やかに浮き彫りしている。いよいよ赤倉温泉の最寄り駅「田口」(今の妙高高原駅)に到着した。周囲は何もない。降り立った二人は宿までのおよそ5キロ(?)の道をスキーで辿る。ここでも、技術は渡辺が上、山本は「こけつまろびつ」の態でようやく宿に着いた。
 やがて、ゲレンデで千恵子に遭遇、山本と渡辺の「恋のさや当て」も佳境に入る。どうやら渡辺の勝ちに終わるかと思いきや、結果は意外や意外、千恵子は先行していた大学スキー部主将・畑本(日守新一)との「見合い」に来ていたという次第・・・。意気消沈して帰京する渡辺と山本の姿が「絵」になっていた。東京にに向かう列車の中、千恵子から一同にプレゼントされた蜜柑を、山本は力なく頬張り、渡辺は手編みの靴下に入れて車窓から放り投げる。学生のロマンスはあえなく終わったのである。山本の下宿に戻った二人、ふさぎ込んでいる山本に、渡辺「もっといいシャンを見つけてやるよ」と言い終わると、一枚の紙を取りだし「二階かしま」と墨書する。渡辺の説明(ナンパのテクニック)を聞きながら、次第に山本の表情が緩み元気が蘇ってくる。男同士の「友情」が仄見える名場面であった。画面は再び「都の西北」、冒頭の場面へと移りつつ、学生ロマンが再開するだろうと期待するうちに閉幕・・・。
 しかし、わからないのは「女心」と言うべきか、千恵子は初めから畑本と決めていたのか、それともゲレンデの三者を天秤にかけたのか。女の「したたかさ」は昔も今も変わりがない。男にとって女とは「全く不可解な存在」であることを、(生涯独身を貫いた)小津安二郎監督は描きたかったのかもしれない。                    末尾ながら、スキー部員を演じた「若き日」の笠智衆、千恵子の伯母をかいがいしく演じる飯田蝶子の姿も懐かしく、その存在感を十分に味わえたことは望外の幸せであった。 さらに余談だが、この映画の舞台となった赤倉温泉は、戦後青春映画の傑作「泥だらけの純情」(監督・中平康・1963年)で、「若き日」の吉永小百合と浜田光夫が心中を遂げた場所でもある。その雪景色をバックに、やはり女の一途な「したたかさ」に翻弄される男の宿命が描かれていたことは、実に興味深いことである。 
(2017.1.18)

映画「虹立つ丘」の《市松人形》

 ユーチューブで映画「虹立つ丘」(監督・大谷俊夫・1938年)を観た。舞台は竣工まもない箱根強羅ホテル、そこで働く兄妹の物語である。兄・弥太八(岸井明)はホテルのポーター、妹・ユリ(高峰秀子)は売店の売り子を勤めており、たいそう仲が良い。そこに療養にやってきた長谷川婦人(村瀬幸子)が、実は関東大震災で生き別れになったユリの母であった、という筋書きで、兄妹にとっては切ない幕切れとなったが、時折、兄が口ずさむ唱歌(「旅愁」「峠の我が家」)、妹・高峰秀子の初々しい絵姿(14歳?)も見られて、戦前(昭和13年)の風俗を感じるには恰好の作物であった。なかでも、箱根強羅ホテルの佇まいは、現代のホテルと大差ない。鉄筋コンクリート4階建て、大きな玄関を入ると広いロビー、売店に並んだ土産物、対面にはエレベーターという配置は、今でもお馴染みの風景だ。登山鉄道、周囲の山々、芦ノ湖の風情には「隔世の感」があるだけに、ホテルのモダンさが際立つのである。なるほど、全国に展開する温泉ホテルの原型はここにあったのか。また、その利用客は当時のセレブ層であることは確か、庶民は簡素な湯治宿に甘んじる他はなかっただろう。だとすれば、現代に生きる私たちは往時のセレブ層に等しい歓楽を味わっていることになる。幸せと言うべきか・・・。たしかに、私たちの生活は豊かになり、便利になったが、そのことによって失われたものもある。
 震災で孤児となったユリを兄として育ててきた弥太八、親との絆を求めて今でも大切に市松人形を飾るユリ、父母との邂逅そして兄との別れ、妹が残していった市松人形をしっかりと抱きしめる弥太八、そうした人物・場面に浮き彫りされる「無言の温もり」は、私たちの財産であった。薄汚れた、質素な市松人形こそが「人間の絆」であり、何よりも大切にされなければならない、と私は思う。(2017.1.6)

映画「限りなき舗道」(監督・成瀬巳喜男・1934年)

 ユーチューブで映画「限りなき舗道」(監督・成瀬巳喜男・1934年)を観た。成瀬監督最後のサイレント映画である。舞台は東京銀座、カフェの女給二人が登場する。一人は島杉子(忍節子)、もう一人は中根袈裟子(香取千代子)。杉子はしとやかで控えめ、袈裟子は活発でドライと性格は正反対だが、仲良くアパートに同居している。隣の部屋には貧乏画家の山村真吉(日守新一)も居り、袈裟子に好意を感じているようだ。杉子には相愛のボーイフレンド・原田町夫(結城一朗)が居たが、故郷に縁談話があるようで、結着を迫られている様子・・・。ある日、カフェに映画会社・自由が丘撮影所のスカウトがやって来た。人気女優・東山すま子が急に引退を表明したので、その穴埋めを探しに来たのだ。四、五人の女給の中で白羽の矢が立ったのは杉子、翌日、出勤する杉子と袈裟子を待ち伏せしていたスカウト(笠智衆)が「女優になりませんか。今の数倍以上は俸給を払いますよ」と誘う。そういえば近々、杉子の弟(磯野秋雄)が上京、杉子と同居することになっている。袈裟子は早々に引っ越さなければならない、という事情もあって、杉子は女優業に食指が動いたか。出勤後、自由が丘撮影所に向かおうとして交通事故、走ってきた自動車にはねられてしまった。運転していたのは上流階級、山内家の御曹司・山内弘(山内光)。ケガは打撲傷、数日間の入院で済んだが、終始、見舞いを続けた山内が謝罪する。「こちらこそ、急いでいたので不注意でした。御迷惑をおかけしました」という杉子に心惹かれたか、杉子も山内の優しさ・誠意に絆されたか、加えて、入院中の杉子に連絡がとれなかった原田から離別の便りが届いたこともあってか、山内と杉子は「恋人同士」として結婚する。しかし、山内の母(葛城文子)や姉(若葉信子)は気に入らない。洋風、派手好き、上流階級の久山淑子(井上雪子?)を許嫁として迎えたかったらしい。何かにつけて杉子の振る舞いに「格が違う」と難癖をつける。 
 そんな折、袈裟子の方はちゃっかりと自由が丘撮影所と交渉、女優業に収まった。馴染みの画家・真吉にも撮影所の仕事を斡旋する。しかし羽振りのよかったのは初めだけ、近頃は「役がつかない」、真吉に向かって「あんたが近づくからだ」などと八つ当たりを始める有様だった。杉子と袈裟子、いずれも思い通りにならないのが人生・・・。
 いよいよ大詰めへ、姑、小姑の嫌がらせにじっと耐える杉子、彼女を守れずに苦しむ山内に「しばらくお暇をいただきます」と言って杉子は弟が居る元のアパートに戻っていく。事情を知った弟は「初めからこうなると思っていたよ。でもまた二人で働いて出直そう」と慰め励ます。自暴自棄になった山内は、杉子と幸せの時間を過ごした、思い出の箱根路を別の女とドライブ、「どこまで行くの?」と問われれば「俺はどこまでも突っ走りゃいいんだ!」、しかしその直後、転落事故を起こして重態に・・・。山内から家令(谷麗光)が迎えに来た。「世間体もありますのでお戻りください」。杉子は凜として「世間体のためならお断りします」。弟も断ったが「でも、お気の毒なあの人のためにお会いしましょう。私にはどうしてもお母さんやお姉さんに言いたいことがあるんです」。病室に行くと母と姉に囲まれて、山内は包帯姿でベッドの中、「杉子さん、弘はこんな姿になりました」という母の言葉をやり過ごして、杉子は山内の枕元に跪く。気がついた山内「杉さん、逢いたかった。僕は君を苦しめ通しだったね。でも心から君を愛している」と手を差し出せば、杉子も手を握り返し「でも私たちの愛だけではどうにもならないものがあるようです。あなたはいい方だけど弱かった」。その一言を最後に杉子は夫と決別した。母と姉に向かって「今日はお別れにまいりました。はっきり申し上げます。こんなことになってしまったのはみんなお母様とお姉様のせいです。お母様は初めから私を愛そうとはなさらなかった。」「それはひがみです」と姉が言い返せば「ひがみかもしれません。でもお母様が愛していたのは山内家という家名だったのです。それで母親と言えるでしょうか。それでいいのでしょうか」。うなだれる母、弘の呼ぶ声が聞こえる。立ち去ろうとする杉子に母が懇願する。「お願いですから弘のそばに居てやって下さい!」だがしかし、「私、失礼いたします」と言い残すと、杉子はドアの外に消え去った。まもなく山内の様態は急変し息を引き取る。しばし、杉子は廊下に佇んでいたが、哀しみに耐える強さが際立つ艶姿であった。サイレントとは言いながら、周囲の物音、人物の声が聞こえてくる名場面であったと私は思う。 
 ラストシーンは再び銀座、貧乏画家・山村が似顔絵の出店を出している。「ハイ、お弁当よ」とやって来たのは袈裟子、二人は結婚して貧乏生活を始めたようだ。「杉子さんが聞いたらビックリするだろうね」などと語り合う。杉子も元のカフェの女給に舞い戻った。自動車の運転免許を取り、仕事を見つけた弟も、愛車を見せにやって来る。「お茶でも飲んでいかない」と誘うが「少しでも、働かなくちゃ」、欣然と走り去った。見送りながら、ふと乗合バスに目をやると、座席には原田町夫の姿が・・・。うつむく杉子、通り過ぎる路面電車、歩く人々、車などなど賑やかな銀座の風景を映しながら、この佳品は「終」となった。 
 監督・成瀬巳喜男は「女性映画」の名手と言われている。なるほど、杉子、袈裟子、山内家の母、弘の姉、許嫁の久山淑子といった面々が見事な人間模様を描出している。上流家庭を守ろうとする女性たち、貧しくても幸せを求めてしたたかに生きる女性たち、その逞しさ・強さに比べて男たちは弱い。山内弘も原田町夫も「旧家」の家風(格)には抗えず、自らの人生を台無しにしてしまった。わずかに貧乏な山村だけが、ささやかな幸せを掴んだようだ。それにしても、最後、偶然に出会った原田と杉子、二人の今後の運命やいかに?「舗道」とは現代人が歩む道(人生)だとすれば、《限りなき》出会い、別離が繰り返されるであろうことも間違いない。(2017.1.30)