梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「老いる」ということ・Ⅷ

 最近(12月26日)、「母を恋はずや」(小津安二郎・1934年)という映画をユーチューブで観た後、その感想文を以下のように綴った。


 〈ユーチューブで映画「母を恋はずや」(小津安二郎・1934年・サイレント)を観た。フィルムは最初と最後の巻が欠落しているが、十分に見応えのある作品であった。登場するのは母(吉川満子)と長男(大日向伝)と次男(三井秀雄)が中心だ。父(岩田祐吉)は第一巻で、七里ヶ浜へのピクニックを家族と計画していたが、その当日に心臓マヒで急逝してしまった。初七日が過ぎた頃、父の友人(大学時代の競艇部チームメイト)が訪れて、「長男をこれまで通りに育ててほしい」という。母は「もちろんです」と応えたが・・・。長男は先妻の子で、母の実子ではなかった。その後、兄弟はすくすくと成長し、長男は大学の本科に進学する。その時、長男は取り寄せた戸籍謄本で、自分が母の実子でないことを知り、大きなショックを受ける。「なんでもっと早くそのことを知らせてくれなかったのか。そんなことなら我が儘を言うんじゃなかったのに」と自分をも責める。父の友人に諫められて「素直に」なったが、以後も、長男は何かにつけて母の態度が「弟には冷たく、自分にはよそよそしい」ことが気に障るのだ。
 やがて次男も大学に進学、兄弟で競艇部の一員になったらしい。長男は、一人の仲間(笠智衆)がチャブ屋に「入り浸り」なのを救い出したり(その勘定を母に無心したり)、(母が認めなかった)次男の伊豆ハイキングを認めさせたりしたが、その度に、依然として母が自分と弟を「区別しているように」感じてしまう。弟がハイキングの留守中に、父の遺品を虫干ししている母との対話がこじれて、長男は家出をしてしまう。「自分はこの家に居ない方がよい」と決心して、長男はチャブ屋に入り浸る。今度は、母と次男、競艇部の友人がチャブ屋を訪れ、母が「家に帰ってきておくれ」と懇願するが、長男は断固拒絶する。「たいした役者だったね」と女(逢染初子)に評される芝居を打った。しかし、泣きながら帰って行く母たちの姿を見送りながら、心は動揺していた。そんな時、(たまたまさっきの芝居の場面に居合わせた)掃除婦(飯田蝶子)が洗濯物を取りに入ってきた。長男は煙草を掃除婦に勧め、自分も一服する。掃除婦いわく「あんまり、母親を泣かせちゃあいけませんよ。私にもあなたぐらいの息子がおりますが・・」「ボクよりましだと言うんでしょう?」「よけりゃあ、こんなことしてませんよ」。この一言は、この映画の真髄を突いていた。フィルムはこのあとまもなく途切れ、「長男は家に帰り母に謝罪した」と字幕にあるのだから・・・。以後の場面はなくても、これまでの人間模様を辿れば、十分に想像できるので、何の不足もない。
 それにしても、端役・飯田蝶子の存在感は大きく、わずかな一言がこれほどまでに説得力があったとは・・・。
 映画はサイレントだが、それぞれの表情、仕種から(登場人物の)心情がじわじわと伝わってくる、珠玉の名品であった、と私は思う。〉(2020.12.26))


 しかし、私は以前(3年前)にもこの映画の感想文を書いていたのだが、そのことはすっかり忘れていた。その時の感想文は以下のとおりである。


 〈ユーチューブで映画「母を恋はずや」(監督・小津安二郎・1934年)を観た。「(この映画の)フィルムは現存するが、最初と最後の巻が失われている不完全バージョンである」(ウィキペディア百科事典)。
 裕福な家庭・梶原家が、父の急逝により没落していく、そこで展開する家族の人間模様がきめ細やかに描き出されている。父(岩田祐吉)は、今度の日曜日、家族と七里ヶ浜へピクニックに行く約束をしていたが、長男の貞夫(加藤精一)と次男の幸作(野村秋生)が小学校の授業中に呼び出され、「お父さんに大変なことがおありだから、早く家に帰りたまえ」と告げられる。父は突然、心臓マヒで他界してしまったのである。
 葬儀も終え、母・千恵子(吉川満子)と貞夫、幸作が父の遺影の下で朝食を摂っていると、父の友人・岡崎(奈良真養)が弔問に訪れた。彼は大学時代、ボート部の仲間だった。岡崎が言う。「ちょっと、お話ししたいことが・・・」、その内容は、「これからも貞夫君を永久に真の子どもとして育ててもらいたい」ということであった。貞夫は病没した先妻の子どもだったのだ。千恵子は「そのことなら、貞夫も幸作も区別なく、同じ気持ちで育ててまいります。亡くなられた奥様や主人にも誓うことができます」と応えた。「あなたも、これから大変ですなあ」「子どもたちを立派に育てることが楽しみです」。
 それから8年後、岡崎の元に絵はがきが届いた。中学4年になった幸作の修学旅行先からである。岡崎は久しぶりに、洋館の屋敷から移った梶原家を訪れる。そこでは千恵子が浮かない様子、「貞夫が大学の本科に行く手続きで、戸籍謄本を見てしまった。あの子のあんな悲しい顔は今まで見たことがありません」と言う。岡崎は二階で憔悴している貞夫(大日向伝)の元に行き「お母さんに心配をかけないように」と話しかけるが、貞夫は拒絶する。「お母さんは君を本当の子だと思えばこそ、黙っていたんだ」「小父さんだってボクを騙していた一人だ、いつかは、判ることです。なぜもっと早く知らせてくれなかったんです!ボクは馬鹿にされていたように感じます。こんなことなら我が儘を言うんじゃなかった!いい気になって無遠慮な振る舞いをするんじゃなかった」。その言葉を聞いた岡崎は一喝する。「それが、多年の骨折りに対して返す言葉か!」たまらず寝転がる貞夫に返す言葉がない。岡崎は「起き上がって聞いたらどうだ。これまでお母さんが君と幸作君を区別したことがあったか。お母さんは君たち二人の成長だけを楽しみにしておられるのだ。その優しい心遣いを君はまるでわからないのか」。貞夫の肩が激しく揺れている。岡崎は貞夫に近づきその肩を優しく叩いた。気持ちが通じたか・・・、貞夫は起き上がり、涙を拭いながら「すみません! 小父さん」と呟いた。そして千恵子の前に正座して深々と頭を下げる。「すみません、母さん。ボクは母さんの本当の子です」。千恵子と見つめ合い涙がこぼれ出すのを見て、貞夫は母の膝に泣き崩れた。千恵子は「これからは何もかもお前に打ち明けようね」と言い、貞夫の頭を優しく撫で回す・・・。  
 やがて、梶原家はさらに郊外の借家に転居した。貞夫と幸作(三井秀雄)はトラックから荷物を降ろし整理する。懐かしい父の遺品のパイプを見つけ出し、兄弟で煙をふかす。ハットを目にすると、母に被せて父を思い出している。そこに岡崎の夫人(青木しのぶ)が訪ねて来た。岡崎は一年前に他界、遺品のオールを届けに来たのだ。兄弟は、サインを読み取りながら、父や岡崎の青春時代に思いを馳せる。兄弟もまた大学のボート部員になっていた。
 幸作は仲間と伊豆巡りの計画を立てていた。兄も誘ったが用事があると言う。服部(笠智衆)という部員に好きな女ができ、横浜のチャブ屋に入り浸っている、貞夫は服部を連れ戻しに行こうとしているのだ。単身でチャブ屋に乗り込むと、服部にピンタをかませ、外に連れ出した。服部の女・らん子(松井潤子)が「勘定ぐらい置いて行ってもらいたいねえ。お前さんおけらのくせに、たいそう強がるじゃないか。」と毒づけば、またもやピンタ一発、「ああ、金なら何時でも持ってきてやらあ」と言い残し去って行く。その後ろ姿を見て、朋輩の光子(逢初夢子)が「あいつ、ちょっと勇ましいじゃないか」と目を細めた・・・。
 貞夫は帰宅すると、縫い物をしている千恵子に「困っている友だちが居るんで、少しお金が欲しいんですけど」と無心した。千恵子はすぐに頷いて、箪笥から財布を取り出し紙幣を渡す。貞夫はそれをありがたく頂いて、自室に向かったのだが、そこには幸作がしょんぼりと座っていた。家の暮らしは楽ではない、「だから伊豆巡りに行ってはいけない」と言われた由、貞夫は直ちに千恵子のところに戻り、「このお金を幸作に与えて、行かせてやってください」と言ったが「幸作は遊びのお金、あなたのお金は友だちのへ義理、同じではありません」と取り合わない。やむなく、貞夫は幸作に金を渡し、旅行の準備を手伝う。様子を見に来た千恵子に「母さん、やっぱり出かけてきます」と幸作は喜んだが、「お前、兄さんに無理を言ってはいけないよ」と不同意、貞夫は「ボクがあげたんです。
幸作は前から楽しみにしていたんです。ボクだけが貰うのは不公平です」・・・、幸作は「だいたい母さんは兄さんばかりよくする。叱られるのはボクばかりだ」と帽子を放り投げてふてくされる。貞夫も「ボクもそう思います」と同意、千恵子はしばらく立ち尽くしていたが「そんなに行きたければ、出かけてもかまわないんだよ」と翻意した。
 かくて、幸作は伊豆巡りに出立、そろそろ帰る日の頃であろうか、千恵子は夫の遺品、洋服を虫干ししている様子。懐中時計を耳に当て、遺影を眺めている。そこに貞夫も帰宅して父のハットを被ってみたりする。千恵子は父のチョッキをたたみながら「幸作が山に行くんだったら、これを持たせてやればよかった」「そんな古い物、幸作は来ませんよ」「まだ繕えば着られる洋服があります。幸作ならこれで十分・・・」と言うと、貞夫の顔色が変わった。「どうして幸作なら十分なんですか?」「・・・・」「母さんは、やっぱりボクと幸作を区別してるんだ」「そんなつもりはないけれど・・・」。貞夫はキッとして、自室に立ち去り、着物に着替えて外出の構え、千恵子がやって来て「どうすれば、お前の気に入るのか話しておくれ」「そういう気遣いがイヤなんです、気に入らなければボクを殴ればいいでしょう」「何もそんなに言わなくても・・・」。取り合わず、貞夫は横浜のチャブ屋に向かった。光子の部屋に落ち着く。掃除婦(飯田蝶子)が雑巾がけをしている。貞夫に母の姿が浮かんだか、ウィスキーをたてつづけに飲んで、じっと(ささくれの)手を見た。光子が「お前さん、親不孝者だね」「・・・・」「ささくれがあるのは、親不孝の証し」と言う。光子の指にも包帯があった。貞夫はたまらずそこを飛び出して家に向かう。その様子を呆然と見送る掃除婦、光子も「わからないね、その気持ち」と呟いた。
 貞夫が家に戻ると、幸作が帰宅していた。険しい顔つきで「帰ってきたんだたら、母さんに謝ったらどうだい。兄さん、母さんに何を言ったんだい。母さんを泣かせるなんて馬鹿だ、大馬鹿だ!」と言う。「年をとって涙もろくなったんだろう」と応えると、幸作はたまらず殴りかかった。貞夫は殴られるまま「外に出ろ!」と言う。夜道を歩く二人・・・、向かい合うと貞夫が言う「あんなおふくろのどこがいいんだ」「それは本心か」「嘘ではない、あんなおふくろのことでムキになる気持ちがわからない」、幸作はまたも貞夫に殴りかかる。一発、二発、三発、四発、五発・・・、しかし貞夫は殴り返さない。幸作は手を止め泣き出した。「なんで殴り返さないんだ!」「おまえのような奴を殴ったって仕方がない」「・・・・」「(おふくろを)せいぜい大事にしてやれよ」と言い残すと、どこかに行ってしまった。幸作は力なく家に戻る。千恵子に「あんな奴どうなったってかまわない。散々ボクや母さんの悪口を言って、どこかへ行っちまいやがった」と言う。「お前、兄さんをそんな人だとお思いかい」「母さんはまた兄さんの肩を持つのか」「私には、貞夫の気持ちがよくわかります」「・・・・」「あの子は立派なことをしようとしたんだよ」「・・・・」「兄さんはね、私の本当の子ではなかったんだよ」「・・・!」「それをお前に知らせたくなくて、お前の大学の手続きはみんな兄さんがやってくれたんだ」「・・・・」「兄さんは、お前のためにこの家から身を引こうとして・・・」と言うなり、千恵子は泣き出した。「心にもない悪口を言って、私たちを諦めさせようとしたんだよ」。幸作は千恵子の前にひざまづき「ボクは馬鹿でした。どんなことがあっても兄さんに戻って来てもらう、そして思う存分殴ってもらうんだ」と泣き崩れる。母もまた・・・・。
 貞夫は横浜のチャブ屋に居た。「また今日も暮れちゃうんだなあ」と貞夫が溜息を吐くと、光子が「帰りたけりゃお帰りよ」と言う。そんなところに、母の千恵子と幸作、彼の友人が迎えに来た。まずは千恵子が一人でチャブ屋に赴き、ロビーで貞夫と面会する。「ボクに何の用ですか。ボクは母さんに用はありません」「そんな心にもないことを言って・・・。母さんは小さい頃からお前のことはよく知っています」「知っているんなら放っておいてください。ボクは一人が性に合っているんだ」「お願いだから戻っておくれ。お前がいないと夜もおちおち眠れない。幸作やお友達だって、待っているんだよ」。しかし、貞夫は応じない。「ボクは、家に戻って母さんや幸作の面倒を見るなんてまっぴらだ!」。いつのまにか、チャブ屋の女たちが二人を取り巻いている。「ボクはもう母さんから何も聞きたくないんです。これ以上何を言っても無駄ですよ」と言い放ち、部屋に立ち去ってしまった。万事休す、千恵子はすごすごと戻っていく。その後に従う幸作と友人・・・、その姿を二階の窓から見送る貞夫・・・、光子が入ってきて「お前さん、大芝居だったね。よっぽど大向こうから声かけようと思ったんだけど」と感想を述べる。貞夫は全身の力が脱けてベットに横たわる。光子は朋輩に「おなかが空かない」と言われ出て行く。入れ替わりにに掃除婦が入ってきて部屋を片付け始める。その様子を見ていた貞夫は起き上がり、掃除婦にタバコを勧める。掃除婦は一本頂戴、煙を吐きながら言う。「悪いことは言いませんよ。木の股から生まれたんじゃあるまいし、あんまり親は泣かせるもんじゃありませんよ」「・・・」「あたしにも丁度、あんたぐらいの息子があるんですけれど」・・・・、貞夫が「オレよりましだって言うのかい?」と問いかけると、掃除婦は淋しそうに笑って「よけりゃ、こんなことしてませんよ」と出て行った。貞夫はまたベッドに横たわる。サンドイッチを調達した光子が部屋に戻る。貞夫にも勧めるが、天井を眺めたまま無言。光子はサンドイッチをぱくついて貞夫の方を見やった時、この不完全バージョンの映像は途切れた。以後の字幕では、貞夫は掃除婦の言葉に心を動かされ、家に戻り、母に謝罪する、それから三年後、一家は再び郊外に転居、母子三人の平穏な暮らしは続いていると記されている。
 この映画の見どころは、裕福な暮らしをしていた梶原家が大黒柱の父を失うことにより没落していく中で、母と息子二人(異母兄弟)が繰り広げる「人間模様」の《綾》である。母は、二人の息子を同じように育てているつもりだが、無意識に、亡夫への義理のため先妻の子・貞夫の方を重んじる。幸作に比べると、どこか他人行儀でよそよそしい。貞夫は当初、母に甘え我が儘な振る舞いをしていたが、千恵子が実の母ではないと知ってからは、いわば「母なし子」状態、甘える相手を失ってしまったのだ。「ボクは一人が性に合っているんだ」という貞夫の言葉が何よりも雄弁にそのことを物語っている。その立場に置かれなければわからない、絶対的な《孤独感》なのである。しかし、掃除婦の「木の股から生まれたんじゃなし、あんまり親を泣かせるもんじゃないよ」という一言は、そんな孤独感を払拭するには十分であった。掃除婦にも自分と同じくらい息子が居る。貞夫は「オレよりはマシだろ?」と問いかけるが、答は意外にも「よけりゃ、こんなことしてませんよ」。そうか、その息子も親を泣かせているんだ、オレもこんな所(チャブ屋)で、こんなこと(無為に日々を過ごすこと)をしているときではない、と思ったに違いない。そんな心の《綾模様》を、二枚目スター・大日向伝は鮮やかに描き出していたと、私は思う。
 母・千恵子を演じた吉川満子の風情もたまらなく魅力的、誰よりも夫を愛し、子どもたちを慈しむ。時には背かれて雑言を浴びせかけられ涙ぐむこともあるが、毅然として耐え、誠を貫こうとする「母性」の気高さがひしひしと伝わってくるのである。 
 弟・幸作を演じた三井秀雄の「弟振り」も見事であった。とりわけ、兄が母の本当の子ではないと知らされた時の表情、そこには「なぜもっと早く知らせてくれなかったんだ」という思い(母への恨み)は微塵も感じられず、「ボクが間違っていました」と母に謝る純情が浮き彫りされている。その兄を、わけも知らずに殴ってしまった後悔、その償いのために「ボクを殴ってもらうんだ」と思う素直さが輝いていた。
 極め付きは、掃除婦を演じた飯田蝶子の存在感、出番はほんのちょい役だが、たった一言、二言のセリフで主役・貞夫を翻意させる実力は光っている。彼女は、不器量のため女優への道はなかなか開けなかったが、私のような者がいなければ主役は引き立たないと、自分を売り込んだという。さすがは、終始「老け役」を貫いた名優の至言である。
 その他にも、奈良真養の庶民的な風格、笠智衆の意外な若さ、逢初夢子の色香などなど見どころ満載の傑作であった。〉
(2017.7.1)


 この2つの感想文を比べれば「一目瞭然」、文章の量、質(表現力)は、いずれも以前の三分の一にも達していない。なるほど、「体力」の衰えとともに、作文力も衰える。一見、関わりのなさそうな知的活動にも「体力」が不可欠であることを、あらためて思い知った次第である。
《老いる》とはそういうことだ。
(2020.12.28)