梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「大衆演劇」雑考・4・大衆演劇の「芝居」

「鹿島順一劇団」が演じる「芝居」は、その主題、役者の演技力において他を凌駕している。大衆演劇の「芝居」の主題は、儒教・仏教・神道など、伝統文化に基づいた「礼節」「義理(仁義)」「忠孝」「因果応報」「滅私奉公」「報恩」といった価値観にかかわりながら、終局は「人情」(親子・兄弟の家族愛)の機微に帰結するのが通例だが、私は「鹿島順一劇団」の「芝居」の中に、「一味違う」景色を感じる。(「春陽座」(座長・澤村新吾、「近江飛龍劇団」にもその萌芽がみられるが・・・)具体例の演目は、時代人情劇「春木の女」「噂の女」「浜松情話」の三本、いずれも「障害者」が登場することが共通している。
従来、歌舞伎では「東海道四谷怪談」「籠釣瓶花街酔醒」、映画では「丹下左膳」「座頭市」、浪曲では「壺坂霊験記」など、障害者の「受難」「怨念」または非現実的な「活躍」(願望)を描いた作品は少なくない。大衆演劇の芝居でも「喧嘩屋五郎兵衛」という定番がある。 しかし、そのいずれもが「化け物七分で人間三分」といった(私たちの)偏見がいかに不当であるかを指摘するだけにとどまっており、そうした見方しかできない、私たち自身の中にある「化け物性」(無知・蒙昧・愚鈍)を省みる契機にはなっていないのではないか。そんな時、「鹿島順一劇団」が演じた三本の芝居は、私自身の中にある「偏見」を見事に払拭し、正に<功利を求めて汚れてしまった私(たち)の「心」を浄化し、助け合って生きる「元気」と「喜び」を>与えてくれたと言えるだろう。たとえば「浜松情話」、二代目を襲名した土地の親分・政五郎(花道あきら)は三下の子分(三代目虎順)を連れて「嫁探し」の旅に出る。頃合いの娘がいなくもなかったが、いずれも「ヘビに短しタヌキに長し」(虎順談)で目的を果たせず帰路についた。浜松宿を目前にした茶店、子分にせがまれて一休みする政五郎、ふと店先で縫い物をしている娘(春大吉)に目がとまった。茶を飲み終えて出立しようとする子分を引き寄せ、耳打ちする。「あの娘を嫁にしたい。おめえ、話をつけてくれねえか」、あっけにとられる子分、「親分、よしてください。三下のあっしには荷が重すぎる仕事です」「おれが頼むと言っているんだ、おれの話が聞けねえのか!」子分を恫喝した政五郎はそそくさと退場、後に残された子分は、渋々、茶店の親爺(座長・鹿島順一)に掛け合う。親爺曰く「うちの娘は、事情があって誰にも嫁にはやらない」、「そこをなんとか・・・」、食い下がる子分に、親爺は頑として応じない。しかたなく、子分は「話をつけられなければ、親分に合わす顔がない。ここで腹を切る」という。親爺、平然と「ああ、好きにしなせえ。本当に腹を切るところを見てえもんだ。死んだばあさんへの土産話になる」。万策尽きた子分は長ドスを腹に突き立てた。その直前、親爺の手がドスを振り払い「わかった、わかった、そこまで覚悟ができているのなら、娘に訊いてみる」。娘の回答は意外にも「諾」、親分のところに嫁入りすると言う。困惑する親爺、狂喜する子分。さっそく娘を「生き証人」として親分の所に連れて行こうとする。「待て」と親爺が止めるのも聞かず、娘は立ち上がり歩き出した。そのとたん、子分は驚愕し思わず叫んだ。「山が見えたり、隠れたり・・・」娘の「歩き方」は大きくバランスを欠いていたのである。(観客は「爆笑」していたが、私は涙が止まらなかった)子細を了解した子分は、親爺に平伏して誤る。「いやアー、すまねえ親爺さん、今の話はおれの作り話だ、無かったことにしてくれ」今度は親爺が激怒した。「無かったことにしてくれだと?あれほど断ったのに・・・」子分も人の子、冷静になって反省した。「そうだ、あんたの言うとおりだ。おれが親分に話をするから待っていてくれ」そう言って帰路につこうとし時、政五郎再び登場、「どうだ、話はついたか」「へい、つきました、それがねえ・・・親分」口ごもる子分を尻目に「ありがとうよ、じゃあ、親爺さんにあいさつをしなきゃなんねえな」、親爺の前に平伏する政五郎、「私、浜松一家の二代目・政五郎 と申します。このたび娘さんを嫁にいただきたくお願い申し上げます」、当惑する親爺、「あんたさん、娘のことをよーく知っているのか」「へえ。最前よーく見させていただきました」そのとき、再び「歩き出す」娘、政五郎はその姿を「平然」と、しかも「惚れ惚れと」見つめながら、「親爺さん、娘さんのお体が不自由なら、私が一生、手足となりましょう」と言い放つ。大切なことは、娘の「歩き方」を「平然」と、しかも「惚れ惚れと」見つめられる「感性」である。昔「土手の向こうをチンバが通る、頭出したり、隠したり」(デカンショ節)という戯れ歌があったが、「鹿島順一劇団」の主題(政五郎の「感性」)は、それと無縁であった。爆笑した観客の「感性」がどのようなものであったか、それがどのように変化したか、私にはわからない。しかし、「浜松情話」の底流には、江戸、明治、大正、昭和、平成と続く、私たちの「生活意識」を見つめ直し、時として跋扈する「差別感」(基本的人権の侵害)を「人情」(感性)という視点から克服しようとする誠実で真摯な姿勢が貫かれている、と私は思う。以下「春木の女」「噂の女」の主題も同様・同質で、珠玉の名品に値するが、あとは「見てのお楽しみ」として割愛する。大衆演劇の「芝居」といえば、勧善懲悪、義理人情を主題とした「クサイ」景色をイメージしがちだが、そんなことはない。視聴率稼ぎのために「低俗化」「醜悪化」「荒廃化」の一途をたどるテレビドラマとは無縁のところで、人知れず大衆文化の向上に貢献しているのである。
(2008.12.13)