梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・劇団素描「宝海劇団」(座長・宝海竜也)

【宝海劇団】(座長・宝海竜也)〈平成24年1月公演・佐倉湯ぱらだいす)
七草、成人の日も終わって、平日の舞台、その時にこそ劇団の「真価」が問われるのだ、と私は思う。案の定、昼の部でも観客は15人ほど、加えて、今日の舞台では役者も欠けていた。若座長・宝海紫虎、時代の寵児・宝海大空、ベテラン女優・宝海真紀、負傷中の城津果沙がいない。それでも、大衆演劇は「幕を開ける」のである。芝居の外題は、小さすぎて聞こえない。筋書きは、御存知「忠治山形屋」と瓜二つ。娘・お花(海原歌奈?)を加納屋親分(座長・宝海竜也)に身売りさせた百姓の老父(山下和夫)、三十両を懐に帰路に就いたが、地獄峠の山道で山賊(実は加納屋子分・久太郎)・宝海太陽・他に金を奪い取られた。老父、絶望して身投げをしようとしているのを助けたのが、大前田若親分(宝海大地)。若親分、加納屋に乗り込んで、金を奪い返し、お花を救い出すという筋書きであった。それぞれの役者が「精一杯」つとめていたが、まだ「呼吸」の面白さを描出するには至らず、見せ場は、大詰め、山中でみせる若親分と加納屋一家の立ち回り、一瞬にして三人を切り倒す宝海大地の「太刀さばき」であったろうか。それはそれでよい。「一生懸命に舞台を務める」、その心意気、気配だけで、私たちは元気をもらえるのだから。
さて、二部の舞踊ショーからが面白かった。山下和夫、歌唱の2コーラスを歌い終えると、「みなさん、今日は大空くんがいなくてすみません。でもみんなで一生懸命がんばります」(拍手)遠慮がちに「夜の部も観ていただけますか」最前列の女性客「観るよ」「えっ?大空くんは夜も出ませんよ」「大空くんがいなくたって、観るよ」。その言葉を聞いて、一瞬、山下和夫の全身に「電気が走った」。(ように私には思われた)。「えっ?大空くんがいなくても、ですか」と言って、楽屋の袖に顔を向ける。もしかして、そこに座長・宝海竜也が居たのかもしれない。その後、山下和夫、「さざんかの宿」を熱唱、続いてのラストショーで舞台は大団円となった。さて、夜の部開演は6時、はたして何人の観客が居残るだろうか。大浴場で入浴・休憩後、喫煙所でタバコを吸っていると、館内放送が流れた。「午後6時から5階・湯ぱら劇場で宝海劇団によるお芝居・舞踊ショーが行われます。どうぞ皆様お誘い合わせの上御来場ください」。本当にそうだろうか。5時45分頃、興味津々で劇場に行ってみると、案の定、観客は二人しか居ない。200人は優に収容できる客席の最前列に、件の女性客とその「つれあい」とおぼしき男性が、食事接待の従業員となにやら話をしている。三人は、私の気配を察したか、こちらを振り向いた。私も、近づいて「今日は本当にやるんですか」と問いかけると、従業員、「苦渋に満ちた表情で」答えられない。男性客が「そう!、やるか、やらないか。決断の時ですよ。もし、やらなければこの劇団は終わり、正念場、正念場・・・。とにかく、座って待ちましょうよ」。というわけで、観客の三人、固唾を飲んでその成り行きを見守ることとなった。時刻は、まもなく6時に・・・、その時、幕の袖から(静かに)座長登場、「今日は、ありがとうございます。こんなことはめったにないんですが。10年近く座長を務めておりますが、今日は2回目です。以前はお客様が二人、それでも幕を開けましたが、舞踊ショーの途中で帰ってしまいました。今日も幕を開けますが、お芝居は勘弁してください。舞踊ショーで精一杯がんばりますので、どうか途中でお帰りにならないようにお願いいたします」。男性客、大きく頷いて「結構、結構、やる方も辛いでしょうが、観る方も辛いんだ。がんばって、お願いしますよ」。おっしゃるとおり、観る方も辛いのだ。「男も辛いし女も辛い 男と女はなお辛い」という謳い文句そのままに、舞台は開幕する。幕が上がると同時に、三人の(割れるような)拍手を受け、座長・宝海竜也を筆頭に、大地、太陽、蘭丸らが、珠玉の妙技を披露する。たった三人の客を前に演じる「やるせなさ」「こっぱずかしさ(?)」も加わってか、まさに「今、ここだけでしか描出できない」(魅力的な)舞台模様が展開したのであった。太陽の舞台、男性客が声をかけた。「太陽!」、しばらくして小声で「何歳?」と尋ねると、太陽もまた踊りながら小声で、(つぶやくように)「25です」という「やりとり」が何とも面白かった。昼の部では見せなかった「バック転」もサービスして退場。蘭丸は蘭丸で舞台を降り、男性客に視線を合わせて微笑みかける。その可憐な風情も絶品であった。加えて、子役のちょろQ靖龍、舞台狭しと跳んだりはねたり踊りまくる中で、(その弟とおぼしき)赤児まで(幕の陰からハイハイで)登場、「相舞踊」よろしく大人用の扇子を掲げたり、振り回したりする様は、これぞ大衆演劇の「極意・真髄」といった按配で、誠に「有り難い」稀有な風景であった。やがて1時間ほどの舞台は(三人には惜しまれつつも)終演となったが、件の男性客曰く「いやあ、感動した。素晴らしかった。こんな《夢舞台》初めてだ」。けだし名言、大衆演劇は「たった三人の客」のためにだって幕を開けるのである。その心意気に心底から感動、今日もまた、大きな元気を頂いて帰路に就くことができたのであった。感謝。
(2012.1.16)